Chapter 1 of 4
第一 韓非の傳
本書の著者韓非は、韓の公室の一族なり。其の人となり、吃にして辯説に拙なれども、文筆に長ず。李斯と與に荀卿の門に學ぶ。李斯其の才能の及ばざるを以て窃かに之を畏る。當時の氣運は、既に戰國一統の任務を、秦に與へたるの時にして、韓國は日に侵略せられ、其危きこと累卵の如き状態なり。然るに韓王(名は安)は法制を明かにして、臣下を御すること能はず、其の外交政略は、徒らに合縱連衡の説客に動かされて、一定の方針なし。韓非之を傍觀するに忍びず、數ば書を上りて之を諫めたれども、用ひられず。是に於て孤憤、五蠧、説難諸篇すべて五十餘篇を著はす。其文詞雄健峭直にして、頗る人情の機微を穿ち、時勢の肯綮に適す。秦王(始皇帝)偶之を覽て、大に其才を賞嘆して曰く、寡人もし此人と與に遊ぶを得ば、死すとも恨みずと。是に於て兵を發して韓を攻む。韓王始めて非の言の虚ならざるを知り、之を秦に派遣して、交渉の人に當らしむ。秦王之を悦びたれども、外人なれば未だ十分に信用せず。然るに李斯以爲へらく、韓非もし重用せらるゝときは、自己の地位を奪ふに至るべしと。乃ち姚賈と與に韓非を讒して曰く、大王は韓非を悦ぶも、本と是れ外國の臣なり、豈に我秦の爲に利を計るものならんや、さりとて之を本國に追ひ歸へさば、我秦の状況を泄らすに至るべし、法律に照して之を誅すべしと。(姚賈と韓非との關係は戰國策秦策下を見よ)秦王之を聽きて獄に下し、其罪跡を審判せしむ。韓非自ら陳疏せんとするも、李斯は之を隔てて上聞に達せしめず、且つ毒藥を遣りて其自殺を諷す。秦王後に悔い赦命を下ししも、韓非すでに死したり。其年月詳かならずと雖も、大略秦王の十三年頃にして、西暦紀元前二百三十四年に當る。