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藤森直子は写真のモデルとしてたいへんに優秀だった。彼が求めたポーズの再現を見事にこなしただけではなく、自らも原田にアイディアを提案した。レンズのためにごく軽く演技をすることも、彼女には自在に出来た。常に彼女自身であると同時に、ほんの少しだけ演技の加わった彼女でもあるという二面性は、写真のなかに固定された彼女にとって、謎としての奥行きに転換された。
モデルとしての直子の良さは、要するに肉体の出来ばえである、という結論に原田裕介は到達した。肉体の出来ばえとは、それが置かれている状況やポーズそして服装などが、写真を見る人の気持ちのなかに呼び起こす、意味あいの微妙さや深さだった。写真のなかの彼女がそのようにして謎であり続けることによって、それを見る人が読み取ろうとする意味が、すぐにも解読出来そうに見える謎として、一定以上の距離のところに維持された。そして彼女の冷たく美しい顔立ちは、謎を常に補強する機能を果たした。
喫茶店の定休日ごとに撮影をおこなった。六、七、八月の三か月、一度も休まずに撮影は続いた。撮ったフィルムは自宅で彼がすぐに現像し、すべてをおなじ大きさの印画紙にプリントした。そして次の定休日に、客のいない喫茶店のテーブルで、直子とふたりで点検した。そのようにしてひと夏が経過した。
一回の撮影ごとに、五点は選び出すことが出来た。三か月分だと、選ばれたプリントの数は六十枚を越えた。このなかから原田は四十枚を選んだ。彼女の喫茶店と自宅の、内部や庭での写真がおよそ半分、そして残りの半分が外で撮ったものだった。その四十枚を一点ずつ黒い台紙に貼った原田は、九月第一週の定休日の夕方、直子の喫茶店へ持っていった。自分できめた順番どおりに、彼はその四十点の写真を彼女に見せた。
ひととおり観察した直子は、
「私はいやらしい女に見えるわ」
と言った。
「ご自分ではそう思うのですか」
「思うわよ」
「僕には謎の女性に見えます」
「どこが謎なの?」
「ぜんたいです」
「謎でもなんでもないのよ」
「この四十点でほぼきまりです。撮影はもう終わりです。プリントを整理し、さらによく考え、最後にはやはり四十点を残して、それで完成です。台紙に一枚ずつ貼って、一冊に製本します。卒業制作として提出するつもりです」
「写真家になったら、あなたはこんなふうに、写真を撮り続けることになるの?」
「いろんなものを撮るはずです」
「そうでしょうね。次々に撮るのね」
「十五日から新聞社でアルバイトが始まります。卒業と同時に入社することになるかもしれません」
「新聞社の写真班の人になるの?」
「面白い経験だと思います」
「夏はあっけなく終わったわね。もう九月なのよ」
「いい夏でした」
「私もよ」
「終わってしまうと、寂しい気持ちです」
彼のその言葉に、直子は四十点の写真を示した。そして、
「これが終わっただけなのよ」
と言った。おなじ手で西側の窓を示した。
「ほら、見てごらんなさい。日が短いのよ。この時間でこんなに暮れてるのよ」
直子は椅子を立った。その窓まで歩いていき、外を見た。自分を見ている原田の視線を体でたぐり寄せるかのように、直子はテーブルまで戻って来た。彼のすぐそばに彼女は立った。彼女の腕が彼の肩に軽く触れた。台紙に貼ったすべての写真、そしてそれが入っていた事務封筒を、彼女は片手に持った。
「いらっしゃい」
と、低い声で言った。
椅子を立った彼の手を取り、彼女は店のドアへ歩いた。彼とともに外へ出て、ドアに鍵をかけた。坂道を上がり、店のすぐ裏の高台にある自宅に、彼女は彼を招き入れた。
カフェ・テーブルに写真を置いた直子は、いちばん最初の写真と最後の写真とを、ならべてみた。
「ここからスタートして」
最初の写真を指さして彼女はそう言い、
「ひと夏をふたりで通過して、ここへ到達したのね」
と、最後の写真を指さした。
最後の写真は最初の写真とよく似ていた。この自宅の寝室で、午後遅く、最初の写真とほぼおなじ時間に撮った。窓に向いて立っている直子は上体を左へねじり、スカートのウエストの左側にあるフックをはずし、そこからジパーをなかば降ろした位置に、両手の指が止まっていた。ふたりで相談してきめたポーズだった。
「そしてここからまた、次のことが始まるのよ」
直子は原田の手をとり、テーブルを離れた。居間を横切り、テラスに面した窓およびドアの前を歩き、寝室のドアを開いてふたりでなかに入った。片手に彼の手をとったまま、彼女はドアを閉じた。窓の前の、最後のショットとおなじ位置に、直子は立った。
「よく見てて。ここから始まるのよ」
上体を軽く左へねじり、スカートの左のウエストに隠れているフックに両手の指先をかけ、フックをはずした。その動きの延長としてジパーを完全に降ろし、スカートのなかから半袖シャツの裾を引き出し、下からボタンをはずしていった。そしてシャツを脱ぎ、かたわらの椅子に落とした。彼を振り返った直子は、彼がこれまでに見たもっとも美しい動作で、スカートを脱いだ。