河原にうつ伏せて死んでいた幼女に
小さいひとよ、あなたあの朝どこからあの河原まであるいてきたのかしら。私が見たとき、あなたはあの炎天の上の熱い砂のうえに、うつ伏になつて死んでいました。顏を少し横向けに、晝寢している姿で、兩手を投げだしていました。黒いおかつぱの髮にすでに女の匂いをかんじさせ、赤い鼻緒の下駄の小ささであなたの年を五つか五つかとおもわせました。
私はいまもこれを書いていて、紙のうえに涙がおちそうになつています。思い出のあなたの姿も、可憐すぎ、いたましぎて哀しくてならないのに、あの日、あの突如として起つた大きな出來ごとの犧牲に、あなたのような小さい女の子供まで卷き込まれ、死ななくてはならなかつたのか、その思いにかられてたまらなくなります。
私の見たあなたの年の幼女の死體は、廣い河原であなたがひとりでしたけれど、私の見なかつた廣島全市のあらゆる町々で、どれだけあなたとおなじ年ごろの男や女の子が死んだことでしよう。私の心の傷跡にじたじたと血がにじんできます。戰爭への怒り、あなたたちへ對しての責任感、べつな意味での屈辱感や敗北感がごつたになつて胸に大きなかたまりを盛りあがらせます。
あなたはどこからあそこまで逃げてきたのでしよう。近くの町からか、遠いところからきたのか、あなたにきくことはできなかつたけれど、河原にきてすぐに死んだことを思うと、爆心地にちかい町にいたのにちがいありません。いきなり小さい肉體の内部ふかく犯され、それでも負傷者の群の流れに交つて、よろよろと逃げて來たのでしようね。
あなたの死體は八月の太陽にさらされていたけれど、兩親らしい人もきようだいのようなひとも傍にいませんでした。その人たちはみんな即死したのでしようか、あなたは爆心地を少しはなれたところで遊んでいたのでしようか。
八月六日の夜がきたころから、あくる日も、その次の日も、夜は提灯をもつた人々が、河原に家族の者や親せきの者の名をよんで歩いたけれど、あなたを探しに來た人は一人もありませんでしたから。
六日の午後、河原にふり注いだ大粒の黒い雨に、あなたの小さい屍がたたかれていました。廣島全市は油の焔のように大きく高く燃えあがり、町はずれの中國山脈の手前の空に、虹がかかりました。そのじぶんから、あなたの死體のまわりで、ついでつぎつぎ人がたおれて死んで行つたのですよ。
小さいひとよ、あなたはあまりに小さくて、自分を死に誘つた戰爭がどのようなものであつたかを知らないまま、ああした姿になつたのですのね。
戰爭のなかで生れ、戰爭のなかで死んだ小さいひとよ、八月六日にあなたが河原にくるなり息をひきとつてから、二度目の原子爆彈が九日の午前十一時に長崎に投下され、つづいてソ連の宣戰布告が發表され、そして第二次大戰は十五日に終りとなりました。
それからちようど四年經ちました。私の左耳と背中の傷も、かすかな傷あとをのこしていまはなおつています。ですけれどふたたび徐々に、その傷あとが疼きはじめた氣がするのです。思えば耳と背の傷があの當時として、なおりにくく、普通の傷だつたら一週間で癒えるという傷をなおすのに三カ月間もかかりました。いつまでも膿がとまらず、切口がふさがりませんでした。
その筈で、あの日廣島にいなかつた人たちまでが、死體の片づけに田舍からでて行き、地上にのこつていたウラニューム放射線物質を吸つて、原子爆彈症に犯されたのですから。
私の負傷のあとは現在ほんとうは痛んでいません。皮膚の傷あとでなく、もつと深い内部で、こんにちの條件に刺戟されながら、疼きはじめているのです。
前の戰爭の痛手がまだ生活のあらゆる面にこびりついて消え去らないのに、いままた次の戰爭の恐怖を、かんじとらなければならないなんて、人間にとつてこれほど大きく深い苦痛がほかにあるでしようか。
歴史は私たちの眼の前で刻々に鋭く立體的になり、ひどく速くすすんでいることをかんじます。でもそれにふれてゆく苦痛のなかに、ただ一筋の希望と安心感が生れつつあることも、小さいひとよ知つていてください。
人は元來、たのしい、明るい、希望にみちたものでなくてはならないのですもの。
小さいひとよ、幼いあなたの年をわすれて、大人のことばでかいてしまいした。それほど私は夢中になつて云つたのでした。
●図書カード