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甲板へ出て見ると、弦月丸は昨夜の間にカプリ島の沖を※ぎ、今はリコシアの岬を斜に見て進航して居る、季節は五月の中旬、暑からず寒からぬ時※、加ふるに此邊一帶の風光は宛然たる畫中の景で、すでに水平線上に高く昇つた太陽は燦爛たる光を水に落して金波洋々たる海の面には白帆の影一點二點、其間を海鴎の長閑に群り飛んで居る有樣などは自然に氣も心も爽かになる程で、私は昨夕以來のさま/″\の不快の出來事をば洗ひ去つた樣に忘れてしまつた。春枝夫人もいと晴々しき顏色で、そよ/\と吹く南の風に鬢のほつれ毛を拂はせながら餘念もなく海上を眺めて居る。日出雄少年は特更に子供心の愉快で愉快で堪らない、丁度牧塲に遊ぶ小羊のやうに其處此處となく飛んで歩いて、折々私の側へ走つて來ては甲板の上に裝置された樣々の船具について疑問を起し、又は母君の腕にすがつて遙かに見ゆる島々を指し『あれは子ープルスの家の三階から見へるエリノ島にその儘です事、此方のは頭の禿げた老爺さんが魚を釣つて居る形によく似て居ますねえ。』などゝいと樂し氣に見えた。
日は漸く高く、風は凉しく、船の進行は矢のやうである。私は甲板の安樂倚子に身をよせて倩々と考へた。昨日までは經廻る旅路の幾千里、憂き時も樂しき時も語らふ人とては一人もなく、晨に明星の清しき光を望み、夕に晩照の華美なる景色を眺むるにも只一人、吾と吾心を慰むるのみであつたが、昨日は圖らずも天外萬里の地で我同胞にめぐり逢ひ、恰も天のなせるが如き奇縁にて今は優美き春枝夫人、可憐なる日出雄少年等と同じ船に乘り同じ故國に皈るとは何たる幸福であらう。今度此弦月丸の航海には乘客の數は五百人に近く船員を合せると七百人以上の乘組であるが、其中で日本人といふのは夫人と少年と私との三名のみ、此不思議なる縁に結ばれし三人は之から海原遠く幾千里、ひとしく此船に運命を托して居るのであるが、若し天に冥加といふものが在るならば近きに印度洋を※る時も支那海を行く時にも、今日の如く浪路穩かに、頓て相共に※去の平安を祝ひつゝ芙蓉の峯を仰ぐ事が出來るやうにと只管天に祈るの他はないのである。
ネープルス港から海路數千里、多島海を※ぎ、地中海に入り、ポートセツトにて石炭及び飮料水を補充して、それより水先案内をとつてスエスの地峽を※ぎ、往昔から世界第一の難所と航海者の膽を寒からしめた、紅海一名死海と呼ばれたる荒海の血汐の如き波濤の上を駛つて、右舷左舷より眺むる海上には、此邊空氣の不思議なる作用にて、遠き島は近く見え、近き船は却て遠く見え、其爲に數知れず不測の禍を釀して、此洋中に難破せる沈沒船の船體は既に海底に朽ちて、名殘の檣頭のみ波間に隱見せる其物凄き光景を吊ひつゝ、進み進んで遂に印度洋の海口ともいふ可きアデン灣に達し、遙かにソコトラ島を煙波縹茫たる沖に望むまで、大約二週間の航路は毎日毎日天氣晴朗で、海波平穩で、十數年來浪を枕に世を渡る水夫共も未曾有の好航海だと語つた程で、從て其間には格別に記す程の事もない。たゞ二つ三つ記臆に留つて居るのは斯る平和の間にも不運の神は此船の何處にか潜伏んで居つたと見え、船のメシナ海峽を出んとする時、一人の船客は海中に身を投げて無殘の最後を遂げた事と、下等船客の一支那人はまだ伊太利の領海を離ぬ、頃より苦しき病に犯されて遂にカンデイア島とセリゴ島との間で死亡した爲に、海上の規則で船長以下澤山の船員が甲板に集つて英國の一宣教師の引導の下に其死骸をば海底に葬つてしまつた事と、是等は極めて悲慘な出來事であるが、他に愉快な事も二つ三つ無いでもない。
何處でも長い航海では船中の散鬱にと、茶番や演劇や舞踏の催がある。殊に歐洲と東洋との間は全世界で最も長い航路であれば斯る凖備は一層よく整つて居る。此弦月丸にも屡其催があつて私等も折々臨席したが、或夜の事、電燈の光眩ゆき舞踏室では今夜は珍らしく音樂會の催さるゝ由で、幾百人の歐米人は老も若きも其處に集つて、狂氣のやうに騷いで居る。禿頭の佛蘭西の老紳士が昔日の腕前を見せて呉れんとバイオリンを採つて彈くか彈かぬに歌の曲をハツタと忘れて、頭撫で/\罷退るなど隨分滑※的な事もあるが、大概は腕に覺えの歐米人の事とて、いづれも得意の曲を調べては互に天狗の鼻を高めて居る。私が春枝夫人と此席に列つた時には丁度ある年増の獨逸婦人がピアノの彈奏中であつたが、此婦人は極めて驕慢なる性質と見えて、彈奏の間始終ピアノ臺の上から聽集の顏を流盻に見て、折ふし鵞鳥のやうな聲で唱ひ出す歌の調べは左迄妙手とも思はれぬのに、唱ふ當人は非常の得色で、やがて彈奏が終ると小鼻を蠢かし、孔雀のやうに裳を飜へして席に歸つた。此次は如何なる人が出るだらうと、私は春枝夫人と語りながら一方の倚子に倚りて眺めて居つたが、暫時は何人も出ない、大方今の鵞鳥聲の婦人の爲めに荒膽を※かれたのであらう。忽ち見る一個の英國人はつか/\と私共の前へ進み寄つて。大聲に
『サア、今度は貴方等の順番です、日本の代表者として何かおやりなさい。』と喚く、滿塲は一度に拍手した。
「南無三。」と私は逡巡した。多の白晢人種の間に人種の異つた吾等は不運にも彼等の眼に留つたのである。私は元來無風流極まる男なので此不意打にはほと/\閉口せざるを得ない。春枝夫人も頻りに辭退して居つたが彼男も一旦言ひ出した事とて仲々後へは退かぬ。幾百の人は益々拍手する。此時忽ち私の横側の倚子で頻りに嘲笑つて居る聲、それは例の鷲鳥聲の婦人だ。
『何ね、いくら言つたつて無益でせうよ、琴とか三味線とか私共は見た事もない野蠻的な樂器の他は手にした事も無い日本人などに、如何して西洋の高尚な歌が唱はれませう。』などゝ態と聽えよがしに並んで腰掛けて居る年の若い男と耳語いて居るのだ。
「不埓な女めツ」と私は唇を噛んだ、が、悲哉、私は其道には全くの無藝の太夫。あゝ此樣な事と知つたら何故倫敦邊の流行歌の一節位いは覺えて置かなかつたらうと悔んだが追付かない、餘りの殘念さに春枝夫人の顏を見ると、夫人も今の嘲罵を耳にして多少心に激したと見へ、柳の眉微かに動いて、そつと私に向ひ『何かやつて見ませうか。』といふのは腕に覺のあるのであらう、私は默つて點頭くと夫人は靜に立上り『皆樣のお耳を汚す程ではありませんが。』と伴はれてピアノ臺の上へ登つた。忽ち聽く盤上玉を轉ばすが如き響、ピアノに神宿るかと疑はるゝ、其妙なる調べにつれて唱ひ出したる一曲は、これぞ當時巴里の交際境裡で大流行の『菊の國の乙女』とて、筋は日本の美はしき乙女の舞衣の姿が、月夜にセイヌ河の水上に彷徨ふて居るといふ、極めて優美な、また極めて巧妙な名曲の一節、一句は一句より華かに、一段は一段よりおもしろく、天女御空に舞ふが如き美音は、心なき壇上の花さへ葉さへ搖ぐばかりで、滿塲はあつと言つたまゝ水を打つた樣に靜まり返つた。
其調べがすむと、忽ち崩るゝ如き拍手のひゞき、一團の貴女神士ははやピアノ臺の側に走り寄つて、今や靜かに其處を降らんとする春枝夫人を取卷いて、あらゆる讃美の言をもつて、此珍らしき音樂の妙手に握手の譽を得んとめくのである。かの鵞鳥の聲の婦人は口あんぐり、眞赤になつて眼を白黒にして居る、定めて先刻の失言をば後悔して居るのであらう。此夜のピアノの響は、今も猶ほ私の耳に殘つて、※去の出來事の中で最も壯快な事の一つに數へられて居るのである。
其他面白い事も隨分あつた。音樂會の翌々日の事で、船は多島海の沖にさしかゝつた時、多の船客は甲板に集合つて種々の遊戯に耽つて居つたが、其内に誰かの發起で徒競走が始つた。今日、世界で最大な船は長さ二百三十ヤード、即ち町にして二町を超ゆるものもある、本船の如きも其一で、競走は前部甲板から後部甲板へと、大約三百ヤード許の距離を四回往復するのであるが優勝者には乘組の貴婦人連から美はしき贈物があるとの事で、英人、佛人、獨逸人、其他伊太利、瑞西、露西亞等の元氣盛んなる人々は脛を叩いて跳り出たので、私もツイ其仲間に釣込まれて、一發の銃聲と共に無二無三に驅つたが、殘念なるかな、第一着に决勝點に躍込んだのは、佛蘭西の豫備海軍士官とか云へる悽まじく速い男、第二着は勤務のため我日本へ向はんとて此船に乘組んだ伊太利の公使館附武官の海軍士官、私は辛じて第三着、あまり面白くないので、今度は一つ日本男兒の腕前を見せて呉れんと、うまく相撲の事を發議すると、忽ち彌次連は集まつて來た。彌次連の其中から第一に私に飛掛つて來た一人は、獨逸の法學士とかいふ男、隨分腕力の逞ましい人間であつたが、此方は多少柔道の心得があるので、拂腰見事に極つて私の勝、つゞいて來る奴、四人まで投げ倒したが、第五番目にのつそりと現はれて來た露西亞の陸軍士官、身の丈け六尺に近く阿修羅王の荒れたるやうな男、力任せに私の兩腕を握つて一振に振り飛ばさんず勢、私も之には頗る閉口したが、どつこひ待てよ、と踏止つて命掛けに揉合ふ事半時ばかり、漸の事で片膝を着かしてやつたので、此評判は忽ち船中に廣まつて、感服する老人もある、切齒する若者もあるといふ騷ぎ、誰いふとなく『日本人は鐵の一種である、如何となれば黒く且つ堅固なる故に。』などゝ不思議なる賞讃をすら博して、一時は私の鼻も餘程高かつたが、茲に一大事件が出來した、それは他でもない、丁度此船に米國の拳鬪の達人とかいふ男が乘合せて居つたが、此噂を耳にして先生心安からず、『左程腕力の強い日本人なら、一番拳鬪の立合ひをせぬか。』と申込んで來た。
私は拳鬪の仕合ひは見た事はあるが、まだやつた事は一度もない、然し斯く申込まれては男の意地、どうなるものかと一番立合つて見たが馴れぬ業は仕方がない、散々な目に逢つて、氣絶する程甲板の上に投倒されて、折角高まつた私の鼻も無殘に拗折られてしまつた。春枝夫人は痛く心配して『あまりに御身を輕んじ玉ふな。』と明眸に露を帶びての諫言、私は實に殘念であつたが其儘思ひ止つた。一時は拳鬪のお禮に眞劍勝負でも申込んで呉れんかとまで腹立つたのだが。
拳鬪の翌日また一騷動が持上つた。それは興行のためにと香港へ赴かんとて、此船に乘組んで居つた伊太利の曲馬師の虎が檻を破つて飛び出した事で、船中鼎の沸くが如く、怒る水夫、叫ぶ支那人、目を暈す婦人もあるといふ騷ぎで、弦月丸出港のみぎりに檣燈の微塵に碎けたのを見て『南無阿彌陀佛、此船には魔が魅つて居るぜ。』と呟いた英國の古風な紳士は甲板から自分の船室へ逃げ込まんとて昇降口から眞逆に滑落ちて腰を※かした、偶然にも船の惡魔が御自分に祟つたものであらうか。虎は漸の事で捕押へたが其爲に怪我人が七八人も出來た。
かゝる樣々の出來事の間、吾等の可憐なる日出雄少年は、相變らず元氣よく始終甲板を飛廻つて居る内に、ふとリツプとか云ふ、英吉利の極めて剽輕な老爺と懇意になつて、毎日々々面白く可笑く遊んで居る内、或日の事其老爺が作へて呉れた菱形の紙鳶を甲板に飛ばさんとて、頻に騷いで居つたが、丁度其時船橋の上で、無法に水夫等を叱付けて居つた人相の惡い船長の帽子を、其鳶糸で跳飛ばしたので、船長は元來非常に小八釜しい男、眞赤になつて此方に向直つたが、あまりに無邪氣なる日出雄少年の姿を見ては流石に怒鳴る事も出來ず、ぐと/″\口の中で呟きながら、其ビール樽のやうな身體を轉ばして、帽子の後を追ひかけた話など、いろ/\變つた事もあるが、餘り管々しくは記すまい。
かくて吾等の運命を托する弦月丸は、アデン灣を出でゝ印度洋の荒浪へと進入つた。
第六回 星火榴彈
難破船の信號――イヤ、流星の飛ぶのでせう――無稽な三個の船燈――海幽靈め――其眼が怪しい
荒浪高き印度洋に進航つてからも、一日、二日、三日、四日、と日は暮れ、夜は明けて、五日目までは何事もなく※去つたが、其六日目の夜とはなつた。私は夕食後例のやうに食堂上部の美麗なる談話室に出でゝ、春枝夫人に面會し、日出雄少年には甲比丹クツクの冐瞼旅行譚や、加藤清正の武勇傳や、また私がこれ迄の漫遊中の失策談などを語つて聽かせて、相變らず夜を更かしたので、夫人と少年をば其船室に送り込み、明朝を約して其處を去つた。
印度洋中の氣※程變化の激しいものはない、今は五月の中旬、凉しい時は實に心地よき程凉しいが、暑い時は日本の暑中よりも一層暑いのである。殊に今宵は密雲厚く天を蔽ひ、四邊の空氣は變に重々しく、丁度釜中にあつて蒸されるやうに感じたので、此儘船室に歸つたとて、迚も安眠は出來まいと考へたので、喫煙室に行かんか、其處も暑し、寧ろ好奇ではあるが暗夜の甲板に出でゝ、暫時新鮮の風に吹かれんと私は唯一人で後部甲板に出た。此時時計の針は既に十一時を廻つて居つたので、廣漠たる甲板の上には、當番水夫の他は一個の人影も無かつた、船は今、右舷左舷に印度洋の狂瀾怒濤を分けて北緯十度の邊を進航して居るのである。ネープルス港を出づる時には笑めるが如き月の光は鮮明に此甲板を照して居つたが、今は日數も二週あまりを※ぎて眞の闇――勿論先刻までは新月の微かな光は天の奈邊にか認められたのであらうが、今はそれさへ天涯の彼方に落ちて、見渡す限り黒暗々たる海の面、たゞ密雲の絶間を洩れたる星の光の一二點が覺束なくも浪に反射して居るのみである。