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ゴールデン・バット事件
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ゴールデン・バット事件
海野十三
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译文 Pagera AI
原文 Public Domain
Chapter 5 of 5

5

*   *   *

帆村と私とは、やっと流し円タクを拾ってその中に転げこんだ。

「いやどうも駭いた――」私はまだ慄えが停らなかった。

「あれでいいんだ」と帆村は呑気なことを云った。「あれで筋書どおりに搬んだわけだ」

「筋書って、君はあのような場面を予期していたのかネ」と私は呆れて問いかえした。

「そうなんだが、あんなに巧くゆくとは思っていなかった。ここで一つ君に頭を下げて置かねばならぬことがあるが……」と彼はちょっと語を切って「君がいつか金青年の殺人犯人のことで、『犯人は気が変だ。それが馬鹿力を出して金を殺し、その直後に正気に立ちかえって逃走した』というような意味のことを云ったが、あれに対して僕は男らしく頭を下げるよ」

「というと……」

「あの丘田医師の大変な力のことを云っているのだ。気が変になったればこそ、あのような力が出る」

「すると金青年に重い砲丸を擲げつけて重傷を負わせたのは、丘田医師だったのかい」

「もうすこしすれば、誰が犯人か、自然に解る筈だよ」

真犯人のことを知ったのは、それから三日のちのことだった。ゴールデン・バットのチェリー――それが真犯人だった。

これは一部の人に大変奇異な思いをいだかせた。何故ならば、どうしてチェリーのように脆弱い女性が、あの重い砲丸を金青年の肩の上に擲げつけることが出来たろうかという疑問が第一。それから彼女に真逆金を殺すだけの十分な動機が見つかりそうもないという疑問がその第二だった。

しかしそれは、彼女達の告白によって、すべてが明かになった。私は今、彼女達という複数の言葉を使ったが、あのゴールデン・バットの女たちは、あの晩の騒ぎをキッカケとして、去っていったのだった。彼女たちは、洋酒を盆の上に載せる代りに、みんなが白いベッドの上に載せられていた。それは某内科の病室に収容せられた風景だった。

チェリーはベッドの上から、切れ切れに一切を予審判事に告白した。

金が重傷をうけたあの頃は、チェリーが君江よりも一歩進んだ、金の寵愛を得ているときだった。金は前にも云ったように、魔薬の入った煙草でもって女たちを自由にしていた。その資本は、金が秘蔵していた一袋のヘロインというモルヒネ剤だった。

ところがこの大切な資本が、或る日金の部屋から見えなくなったのだ。それは大事件だった。命に関する出来ごとだった。彼は気が変になったように部屋の中を探したが、どうしても出て来なかった。そのうちにだんだんと中毒症状が出てきたので彼はかねて懸りつけの丘田医師をよんで、投薬を頼んだ。それから以来というものは、一日に何回となく丘田医師のもとに哀訴を繰りかえさねばならなかった。ただ然し中毒者のことであるから、服薬したあとの数時間は、普通と異らぬ爽快な気分で暮らすことが出来た。

しかしここに困ったことが出来た。それは金が予て魔薬入りのゴールデン・バットをバラ撒いていた女たちに与えるものがなくなったことだった。女たちの中でも、一番恐ろしい苦悩に襲われたものは、実にチェリーだった。チェリーはその頃、金の寵愛を集めていただけに、服薬量が大変多量にのぼっていた。だからチェリーは金を訪ねて、ヘロインをせびったのだった。

しかし金にとって、もういくらも貯えのないヘロイン入りのゴールデン・バットだった。ひとに与えれば、忽ち自分が地獄のような苦悶に転げまわらねばならない。だから最愛の情人であるチェリーの切なる乞いではあったが、バットを与えることを断然拒んだわけだった。

チェリーは拒絶されると、もう我慢しきれなくなった。どうしてもあの薬を手に入れなければならなかった。暴力に訴えても、たとえ殺人をしても……。彼女は全く気が変になって、あの重い砲丸を頭上に持ち上げた。金はこの思いがけない危険に室内を逃げ廻っているうちに、とうとうチェリーのために鉄の砲丸を擲げつけられてしまった。そしてあのような悲惨な最期を遂げたのだった。

さてそれから、チェリーは室内を葡いまわって、魔薬の入った煙草を探した。遂に煙草の隠匿場所がわかって、八本の特製のゴールデン・バットを手に入れた。彼女はそこで貪るように、あの煙草を喫ったのだった。喫っているうちに、次第に薬の効目はあらわれた、彼女は平衡な心を取りかえしたのだった。彼女がソッと現場を逃げだしたのは、それからだった。――(海原力三が殺人の目的で忍びこんだときは、既に金が重傷を負っていた後のことだった)

チェリーは外へ逃げだしたが、そこで深夜の街を歩いていた丘田医師に掴ったのだった。掴るというよりも、むしろ助けられたといった方が当っていた。丘田はチェリーの唯ならぬ様子からそれと察して、幸い独身者の気楽な自分の家へ連れてかえったのだ。その後、二人の仲が如何に発展したか、それは云うまでもないことである。

ところで金のところにあったヘロインの袋は一体誰が盗んだのか。これはいまだに明瞭ではないのであるが、帆村の説によると、既に金のところへ度々呼ばれて行った丘田医師が、金の隙をみて秘かに奪いとったものではなかろうかと云っている。あの種の中毒患者にはそんな隙などはザラにあることに違いなかった。

丘田医師は、盗みとった魔薬を悪用し、金と同じ手を用いて、カフェ・ゴールデンバットに君臨したのだった。幸い医者だった彼は、その後の中毒女たちに投薬することに非常に巧みだった。だから女たちは、中毒者のようには見えなかったのだ。しかし最後に来て、運命の悪戯というか、天罰というか、丘田医師が魔薬を失い、遂に彼自身は金と同じように気が変になり、女たちも薬を断たれて、一勢に中毒者としてその筋に発見されるに至ったのだった。中でもチェリーの中毒症状は殆んど致命的だと診断を下された。しかし一体誰が、丘田医師のところからヘロインを盗み出したのだ。丘田医師はかねてヘロインを手にしてからというものは、パントポンの代りに、この粗製品を使って世間を胡魔化していたことは、帆村の調査によって証拠だてられたところだ。――実をいうと、帆村はこのことについて何も云わないのであるが、丘田医師のところへ検べに行った夜、ゴールデン・バットの傍の橋の上から、なにか白い紙包を川中に投じたが、あれが丘田医師のところにあったヘロインではあるまいかと、私は考えている。あの高い棚の上にあった銀玉はきっと真中から二つに割れるボンボン入れのようなものであったろう。

海原力三は無罪となり、放免された。

しかし丘田医師は、あの夜から、どこへ逃げたものか、行方不明である。――しかし後日談を云うと、あれから三ヶ月ほどして、帆村は大阪の天王寺のガード下に、彼らしい姿を発見したという。しかし顔色はいたく憔悴し、声をかけても暫くは判らなかったという。丘田医師は、今もさる病院の一室で、根気のよい治療を続けているという。流石は医師である彼のことだと、医局では感心しているそうだ。だが元々医師であって、モルヒネ劇薬の中毒が恐ろしいことはよく判っている筈なのに、どうして彼がモヒ中毒に陥ったのか。これはまことに興味ある疑問である。

そのことについては、吾が友人帆村荘六も大いに知りたがっていたところだが、或る時当の丘田医師から聞きだしたといって、秘かに話してくれた。嘘か真かは知らぬけれども、「……丘田氏は、自分でモヒを用いた覚えのないのに、中毒症状を自分の身体の上に発見したそうだ。注射もせず、喫いも呑みもせぬのにどうして中毒が起ったか。その答は、たった一つある。曰く、粘膜という剽軽者さ」

そういわれた瞬間、私の眼底には、どういうものか、あのムチムチとした蠱惑にみちたチェリーの肢体が、ありありと浮び上ったことだった。

Chapter 5 of 5
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