一
今夜も必らず來るからと、今度はよく念を押して置いた。然し、餘り自分ばかりで行くのもかの女並びにその家へきまりが惡い樣だから、義雄は今一文なしで困つてゐる氷峰をつれて行つてやらうといふ氣になり、薄野からの歸り足をまた渠の下宿へ向けた。
いつもの通り、案内なしであがつて行き、氷峰の二階の室のふすまを明けると、渠とお鈴とがびツくりして、ひらき直つた。お鈴はまた裁縫に行く時間をごまかし、氷峰のもとへ押しかけて來て、何かあまえてゐたところであつたらしい。
「こりやア失敬した、ね」と云つて、義雄が這入つて行き、早速飯を云ひつける樣に頼んだ。
「また、ゆうべも御出馬か」と、氷峰が冷かす。
「今夜は一緒に行かう。」
「よからう。」氷峰も義雄と同じ樣にねむさうな樣子だ。お鈴は、今まで赤らめてゐたその顏へ急に不平らしい色を加へて、渠をちらと見た。
「お鈴さん、さう燒かなくツてもいいぢやアないか、ね?」
「わたしやそんなこと知らない、わ。」かの女は恥かしさうに笑ひながら云ふ。
「それでも、君」と、氷峰はにこつきながら、「とう/\結婚することだけは僕も承諾したよ。」
「あら、そんなこと云はないでも――」
「云つたツてかまはないぢやアないか?」義雄はからかひ半分に、「僕があなたの邪魔をするぢやアなし、さ。お鈴さん、とう/\成功した、ね。」
お鈴は再び顏を赤くした。そして、座に堪へられなくなつたかの樣に、あわただしく歸つてしまつた。
「きのふ、實は承諾を與へたのぢやが、あいつ、おほ喜び、さ。」かう云つて、氷峰は、きのふ、お鈴の兄龜一郎が泣き附くやうに頻りに懇願したので決つたこと。その兄弟等は妹の棄て場を得て、喜んでゐるだらうと云ふこと。然し自分の樣なづぼらのものには、器量や學問より、經濟向きの天才あるものを妻とする必要があること。その點はかの女の兄弟も確かに誇りとして保證してゐること。その話の進行の爲め、あす、山に行つて、自分の兄と相談して來るつもりであること。などを、語つた。且、この長い間解決のつかなかつた問題が解決した喜びに、お鈴の兄の龜一郎が不斷の謹直にも似ず、薄野行きを發議したので、ついて行つたことを加へた。義雄はそれで氷峰のねむさうな原因が分つた。
それから、有馬の家に歸つて見ると、東京からまた原稿料と、樺太廳の知人で、第○部長をしてゐる者に個條書きにして照會した木材拂ひ下げに關する返事とが來てゐた。返事は、即ち、左の通りだ――
御問合に就き返事一、木材輸出見本として、樺太島森林より立木を賣拂ひ出願するには、その數量に制限なし。但し、立木代金四百圓以上に亙るものは、本島森林賣拂ひに關する法律勅令未だ發布前なるを以つて、一願件として處分すること能はざるに依り、分割するを要す。二、本島に於て枕木を伐出したるものは、元露國時代に於て、西海岸エストル川にて、落葉松の枕木を製作し、義勇艦隊の船に積み込み、大連方面へ輸送したる形跡ある外、他に之を認めず。三、占領後、枕木を製作し、輸出せるもの未だこれなし。 但し、本島に於て主なる木材トドマツ、エゾマツ、落葉松の三種にして、就中落葉松は材質強く、土中又は濕地にも腐朽せざる點よりして、枕木には、適當するも、伐木工賃及び運搬費の關係と利益少きとの爲め、北海道の栓、タモ等の枕木に及ばず。また、餘り大材少き爲め、一挺取りなり。日本鐵道にては、未だ一挺取りの枕木は使用せざる筈なり。四、トドマツ、エゾマツはマオカ附近にても之を拂下ぐることを得るも、マオカ附近には落葉松なし。その最も多きところは、大泊より豐原に至る間と、大泊よりトンナイチヤに至る間なり。五、伐木税、即ち、立木賣拂代金は、最低價立木一尺〆(尺〆とは長さ十二尺の一尺角、十二立方尺を云ふ)に附き、金拾五錢なるも、事業上の性質、即ち輸出材の如きは、奬勵の趣旨に依り、割引の特典あり。六、七、一尺角、二尺角等と拂下代價に區別なし。立木尺〆にて計算せらるるものなり。八、枕木に適する徑一尺以上の立木のみ撰伐する事も、今日の處何等制限なし。九、伐木税とは立木賣拂代金を意味するものにて、他に營業税などある事なし。十、賣拂ひを受けんとするには、本島に寄留するに及ばす。 以上、不慣れなる事業家のくどい伺ひに對する返事としては、なか/\親切に書いて呉れてある。且、大泊や卜ンナイチヤの名に接すると、義雄は行つて見ようとしてつひに行けなかつたところだから、今一度樺太へ舞ひ戻つて、亞庭灣内及び東海岸をまはつて見たくもなる。また、エストル川の名を聽くと、その川が廣がつた樺太一等の好風景なるライチシカ湖(アイノが死んで泣くと稱した水海だ)を遠く海上から樺太廳の巡邏船に乘つてながめたことを思ひ出す。
然し、義雄はこの返事を受け取る前、既に、樺太木材が枕木としては、一挺取りになるから、不適當だといふことを承知してゐた。で、普通の建築材並びに板などとして出すのに、樺太の方の事情は、この返事に自分の實際の見聞と調査とを加へて大抵の標準が附いた。
それに、運賃の多くかからない法も考へてあるし、北海道のこの種の木材の事情は、お鈴の弟、原口鶴次郎から調べて貰つてある。鶴次郎は年が若いにも拘はらず某木材會社の手腕家であつたが、餘り放蕩をするので、近頃、剩員淘汰と共にやめられた男だ。實業雜誌の初號にも北海道木材のことを書いたくらゐで、その方の智識は先づ信用出來ると、義雄は思つてゐるのだ。
義雄には、また、古くからの知人、寧ろ先輩で、石炭に關係してゐるものが一人東京にある。渠は、その人とは、曾て西貢米輸入――失敗であつたが――を計畫した時にもあひ棒であつた。そこから資金を調達させて、木材屋をやらうといふのである。
それへ詳しく書いた計畫を送つたが、その手紙の意味は勇夫婦に何とも話さなかつた。と云ふのは、渠等に對して義雄が隔意を持つて來たばかりではない。云つて置いて、また駄目であつたら、渠等の笑ひの種を増してやるばかりであるからだ。
かう思つて、義雄は長くゐればゐるほど冷やかになつて行く自分と勇との友情のたよりないのをおぼえた。氷峰、その他は近頃になつて知り合つた人々だから、若し冷淡になつても、當り前だとも思はれる。然し二十年來、たとへ淡くあつたとは云へ、同窓であり、同信仰であり、同背信者であり、同僚であり、離れてゐても、音信を絶やさなかつた友人同志が、却つて實際に接近した爲めにその友情の冷やかになつて行くのは、自分に關係が薄いからである。
そして、自分に關係の薄いものは、義雄の主張する哲理上、やがて自分の宇宙その物からも消えてしまふのだと思ふ。
然し冷やかになつて行くのは、この友情ばかりではない。
札幌に着いた當座は、羽織を脱いでも暑くツて仕やうがなかつた盛夏が、早や、いつのまにか過ぎ去つて、秋の風らしいのが吹き出してゐる。
義雄は放浪の爲めに心を奪はれ、また、この數日間は、女に熱くなつてゐるので、そんなことには無頓着であつたが、けふ、初めて單物では如何にも寒いのに氣がついた。
そして、義雄が銘仙の單へを袷せにすることを頼みに、近處の仕立物をする婆アさんの家へ行く時、お綱が門そとで百姓馬子から青物を買つてゐるのに注意すると、馬の背の荷には、もう、茄子、胡瓜などは全くなくなつて、おびただしかつた瓜、唐もろこし、林檎なども――高くなつたのであらう――甚だ少い。その代り、北海道の栗とも云ふべき胡桃やココア(ココのなまりだ)が這入つてゐる。「ココア、ココア」と、細い優しい聲をして、一人の婆アさんがココの實を籠に入れて賣りに來たので、札幌の秋にはいい聯想だと思つて、義雄はそれを買つて見た。
渠がまだ故郷にゐた時、姉や友達につれられて、山へ椎の實を拾ひに行つたことが度々あるが、その椎の實の味を思ひ出す樣な味がする。そして、有馬の子供にも與へたのを、渠等がちひさい手でその皮を彈じき取り、その中身をうまさうに喰つてゐる樣子を見て、義雄も自分の子供であつた無邪氣の時代のことを思ひ浮べた。
その時代と今とは丸で考へが違つてゐる。考へが違ふばかりでなく、人間その物も丸で違つてゐる。かう思ふと、その間に出沒現滅した種々複雜な事件と經驗とが一時に目の前に集つて來る樣だ。
椎とココア――故郷と札幌――秋と云ふ引き締つた感じが一刹那に強烈になつて來ると、然し、自分は、どうしても、生々複雜な自然界、東京といふ酒色と奮鬪との都に育つた人間であつて、呑氣な、消極的天然の廣がる世界にぐづ/\放浪してゐるべきではないと思はれる。そして、かのストリンドベルヒが考へてゐる「成り行きが運命」といふ樣な消極的、死滅的放浪の程度では滿足出來ない自分であるを感ずる。「冷やか味を感じて來たのは、これが第一の原因だらう。」かう思ふと、種々苦心して考へ出す大小の計畫もまことに空疎なものになつて、自分で自分をあざむいてゐる樣な氣がする。そして、あの敷島と一緒にゐる時だけが、まだしも、自分の最も活氣がある時だと考へられる。
「早くかの女に行くに限る!」心でかう叫んで、家を出ようとすると、
「また行くのだらうが――」勇は心配さうにして、「さう使つてしまつては、あとで困りはしないか?」
「そのかはせだけは」と、お綱さんも口を出し、「わたしが預つて置きませう。」
「その方が君の爲めにいいよ」と、勇がすすめるにまかせ、
「ぢやア、これは」と、義雄は原稿料のかはせをお綱に渡し、「どうせ、あなたの方にも食料を出さなければならないのだから、そツくりあげることにして置きます。」
かう云つて、義雄は渠等に對する肩みが多少廣くなつたのをおぼえた。渠は渠等の世話になるのを氣の毒といふことは知つてゐながら、來た金を先づ渠等に拂ふ義務があるのを忘れてゐたのだ。