Chapter 1 of 12

それは、広い、さびしい野原でありました。町からも、村からも、遠く離れていまして、人間のめったにゆかないところであります。

ある石蔭に、とこなつの花が咲いていました。その花は、小さかったけれど、いちごの実のように真紅でありました。花は、目を開けてみて、どんなに驚いたでありましょう。

「なんという、さびしい世界だろう。」と思いました。

どこを見ましても、ただ、草が茫々としてしげっているばかりで、目のとどくかぎりには、友だちもいなければ、また、自分に向かって呼びかけてくれるようなものもありませんでした。すぐ、自分のそばにあった、黒みがかった石は黙り込んでいて、「寒いか。」とも、また「さびしいか。」とも、声をばかけてくれません。

小さな、気の弱いとこなつの花は、どうして自分から、この気心のわからない、なんとなく気むずかしそうに見える石に向かって声をばかけられましょう。

花は、独りでふるえていました。ただ、やさしい眸で、自分をいたわってくれるのは、太陽ばかりでありました。しかし、太陽は、自分ひとりだけをいたわってくれるのではありません。この広い野原にあるものは、みんな、そのやさしい光を受けていたのです。この石も、また、こちらの脊の高い草も、その光を浴びました。そして、それをありがたいともなんとも思っていないように平気な顔つきをしていました。しかし、太陽は、けっしてそれに対して気を悪くするようなことがなく、平等に笑顔をもってながめていました。

とこなつの花は、自分だけが、とくに恵まれたわけではないけれど、太陽に対して、いいしれぬなつかしさを感じていたのです。そして、どうかして、すこしでも長く、太陽の顔をながめていたいものだと願っていました。しかし、この高原にあっては、それすらかなわない望みでありました。たちまち、白い雲が渦を巻いて、空を低く流れてゆきます。それは、すぐに太陽を隠してしまうばかりでなく、あるときは、まったくそのありかすらわからなくしてしまうのでありました。

花は、この雲の出ることをいといました。しかし、そばにあった石や、あちらの強そうな脊の高い草は、平気でありました。花は、まだ、この雲は我慢もできましたけれど、寒い風と雨と、そして、息のつまるような濃い、冷たい、霧とを、どんなにおそれたかしれません。

「ああ、あの冷たい、身を切るような、霧の出ないようにはならないものか。」と、花は、しばしば、空想したのであります。

けれど、自然の大きな掟は、この小さい、ほとんど目に入るか入らないほどの花の叫びや、願いでは、どうなるものでもなかった。そして、夜となく、昼となく、深い谷底からわき起こる霧は転がるように、高い山脈の谷間から離れて、ふもとの高原を、あるときは、ゆるゆると、あるときは、駆け足で、なめつくしてゆくのでした。

その霧のかかっている間は、花は、うなされつづけていました。毒のある針でちくちく刺されるような痛みを、柔らかな肌に感じたばかりでなく、息苦しくなって、しまいには酔ったもののように、頭が重くなって、足もとがふらふらとして起っていられなくなるのでした。そして、全身に悪感を感ずるのでありました。

霧が去った後は、風に吹かれてぼたぼたと滴るしずくの音が、この広い野原に聞かれました。しかし、この苦痛は、この野原に生い立つすべての草や、石や、木の上にかかる運命でありました。せめても、とこなつの花は、そう思って、あきらめているのでありました。かたわらの石や、あちらの脊の高い草は、たとえ風に吹かれても、霧にぬれても、平気な顔つきをしていたのです。花は、それをうらやましくも、またのろわしいことにも思いました。

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