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ラハイナまで来た理由
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ラハイナまで来た理由
片岡義男
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译文 Pagera AI
原文 Public Domain
Chapter 2 of 29

片仮名ではスパム・アンド・エッグス

「なににしましょう」

と、彼女が聞いた。彼女の名はたしか菊江さんのはずだ。中年の強さを持続させつつも、いまは明らかに年配の、日系二世の女性だ。目尻のつり上がった紫色の縁に、ラインストーンの飾りを散らせた眼鏡を、彼女はかけている。この眼鏡を含めて、彼女のような人がゆっくりと、いまのハワイで絶滅危惧種へと向かいつつあった。

「スパム・アンド・エッグスです。卵はふたつ、ワンス・オーヴァー。スティームド・ライスを添えてください」

「エニシング・エルス?」

「トマト・サラダをください。ドレッシングなしで。パイナップル・ジュース。そして大きなマグのコーヒー」

「OK。出来たら呼ぶから」

僕は店の外へ出た。店は彼女ひとりの調理場と、客が注文するカウンターだけの、小さなものだ。食べる場所は外にあった。スーパー・マーケットとつながった渡り廊下のかたわらに、陽よけの天蓋のような屋根が四角に張り出していた。それが作る日陰のなかに、ベンチと横長のテーブルが、いくつか配してあった。

ベンチまで歩いて僕はその端にすわった。晴天のラハイナの朝、九時過ぎの風が吹いた。ショッピング・センターの四角いコンクリートの建物、そしてそれと陽ざしのなかで向き合っている駐車場などを、僕は眺めた。停めてある自動車すべての屋根が、陽ざしを跳ね返して硬く輝いていた。自分のオールズモビールを視線で探していると、

「出来たわよ」

と、店のなかから彼女が呼んだ。僕は店へ朝食を受け取りにいった。大きな皿にひとつ盛りにした、スパム・アンド・エッグスとスティームド・ライス。それを右手に、そして左手にはコーヒーのマグ。引き返してトマト・サラダとパイナップル・ジュース。

使い捨てのプラスティックのナイフとフォーク、そしてスプーンをひと組にしたものを、透明なヴィニールに封じ込めて大きなロールに巻いたものが、ドアのかたわらに吊るしてあった。そこへいって僕はひと組、ヴィニールのミシン目からちぎった。僕はテーブルへ戻った。

今朝のこのスパム・アンド・エッグスは、亡き父親にちなんでいる。若い頃の彼がハワイ、カリフォルニア、ネヴァダなどで苦労していたとき、もっとも標準的な食事からひとつだけ下に位置していた、したがってしばしば食べざるを得なかった食事が、スパム・アンド・エッグスだった。当人がそう言っていた。

作りかたなどありはしない。四角いあの缶を開き、ナイフを斜めに突き立ててランチョン・ミートの固まりをなかば引出し、一センチほどの厚さで三枚、バターを敷いたフライパンにスライスする。裏表ひっくり返しながら、よく火をとおす。出来たらそれを皿に移し、おなじフライパンを使って卵をふたつ、フライする。この場合の卵は、ワンス・オーヴァーがいちばんいいと僕は思う。おなじ皿にご飯を盛るのが正式だよ、と父親は笑っていた。

今日の朝食をなぜ僕は父親にちなむのか。四十数年前、幼友達のシスコ・アカミネに父親が貸したままだったアロハ・シャツを、昨日、シスコは僕に返してくれた。そのシャツをいま僕は着ている。だから父親にちなんで、この朝食だ。

食べ始めた僕は、父親がチャーハンをうまく作ったことを、思い出した。ご飯しかないときには、葱を細かく刻んで具にして、父親はおいしいチャーハンを作った。すべては塩かげんなのだ。ご飯と葱を素材に、あとは食用油と塩。

ふにゃっと曲がる薄いプラスティックのナイフでも、スパムは切りやすい。いくつかサイコロに切っておく。卵の表面を十文字に切り裂き、フォークにスパムのサイコロをひとつ突き刺し、卵の黄身をつけて口に入れる。卵に塩をかける必要はない。スパムの塩味が、サラダのトマトまでをもカヴァーする。

食べながら僕は移民船のことを思った。これも父親が語ってくれたことだ。日本からハワイへ移民していく人たちが、船のなかで何度も食事をする。味噌汁が出る。しじみの味噌汁のときは、全員によそい分けるのに時間がかかるんだ、と父親は言った。全員の汁碗にまず汁だけをよそう。そのあと、しじみの数を数えながら、全員に等しい数のしじみがいきわたるように、配っていく。架空のこと、つまり笑い話なのか、それとも本当のことなのか。僕は後者だと思っている。

スパムの不自然さが一方の極にあるとするなら、マウイのトマトの力強い自然さが、もう一方の極にある。その両極を取り持つのは、卵とパイナップル・ジュースだ。そしてぜんたいをコーヒーがくるみ込む。これはこれで良しとしなければならない。それを食べていく僕の体のまわりで、四十年前の父親のアロハ・シャツの襟や裾が、風にはためいているのだから。

途中で僕はコーヒーのおかわりをもらいにいった。テーブルへ戻っていくとき、ショッピング・センターの建物に沿った歩道を、ひとりの日系の男性が歩いているのを、僕は目にとめた。さきほども彼を見た。七十代なかばの、背丈が高いほかにはこれといって特徴のない、とっくに現役を引退していまは暇な人だ。

スパム・アンド・エッグスの朝食を食べ終わる頃、さきほどの彼がショッピング・センターのこちら側のドアから出て来て、渡り廊下の端にふとたたずんだ。僕はコーヒーを飲んだ。自分はさきほどから彼によって観察されている、と僕は感じた。

分厚くスライスされたマウイ・トマトの最後の一枚を食べ終え、僕はフォークを紙の皿に置いた。皿はすべて紙だ。使い捨てだから食器を洗う手間が省ける。そして菊江さんは、そのぶん確実に楽が出来る。ふと気がつくと、あの日系の男性が、僕のかたわらに来ていた。彼は僕に向けてもの静かにかがみ込んだ。

「ホワイル・ユー・ウォー・イーティング、アイ・ワズ遠慮しとったがね」

と彼は言った。僕は彼の顔を見上げた。

「あんたはキタムラさんのナンバーワン・ボーイかね」

と彼は質問した。ナンバーワン・ボーイとは、男の第一子つまり長男のことだ。僕は確かにそうだし、名前はキタムラだ。

「そうです」

と僕は答えた。

「そうじゃろう思いよった。ハヴント・シーン・ユー・フォ・サムタイム」

久しぶりですね、という意味のその平凡なひと言に、いま彼がしたほどに懐かしさと親しさを優しく込めた例を、これ以前にも以後にも、僕は体験していない。込めた気持ちをさらに広げるために、彼は平凡な言葉を続けた。

「ホエア・ユー・ビーン。メインランド?」

相手である僕に対して、完璧なまでの善意を土台にして、懐かしさや親しさの感情を全開にしている彼の顔を、僕は仰ぎなおした。彼の内部における時間のずれに、僕は気づいた。彼が誰なのか、僕は知らない。おそらくはこのラハイナで生まれ育った、日系の二世だ。彼の顔や姿を見るのは、僕にとってはいまが初めてだ。彼の名前すら僕は知らない。そして本当は彼も、僕を知らないはずだ。

ただし彼は、僕を僕の父親と取り違えている。彼の内部における時間のずれとは、そのような意味だ。僕の父親なら、彼と同世代だ。幼い時期にラハイナでともに育ち、顔も名前もよく知っている僕の父親を久しぶりに見かけたと思い、彼は僕に声をかけてきたのだ。

彼が持っている時間の感覚にずれがないなら、彼は自分と僕とのあいだにある年齢のへだたりに、ひと目で気づかなくてはならない。へだたりに彼はまったく気づいていない。と言うよりも、彼は昔に帰ってしまっている。僕を見て、彼は昔に戻ってしまった。僕の父親がまだいまの僕くらいの年齢だった頃へ。その頃は、彼もまた、いまの僕とおなじような年齢だった。

訂正してもそこからなにかが始まるわけでもない、と僕は思った。彼がいま生きている時間の感覚を、そのまま受けとめるほかない。期待のありったけを込めてじっと僕を見下ろしている彼に、僕はうなずいた。

「そうですよ、メインランド。そしてホノルル。それからジャパーン。ハウ・ハヴ・ユ・ビーン。ユ・ルック・グレイト。ユ・ルック・ファイン」

きわめて柔和に、彼は微笑を深めた。

「ハウ・イズ・ヨ・ファーザ」

と、彼は聞いた。僕の父親とは、つまり僕の祖父のことだ。

「ヒーズ・バック・イン・ジャパーン。ヒーズ・ドゥーイン・ファイン」

一九一〇年代に僕の祖父はラハイナから出身地の山口県へ戻った。長寿をまっとうし、何年か前にこの世を去った。

「グラッド・アイ・クッド・トーク・ウィズ・ユ。ビーンナ・ロング・タイム」

それだけ言った彼は、じつにあっさりと、僕に右手を差し出した。僕は彼と握手を交わした。

「テイク・ケア」

優しく囁くようにそう言い、彼は僕のかたわらを離れた。渡り廊下を歩き、ショッピング・センターのドアを開いてなかに入った。ドアが閉じ、彼の姿は見えなくなった。

会話とも言いがたいような、ほんのひと言ふた言を交わしただけだが、おそらく時間の感覚がずれているおかげだろう、彼は久しぶりに見かけた僕の父親を相手に、よもやま話に堪能した気分になれたのではないか。

なんという人なのか。シスコ・アカミネなら知っているだろう。帰り道、シスコのところに寄って、訊いてみよう。コーヒーの残りを飲みながら、僕はそう思った。

Chapter 2 of 29
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