四
義雄は、北海實業雜誌に奉公する小説として、「金」といふ、横濱の貧乏車夫がマニラの富くじに當つて狂死する實話を書いた切りである。今一と口の方のかはせも來たので、その金を資本にして、毎晩の樣に井桁樓に行くのだ。女が一度期に散財せず、毎晩の樣に來てくれろと云ふので、初めてそこへあがつてからと云ふもの、一と晩も缺かしたことがない。
「第二の伊藤さん」と云ふ評判が直ぐ義雄の知人間、またその知人の知人間に廣まつた。まだ、伊藤公爵來道の餘波が世間に殘つてゐたからの類推であらう。渠等は義雄をどんな女にでも、また、幾人の女にでも關係をつける男だと思つてゐる。それがこの評判を生じた所以である。然し義雄自身に取つては、今やただ敷島ひとりしかゐないのである。またその他の女を思ふ餘地が存してゐないのである。
渠は女に妻子のあることを話した。めかけ見た樣なものがあることも話した。然しそんなものは一切忘れて、敷島を愛してゐるのである。
女も亦その一身に關することはすべてうち明けてしまつた。函館の妓樓に勤めてゐる姉と二人で故郷の病身な親を世話してゐることも、借金とては僅か百圓ばかり殘つてゐることも、みんな分つてしまつた。
こちらは北海道を巡歴して歸つて來たら、きツと何か一つの事業を握れるだらうと思つてゐるから、その頃になつて、身受けをしてやり、都合によれば、來年は一緒に樺太へ行かうと受け合つた。女はまた、さうなれば、自分の持つてゐる箪笥も、衣物も、すべて人の妻としての役に立つ樣になるからと喜んだ。
朝別れると女は手紙をよこし、手紙を見ると男は行きたくなるのだ。そして、義雄は晝間だけは氷峰もしくは勇のところで眠るか、若しくは、札幌區立病院へ行つた。小樽の森本春雄が兼ての鼻茸を治療して貰ふ爲め入院してゐるからである。
春雄は齒ぐきの上から頬肉の裏がはを切り開かれ、鼻のあたりの骨が削られたのだ。意外の大手術を魔藥なしにやられたので、一時は氣絶したさうだ。顏のたて横に厚い繃帶を卷かれて、三等室に這入つてゐる。
「二等室には明きがなかつたから」と、渠は義雄に申しわけをしてゐたが、義雄はその入院料の安いのを知つて、お鳥を東京で醫師のもとに通はせるよりも、こんなところへ入れた方がよかつたと、あとの祭りだが、思ひ附いた。
義雄は、一日のうちに、必らず一度づつは、青臭い妓樓と藥臭い病院とのにほひを嗅ぐわけだ。そして、その別々なにほひを別々に嗅ぎ分けることが出來る間は、まだ自分の本性があると思つた。