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近代医学の興隆
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近代医学の興隆
オスラーウイリアム
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译文 Pagera AI
原文 Public Domain
Chapter 5 of 37

アッシリアとバビロニアの医学

医学の興隆において同じように重要なのは、ほぼ同じころのメソポタミア文明である。この国の科学はナイル川沿岸よりもずっと高度な段階にあった。宇宙の詳細な体系が考えられていた。これは神の意思によって作られた体系であって、天と地を同様に導き制御する法則が初めて認められた。ここでも医術は宗教に付属していた。病気は悪い霊すなわちデーモンによるものであった。「これらの『デーモン』は現在の『病原菌』とか『微生物』に相当するものであり、僧侶が唱える呪文は古代における医師の処方に相当するものであった。病気によって呪文は異なり、大衆にとって神秘的なことは、現在の医師の処方は判らないが、信頼する患者にとっては神秘的なのと同じである。実際のところ、この神秘的な性質はデーモンを追い出すと考えられる呪文に力を加えた。呪文を唱えると一緒に医薬品による治療が行われたが、エジプト人やバビロン人のように古めかしい古代の国で、普通の病気の診断や治療にかなりの進歩が見られ、後になり広範な薬理学の発展に導かれた。しかし病気の治療が僧侶の手にある限り、儀式にともなって同情的魔術の頭の下に都合よく纏められた聖なる祭文は、処方された薬の摂取と同じように重要なものとみなされた。」(14)

第7図 ヒツジの肝臓の粘土モデル(バビロニア、紀元前約2000年)および青銅モデル(エトルリア、紀元前3世紀)

第8図 ヒツジの肝臓の図。現在の解剖用語とそれに対応するバビロニア語

バビロニア医学と関係して3つの興味ある点を述べることにしよう。解剖学についての最初に記録された観察は予言の術、すなわちある徴候を解釈して将来を研究すること、に関係している。研究者は2種の予言の方法を区別する。第1は無意識なものであって、天の現象や夢などのように我々に注目を迫る徴候の解釈である。他は意識的な予言すなわち徴候を探し求める方法、もっと言うと犠牲に捧げた動物の観察によるものである。この方法はバビロン人のあいだでは特に発展していて、この宗派はエトルリア人、ヘブライ人、そして後にはギリシア人、ローマ人に広がった。

観察した犠牲動物の臓器のうちで、肝臓は大きさ、位置、血液の豊富なこと、から身体の最も重要なものとして古代の観察者たちを感銘させた(第7図)。血液の多いことから恐らく生命の存在部位(座)、すなわち魂の存在部位として実際に認識された。肝臓はこの重要な位置から何世紀にもわたり動かされることはなく、ガレノス生理学では心臓および脳とともに自然精気、動物精気、生命精気、の3重の制御を分けあっていた。文献の表現はこの信念がいかに堅固であったかを示している。バビロン人のあいだで「肝臓」という言葉は賛歌や文章で使われ、我々が「心臓」という言葉を使うのと同じであった。ヤストロフはヘブライ語、ギリシャ語、ラテン語における数多くの使用例をあげている。

犠牲動物でこの重要な臓器を観察することによって、未来に起きる事柄の経過を予言できるという信念が生まれた。「生命の座としての犠牲動物の中にある生命または魂は、動物体内における神的な要素であり、捧げられた動物を受け取ることによって、神は自己をその動物と同じとみなす、いわば同一になる。この動物の生命はその人自身の生命の反映であり、人の運命は神に依存するので、もしも人が神の心に入ることに成功できて神が何をしようとするか確かめたら、将来がどのように蓄えられているかの問題を解く鍵が見つかっているであろう。肝臓は活力の中心である、すなわち心の座であり、従って感情の座でもあるので、犠牲動物の場合には犠牲を受け取った神の心と直接に同じであったり、いずれにしても神の心が写されるか、または他の比喩を使うとすると第2の時計と共感的で完全に同期する時計、となる。従って犠牲動物の肝臓を読むことができると、いわば神の意思の仕事場に入ることになる。」(15)

肝臓の観察はこのようにバビロン人のあいだでは著しく複雑であり、ヒツジの肝臓が研究され、占いの儀式において肝葉、胆嚢、上葉の突出、および斑紋を異常なほどの注意をもって観察された。ここに示した最も古い解剖モデルは紀元前2000年ごろの占い文がついているヒツジ肝臓の粘土製である。ヤストロフはバビロン人の用語に対応して現代解剖用語を記載している(第8図)。何らかの点で決定に達するにあたっては、肝臓の観察の現象を注意深く記録し、その解釈はどちらかと言うと自然で独創的な考えによってなされた。たとえば胆嚢の右側がふくらんでいたら王の軍隊の力は増していて、都合の良い状態である。もしも左側であったらどちらかと言うと敵が成功していて、都合が悪い。もしも胆管が長かったら長命を示している。胆石はしばしば預言書に述べられていて、都合が良いこともあるし悪いこともある。書記によって種々な解釈が集められて参考ノートに書きこまれて、前兆を解釈するガイドや寺院学校における教育のための教科書に使われる(ヤストロフ)。

予言術は近在の諸国に広がった。この行為について聖書に多く記載されている。モアブとミディアンの兄たちは「予言の謝礼を手にして」バラムに来た(民 xxii, 7)。ヨセフの予言カップがベニヤミンの袋にあった(創 xliv, 5, 12)。バビロニア王が分れ道に立って肝臓を見た(エゼ xxi, 21)。肝臓の観察はまたエトルリア人によって行われ、彼らからギリシア人とローマ人に広がり、多かれ少なかれ意味のない形になった。しかしヤストロフによるとバビロニアおよびアッシリアで肝臓は何千年において予言の唯一の臓器として絶えず使われて、この儀式が衰えたり僧侶によって誤用された徴候は無いとのことである。

ローマ時代にフィロストラトゥスはテュアナのアポロニオスが皇帝にたいして魔法を行うにあたって、少年を犠牲にして肝臓観察をしたとして告発されたことを書いている(16)。「肝臓は専門家の言うところによると予言において神託を告げる祭壇そのものではないし、純粋な血液だけからなるものではない。心臓はすべての汚染した血液を留めて、動脈である導管を通じて全身を潤しているからである。これにたいして胆嚢は肝臓の近くにあり、怒りにより刺戟され、恐れによっては弱められて、肝臓の窪みに入る。」

暗闇の神秘力にたいして魔除けやお守りがいかに古くから広範囲に信じられてきたかをこれまで見て来た。極めて強固に信じられてきたことを示すのは「邪視」、すなわち見ることによって他人に害をする個人の能力、である。古い文明では一般的に信じられ、聖書に記され、ギリシアとローマに移り、今日でもヨーロッパの多くの所で熱心に信じられている。今日でも邪視にたいしてイタリアで使われている「コルナ」は人差し指と小指を立てて中指と薬指をたたみそこへ親指を添えるジェスチャーであって、ローマ人がレムーラーリア(*死者の霊を追い出す祭り)で使ったものである。米国でもこれを見ることがある。中部ペンシルバニアからフィラデルフィアの神経病病院に来ていた半身麻痺の子供の両親は子供が邪視を受けたためであると信じていた。

バビロニアおよびアッシリアによる医学への第2の貢献は、天体が人間の福祉に影響を及ぼすことに関連したものであり、人類に深い影響を及ぼした。星の経路が人間の為に働くか、または反対して戦うという信念は、文明の初期に起きたものであり、占星術および数学の研究から直接に生まれたものである。「神の光栄を告げる」天体すなわちマクロコスモスはミクロコスモスすなわち人の毎日の生活を鏡として反映する。最初の段階は太陽、月、星をパンテオンの神々と同定することであった。アッシリアの天文学的観察は実際的な知識が著しく発達していた。太陽、月、星の運動が研究された。アッシリア人たちは秋分、春分や天文学の基本法則の重要性を知っていて、現代の天文学の用語は彼らの発見に基づいている。彼らの時代に黄道(ゾディアック:獣帯)の象徴は現在でも実際に使われている12の星座の名前に一致していて、それぞれの領域はさそり、雄羊、双子、などのような神を象徴していた。「天体の変化は……大地における前兆。聖書の『天軍』という表現は宇宙の星についてのバビロニア占星術者の概念を尊重して表現したものである。月、遊星、星は不変の活力を持った軍隊であって、熟考および既定の目的を持つ観察の結果として軍隊活動を行っていた。バークとか占星術師としてだけでなく肝臓の『調査官』として『調査官』と呼ばれた僧侶はこの目的を見つけるのが機能であった。このために(*占星術)の体系が進歩した。これは本章で前に解析した肝臓観察の体系にくらべるとあまり論理的ではなく詳しくはなかったが人が神々の心を覗き込みたいという心からの希望およびバビロニア―アッシリアの占星術が古代世界に広がった影響の例として注目する価値がある。」(ヤストロフ)(17)

ペルシア人による合理化影響に伴って占星術の影響は弱まり、ヤストロフによるとヘブライおよびギリシアの考え方の結合によって、僧侶たちはペルシアの占領が続く3世紀のあいだに占い師としての職業と天文学者としての職業を交換するようになり、ここで宗教と科学の確執が始まった。最初に原始科学である占星術の表現はまだ人間の心が立ち去ってはいない迷信となった。占いと違って占星術はヘブライ人にはあまり感銘を与えなかったようであり、はっきりとした記載は聖書に殆ど存在しない。占星術はバビロニアからギリシアに移入されたものの、ギリシア医学にはとくに影響を与えなかった。英語には disaster(=災難)のように星と関係するギリシア語由来の単語が少なくない。

ヨーロッパへの占星術の導入に目下の興味がある。明らかにギリシア人はバビロニア人と接触する前に天文学で重要な進歩をとげていた。バビロニア人がギリシア人から宇宙の科学的概念を得たことの可能性は全く高い。「バビロニアとアッシリアでは占星術が最初で天文学が後であったが、ギリシアでは逆であった。天文学が最初で占星術は後であった(ヤストロフ)。」

ギリシア人に接触する前に、個人に関係する占星術すなわち個人が生まれたときの星の状態を読むことは、バビロニア人やアッシリア人の宗派で行われていなかったことを知って驚く。ギリシア人は個人主義精神によって、彼の神が彼の生涯のすべての活動を記載していて、彼の前もって定められている運命は星によって読むことができると考えていた。「個人と天の動きの関係は共通に持っている元素に見出された。人も星も逃れることができない力に従っていた。天体を制御している不変の法則は全ての個人が生まれたときから同じように従っている不変の法則に対応していた。人は自然の一部であり、その法則に従っていた。従って次の思想が出てきた。すなわち、もしも個人が生まれたときの天の条件を研究すると、その人の将来は生まれたとき、または他の見解によれば妊娠したときに出るまたは見える天体の位置に関係するという信念によって解決される。これらの見解はバビロニアのバル僧侶が発展させた占星術体系に我々を導く。この改良された体系の基礎はバビロニアで見たものと同じであり、天の動きと個人の生涯とは似ているとするものである。ただ天と地のあいだに連関はあるが、ギリシアでは神に予知できない急変が無い代わりに、全宇宙を制御する不変の運命があるとしている(ヤストロフ)。」

この時からルネッサンスまで占星術は影のように天文学に従っていた。同じことの2つの様相として、一方で天文学に相当している自然占星術は天の研究を行い、他方で判断占星術は星占いの役割を持ち星で個人の運命を読むことに関係している(*前者は医学占星術として教会により容認されていたが後者は異端とみなされていた)。

前に述べたように輝かしい時代のギリシア科学は占星術の悪い様相とは完全に関係が無かったようであった。ギルバート・マレイは「占星術はギリシア人の心にとってある遠い島の人に新しい病気が落ちてきたようなもの」と言っている。しかしギリシアがローマ人の心を征服したときに占星術は重要な役割を果たした。偉大なギリシア化運動の一部として占星術がローマに来て、これが盛んになったことは紀元前2世紀の中葉にすでに占星術者にたいする布告が出されたことに示される。最近に刊行されたマニリウス(1世紀ごろのローマの詩人)のアストロノミコン第2巻への解説で、ギャロッドはこの宗派の進展を追ってこれがローマ帝国で流行していたことを示した。「これらの天の標識は我々から遠く離れているが、彼(神)はこれらの(*天の)影響を感じさせて、国々にその生活と運命を与えそれぞれの人に個人の性質を与えている。」(20)神託は木を植えるのからウマの交配まですべての場合に求められ、星の学問は一般人の考えから宗教のすべての段階で深く影響した。大プリニウス(21)が言っているように占星術の専門家はカルデア人、エジプト人、ギリシア人であった。エトルリア人もまたローマの専門占い者であってこの科学を育てた。これらの「占いをするイシス女神(Isiaci conjectores)」および「彷徨う占星術師(astrologi de circo)」は価値のないペテン師であったが、全体的にこの科学はこの時代の人たちに注目された。古典学者ギャロッドはタキトゥスの注目すべき文章を次のように引用している。「私の判断は動揺している。これが運命であり人の経過の変化を支配する必然的な不変のものであるか、または偶然に過ぎないかを敢えて言うことはできない。古代の賢人たちのあいだでも彼らの猿真似をする人たちのあいだに意見の相違があることを見るであろう。我々の始まりから終わりまで、すなわち人間そのもは神と全く比べ物にならないことで、多くの人の考えは一致している。悪人は栄え善人は苦難に出会う。他の人たちは運命とこの世界の事実は一緒に作用すると信じている。しかしこの関係を彼らは星の影響に求めないで自然の原因の連鎖に求める。我々は自由な生活を選ぶ。しかしひとたび選択がなされると我々を待つものは固定され整然としたものになる。善と悪はそれらについての一般的な意見とは違う。しばしば、不幸と戦うものは祝福されたものと考えられる。しかし多くのものは繁栄しているにしても不幸である。勇気をもって不幸と戦うことが必要であり、愚者は富の中で駄目になる。これらの競争相手の学派の外には街の人がいる。誰も彼から生まれたときに将来が決まっているという確信を奪うことはない。予言したことと違うようなことが起きたら、知らないことを話した人が騙したのである。過去においても現在にも輝かしい証明のある科学を軽蔑したのである。(年代記. vi, 22)」

カトーはギリシア医師に戦をいどみ「占い者」(haruspex, augur, hariolus, Chaldaeus)になることを禁じたが、成功しなかった。信念が広がっていてストア哲学者のうちで大哲学者のパナエティウスと彼の2人の友達だけが占星術は科学であるという主張に反対した(ギャロッド)。数学もまた予言に密接に関係すると見られて冷遇され、数学者に死刑宣告をするテオドシウス法が通過した。中世までの長い期間における占星術と予言とのあいだの同じ邪悪な同盟が数学を疑わしいものと考えさせ、哲学者アベラールさえも数学を邪悪な研究と呼んでいる。

第9図 ハムラビ法典(紀元前約2000年)

バビロニア医学の3番目に重要な点は有名なハムラビ法典(紀元前2000年ごろ)が提供する事実である(第9図)。これは民法および宗教法の法律集であり、多くは医師に関係している。この驚くべき文書は8フィートの黒閃緑石からなり、嘗ては表面に21段、裏面に16段および28段、全部で2540行あったが、現在では1114行が残っている。上部には太陽神からこの法律を受け取った王の像が飾られている。このコピーの幾つかがバビロビアに置かれていて、「虐待または傷つけられて苦しみを語ることができるものは誰でも、ここに来て正義の王のこの像の前に立って、王の価値のある命令を読み、ここに書かれた記念碑から問題を解決するように」(ヤストロフ)とのことであった。この法典が制定されていることから、医師が高度に組織化されていたに違いないことを知る。医療が詳細な点まで管理されただけでなく報酬の額まで定められ、医療過誤にたいする罰も定められていた。手術が行われ、獣医の医療も認められていた。「眼には眼を、骨には骨を、歯には歯を」というこの法典の驚くべき特徴である「報復法(lex talionis)」を現在の我々が逃れていることは幸福であり興味深い。

この法典にある幾つかの法律を引用しよう。

215項 もしも医師が紳士の重い傷を青銅のメスで処置してその男を治したり、紳士の眼の膿瘍を青銅のメスで開いてその紳士の眼を治したら、銀10シェケルを受け取る。

218項 もしも医師が紳士の重い傷を青銅のメスで処置してその男を死なしたり、紳士の眼の膿瘍を青銅のメスで開いてその紳士の視力を失わしたら、彼の手を切る。

219項 もしも医師が貧しい男の奴隷の重い傷を青銅のメスで処置してその男を死なしたら、彼は奴隷の代わりに奴隷を与える。

220項 もしも医師が彼の膿瘍を青銅のメスで処置してその男の視力を失わしたら、彼はその奴隷の半値の金を払う。

221項 もしも医師が紳士の滅茶苦茶になった手足を治したり胃腸病を治したら、患者は銀5シェケルを医師に払う。

224項 もしもウシの医師またはヒツジの医師がウシまたはヒツジの重い傷を処置して治したら、ウシまたはヒツジの所有者は銀6分の1シェケルを医師に治療代として払う(22)。

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