Chapter 1 of 8

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宇宙尖兵

海野十三

作者より読者へ

うれしい皇軍の赫々たる大戦果により、なんだかちかごろこの地球というものが急に狭くなって、鼻が悶えるようでいけない。これは作者だけの感じではあるまい。そこで、もっと広々としたところを見出して、思う存分羽根を伸してみたくなって、作者はここに本篇「宇宙尖兵」を書くことに決めた。

書き出してみると、宇宙はなるほど宏大であって、実はもっと先まで遠征するつもりでいたところ、ようやく月世界の手前までしか行けなかったのは笑止である。

こういう小説を書くと、またどこからか、やれ荒唐無稽じゃ何じゃと流れ弾がとんでくることであろうが、本篇の巧拙価値はまず措き、とにかくわれわれ日本民族はもっと「科学の夢」「冒険の夢」を持たないことには、今日特に緊急とせられる民族的発展は、その必要程度にまで拡ることが出来ないと信ずるが故に、作者は流れ弾がとんできたら、それを掴んで投げかえす決意だ。

競争者

どえらいことを承諾してしまった。

「ようがす。どうせ当分ベルリンから抜けられそうもないし、それにひどく退屈しているんですから、生命の大安売、僕の体を気前よく賭けまさあね」

と、僕はその朝リーマン博士の前で、あっさりと返答を与えたわけであるが、それから始まって、もう抜きさしならぬこととなった。途中に二三度、これはよしたがいいかもしれぬと思いはしたものの、日本人たるものが一旦引受けておいて前言を飜したのでは、怖じ気をふるったようでみっともないから、未練も逡巡もぐんぐん胸の奥へ嚥みこんで、なんでも持っておいでなさい一切承知しましたと、リーマン博士の提案を全面的に引受けてしまったのである。

博士の提案とは、どんなものであったか。それを今詳しく述べている暇もないし、また詳しく述べたところが、僕の初めの想像と後の事実とは相当意外な開きを見せることになるので、肝腎の契約重点だけをここに述べて置こう。

「実は、日本人と見込んで、貴方の生命をわしに譲って貰いたい。といっても今貴方を銃口の前に立たせて、どんとやるわけではなく、実はわしたちが今度非常な超冒険旅行に出るについて、主として報道員として参加してもらいたいのです。もちろん生命は十中八九危い。その代り、前代未聞の経験を貴方に提供し、それから時機到れば、すばらしい通信を許します。そのほか報酬として……」

リーマン博士から口説かれた内容は、まあこのくらい述べておくことにして、結局僕はそれに乗ってしまったわけである。現在の僕の生活に於ける絶望と退屈とが、まず大体の動向を決定してしまったというわけで、向うさんのいう条件をいちいち、衡器に掛けて決定したわけではない。僕の気の短いことは誰でも知っている。その代り諦めのいいことはまず誰にも負けないし――といってこれは余り自慢になる性格じゃないが――しょっちゅう早合点をして頭を掻いてばかりいるのだ。リーマン博士が、僕なら生命の安売りをするだろうと白羽の矢をたてたのも尤もである。しかし一体誰が僕を博士に耳うちしたのであろうか。

さてその「非常な超冒険旅行」へのベルリン出発は、その日の真夜中午前二時だと示達された。あまりに早急な出発であるから、僕はいささか未練がましく延期を求めたが、博士は気の毒そうな顔で首を左右にふった。

「この機密が漏洩することを極端におそれるのです。さっきも念を推しておいたが、このことは誰に対しても厳秘を守っていただきたい。日本人の貴方ゆえに、充分信用してはいるが、これはわれわれの任務の成否に関する重大な岐路となるのでねえ」

「大丈夫ですよ、そんなこと……」

僕はそういわざるを得なかった。「非常な超冒険旅行」に出るということだけではどんなことをするのか分らないのに、そのことさえも厳秘だというのである。リーマン博士のそのときの硬ばった顔付、額にねっとりと滲み出たその汗から見て、博士はたいへんな責任を背負っていることが分った。

それにしても、まことに唐突の出発である。いくら僕みたいな人間でも、このベルリンにあと十数時間しかいられないのだとわかると、周章てざるを得ない。

僕は町へ出て、生活必需品の買い集めに狂奔する決心になったが、いよいよそこで歯刷子はじめ二三の品物を買うと、もうあとを買いに歩くのがいやになった。品物の方は早速もう諦め、あとはポケットをふくらませている紙幣束をいかにして今夜のうちに費い果たすかについて頭をひねることとなった。

「そうだ、同業の魚戸氏に挨拶していってやろう」

魚戸氏は、僕と同じく報道員である。だが彼と僕とは、所属の会社を異にしているので、はっきりいえば競争者であり、もっとはっきりいうと敵手である。僕はまだ二十五歳だが、彼は僕より十四五歳も上の先輩だ。しかし仕事の上では同じことをやっているので、君僕の間柄だ。これまでに随分ぬいたりぬかれたりしていがみ合った仲だが、それもいよいよ今夜でおしまいだ。そう考えると、いささか感傷が起る。そこで一つ今夜は罪ほろぼしに、先生に奢ってやろうと考えたのだ。彼も近頃ますます懐中がぴいぴいであることは僕同然であって、同情にたえないものがある。

僕は一町ほど先の町角に在る公衆電話までいって、そこから魚戸氏を呼び出そうと思った。

そう思いながら、その方へ歩いていくと、ばったり魚戸氏に行き逢ってしまったではないか。

「いよう、魚戸。今夜は奢るから、一緒につきあえ」

と、私はいきなり声をかけた。すると魚戸は立ち停って、苦笑いをしながら、

「でかい声を出すなよ、みっともない。君が奢ってくれるとは珍らしい話だが、今夜はよすよ」

「駄目だよ、今夜じゃなければ……」

「折角だが断る。このとおり連れもあるしねえ」

初めから気はついていたが、僕も知らない顔ではないイレネを魚戸氏は連れている。

「やあ今日は、イレネさん」と帽子をとって挨拶をしてから、魚戸氏に「金はちゃんと持っているんだ。君たち二人ぐらい奢っても痛痒は感じないんだ。だから一緒に……」

「駄目だよ、岸。ちと気をきかせやい、こっちは二人連れだというのに」

ふん、二人連れか。勝手にしやがれだ。魚戸の奴、恥をかかせやがった。僕は吾儘な向っ腹を立てて歩きだした。するとうしろから魚戸の声が追駈けてきた。

「君には、またゆっくり奢って貰う機会があるよ。それから、悪いことはいわない、今夜はあまり自暴酒を呑みなさんな」

大きなお世話だ。僕はぷんぷん腹を立てながらも、さすがに寂しさを払い落とすことができなかった。

不覚

その夜の集合場所は、郊外Z九号の飛行場であった。シャルンスト会堂の前から入りこんでいる地下道を下っていくと、今いったZ九号飛行場に出る。もちろんこれは地下飛行場である。

僕は、ふらふらする足を踏みしめて、清潔に掃除の行届いている地下舗道を下りていった。すぐ改札口に出る。僕は、リーマン博士から渡された切符を見せる。

でかい腹を持った番人が、切符に鋏を入れて、僕に返しながら、

「はい、よろしい。一等前の十三号という自動車に乗って下さい」

という。

「十三号車とは、いい番号じゃないね」

「そうです。あまり使いたくない車ですが、今夜は一台足りないのでつい並べてしまったのですよ」

十三号車は、柩車のように黒い姿をして、最前列の左端に停っていた。おそろしく古い型の箱型自動車だった。

運転手が下りてきて、懐中電灯で切符を調べてから、扉をあけてくれた。乗ってみると、たしかにあまり使わない車らしく、ぷうんと黴くさかった。

車は走りだした。

遂に「非常な超冒険旅行」のスタートが切られたのであった。

超冒険旅行とは一体どんな旅行か。それは多分このヨーロッパを出発し、敵軍の間を縫って遂に東洋へ達する旅行なのであろうと思う。潜水艦で渡るのか、それとも飛行機で飛ぶのか、それとも小さな汽船で行くのか。

いや、そんなことは放って置いてもやがて自然に分ることだ。それよりも今夜は豪華なものだった。行き逢った同業者は必ず捉えて席を一緒にし、高く盃をあげてお互いの幸運を祈り合った。何十人だったか何百人だったか、よく覚えていないが、中でも日本人の同業者に対しては、ひとりひとりに無理やりに紙幣を押しつけてやった。みんな僕の顔を見て、気が変になったのじゃないかといっていたっけ、はははは。

「おう運転手君。車内が真暗じゃないか。電灯はつかないのかねえ」

今になって気がついたことだが、わが十三号車は、車内は真暗のまま走っているのだ。運転台には灯がついているが、それも非常に暗い。

「ああ、すみません。旦那の倚っ懸っているところにスイッチがありまさあ。それをちょっと右へひねってくださいな」

と、部屋の隅から声がした。高声器がつけてあるのだ。古い自動車には似合わぬ贅沢な仕掛だ。

「スイッチがあるって、ああ、これか」

右の肱掛の少し上にスイッチがあった。それをひねれというのだ。

僕はスイッチをぽつんと右へひねった。

すると急に頭がじいんと痛くなった。そして胸がむかむかしてきた。これはいかんと思って、ポケットから手巾を出そうとすると、これはどういうわけか手に力がはいらない。

(失敗った……)

と身を起そうとしたが、それも駄目であった。目の前が急に真暗になったと思うと、ぴかぴかと星のようなものが光った。それっきり後のことは憶えていない。

どこをどう引張り廻されたのか知らない。何時間だか、何十時間だか、それとも何日間だか知らないが、とにかく相当時間が経過したあとで、ぼくは気がついた。

僕は温い部屋の長椅子の上に長々と寝ていた。

「おや、ここは一体どこだろう」

僕は長椅子の上に起き上った。頭を振っていると芯がまだすこし痛む。あたりを見廻す。いやに真四角な部屋だ。正六面体の部屋だ。中の調度は、小さな客間といった感じで、出入口のついている壁を除く他の三方の壁には長椅子が押しつけてあり前に細長い卓子が置いてある。出入口のついている壁には、大きな鏡のついた戸棚がとりつけてある。天井には、グローブ式電灯が嵌め込んである。ちと無風流な部屋だ。そして一体ここは何処だか、僕の記憶にないところだ。

「目が覚めたようですね」

いきなり話しかけられた。

「えっ」

僕はびっくりして、声のした戸口の方をふりかえった。

だが、そこには誰も立っていなかった。扉はしまったままだし、鏡付の戸棚が冷く並んでいるばかりだった。

「そんなに愕くことはありません。私はリーマンですよ」

姿なき者はそういった。なるほどリーマン博士の声音にちがいなかった。僕はぎくりとしたが、同時に腹が立った。

「リーマン博士。この仕打は、あまり感心できませんね。僕に一言のことわりもなく、知覚を奪ってこんな牢獄へ引張り込むなんて……」

僕はわざと牢獄という言葉を使った。例の箱型自動車十三号の中で僕は電灯のスイッチをひねると共に昏倒したことを、このときになって思い出したのだった。

「岸君。どうぞ何事も善意に解釈してください。お約束どおり、午前二時、Z九号飛行場を自動車が動き出したときに、貴方は今回の超冒険旅行の途についたわけです。それからこっちは、艇長たる私が、貴方の身体も生命も共に預ったのです。極秘の旅行ですから、ちょっと睡って貰ったのです。もう大丈夫ですから安心してください。貴方は無事本艇の中に収容を終りました。しばらくそこで休息していてください。そのうちに、貴方の気が落付くように、誰かをそこへ迎えに行って貰います」

博士は淀みなく陳べたてた。

箱型自動車の中で、僕は自らスイッチをひねって、麻睡瓦斯を放ったことが朧気ながら確認された。博士のいう極秘の旅行だからやむを得ないことだったろうが、なんだか小馬鹿にされたようで、いい気持ではなかった。そして僕はまんまと「本艇」の中に収容されてしまったのである。

「本艇といいましたね。すると僕の今居るところは、船室なんですか」

僕はそれを訊ねざるを得なかった。

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