女を物品扱ひする遺風
朦昧人が女を掠めとつたと云ふ事には、大きな一つの理由があります。それは、それ等の朦昧人の部落では、女が高価な財物であるからです。女が普通の財物と同一視されて、その所有者の意志のままに女は売られたり、交換されたり、賃貸をされたりしてゐます。しかしそれは決して朦昧人や、野蛮人ばかりではありません。私達は、現在の私達の周囲にさへさう云ふ事実が沢山あることを否む訳にはゆきません。朦昧の間では、男が女をゆづり渡して貰ふには、女の両親に、金を払ふと云ふ負担がある為めに、それをのがれる一つの方法として掠めて来るのであります。この事実は、私共には甚だ奇怪な事実としか思へませんが、しかし振り返つて、現在の結婚制度に就いて考へて見ますと女に対する根本の観念にはそれ等の朦昧人とは幾許の相違もありません。『貰ふ』とか『遣る』とか云ふ言葉がすでに充分それを説明して居ります。『売る』『買ふ』と云ふ事と『貰ふ』『遣る』と云ふ事との差異は、その受け渡しに、金銭の取引きがついてゐるかゐないの差異だけにすぎないのです。私共の地方での娘の掠奪にしても、女の親への金銭の負担から逃れる為めに掠奪する朦昧人の掠奪といくらの差異がありませう、彼等はたゞ、金銭の負担の代りに、色々な面倒な難題を負ひ切れないので、それをのがれる為めに掠奪するのであります。かうして男の暴力によつて、保護されたり、掠奪されたり、物品と同格にあつかはれる女の生活中には何があるのでせうか。私は朦昧人によりて示された、魂のない女の生涯が、如何にみぢめなものであるかに驚くと同時に、今も私の近い周囲に、同様な女の為めに用意されたやうな風習を見出しますと、何とも云へない気がするのであります。私共の地方にはまだ/\いろ/\なさうした風習の利用された話が沢山あります。恐らく斯うした例は、到る処にあることゝ思ひます。それ等の事実に暗示された種々な問題に就いて持つ私の考へは此処には書きません。しかし、私は私達の気づかずにゐる、手近かな事実からもさうした意味ある暗示を受け得ると云ふ事に、深い興味を感じたと云ふ事を特に附記して置きます。
[『女の世界』第三巻第一二号、一九一七年一二月号]
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