Chapter 1 of 1

Chapter 1

空が曇っていました。

正ちゃんが、学校へゆくときに、お母さんは、ガラス戸から、外をながめて、

「今日は、降りそうだから雨マントを持っておいで。」と、注意なさいました。

「じゃまでしかたないんだよ。もしか、降ったら、一、二っと駈けだしてくるから。」と、答えて正ちゃんは、すなおにお母さんのいうことをききませんでした。

どこか、曇った空にも明るいところがあって、すぐに降りそうに思われません。お母さんは、新聞の天気予報には、どうなっているかとそれを見ようとなさっている間に、もう正ちゃんは、家を飛び出して、門を曲がってしまった時分であります。

「やはり、くもり後雨とある。なぜこう、いうことを聞かない人でしょう……。」と、お母さんは、ひとり言をされました。

まだ、正午にもならぬうちから、はたして雨は降り出しました。はじめは細かで、目にはいらぬくらいでしたが、だんだん本降りになってきました。いくら元気な正ちゃんでも駈け出してくるわけにはいかないのです。

「おとなしく、雨マントを持っていってくれればいいものを……。」

お母さんは、子供の身の上を心配なさいました。そして、もう学校の退ける時分に、女中に向かって、

「きくや、ご苦労でも学校までマントを持っていっておくれ。そして帰りに、どこか、げた屋へ寄って、あの鼻緒の切れたあしだの鼻緒をたてかえてきてくれない。」といわれました。

晩の仕度をしかけていた十八ばかりになる女中は、奥さまのいいつけに従って、さっそく汚れた前かけをはずして、出かける用意にとりかかりました。まだ、この家に奉公して、三月とたたないので、坊ちゃんの学校をよく知らないのです。それで、奥さまから道を聞いて、雨の降る中をげたをさげ、マントを抱えて出かけてゆきました。

もう、そろそろ授業が終わって、退けかかるので、おきくは、坊ちゃんが出てくるのを学校の入り口で立って待っていました。風の吹くたびに冷たい雨のしぶきが、彼女のほおにかかりました。天気のよくない日は、あたりが暗く、日がいっそう短いように思われたのです。小鳥がぬれながら、あちらの木の枝にとまりました。

「いまごろ弟は、どうしたろう……。」と、おきくは、故郷の小さな弟のことを思い出しました。

こちらへくるまでは、雨が降ったときは、やはりこうして弟を迎えにいったのでした。自分がこちらへきてしまってから、もはや降っても、だれも迎えにいってやるものがありません。母親は、まだ幼い弟の守りをしながら、内職に忙しいからです。そして、北国は、いま冬の最中でした。こちらは、梅の花が咲きかけているが、そして雪ひとつないが、北国は、明けても暮れても、雪が降っているのであります。

「ほんとうに、弟は、どうしているだろう? もう、学校から、家へ帰った時分かしらん。」

こんなことをぼんやりと考えているとき、坊ちゃんが、彼女を見つけて、

「ねえや、マントを持ってきてくれたの、ありがとう。」といって、元気よく受け取って被ると、お友だちといっしょに話しながら、さっさとおきくを後に残していってしまいました。彼女は、その活発な子供らしい姿を見送って、ほほえんだのでありました。

その夜のこと、明るいランプの下で、家の人たちは、楽しく語り合ったときに、正ちゃんはおきくに向かって、

「ねえや、おまえには弟があるの?」と、ききました。すると、彼女は、赤いほおに、笑いを浮かべて、

「今年九つになる弟があります。このごろは、雪の中を毎日、学校へいっていますでしょう。」と、答えました。

村から、学校へゆくには、原を越さなければならない。そこは、いつも風の強いところだ。あの小さいのに、どうして、そこを通うことだろうと思うと、彼女の心は、暗くなりました。

「そんなに雪が降るの?」と、正ちゃんは、目をまるくしたのです。

「たくさん降ります。三尺も四尺ももっと降ることがあります。」と、おきくは答えた。

「たいへんだね。」

「たいへんでございます。」

「どんな雑誌をとっているの……。」と、正ちゃんは、雑誌を見ながらききました。

「弟ですか? 雑誌なんかとっていません。貧乏で、とってやることができないのですもの。」

これをきくと、正ちゃんは、だまっていましたが、本箱の中から、幾冊かの雑誌を取り出してきて、おきくの前に置いて、

「僕の読んだ、古いのだけど送っておやりよ、ね。」と、しんせつにいいました。

「ああ、それはいいことだよ。」と、正ちゃんのお母さんもそばからいわれました。

「どんなにか、喜ぶことでしょう。」と、おきくはいって、いくたびも頭を下げたのです。

みんながやすんでから、彼女は自分のへやにはいって、ふるさとへ出す手紙をしたためました。それには、

「いまいる家の坊ちゃんは、やさしくて、おりこうで……。」と書いて、弟にいってやろうとしましたが、彼女は、ふと筆を止めて、考えました。そして、それを破りました。

小さな弟が、風と雪と戦って、やっと家に帰ると、すぐに末の弟の世話をさせられることを思うと、もう、なにもいうことができなかったからです。

「私がいなくなってから、弟が、お母さんの手助けをするのだもの……。」

彼女は、目に涙を浮かべました。そして坊ちゃんから、おまえにくだされたのだと簡単に書いて、それから、体を大事にするようにといってやりました。

●図書カード

Chapter 1 of 1