一
父の婚禮といふものを見たのは、決して自分ばかりではない。それは繼母といふものを有つた人々の、よく知つてゐることである。
曾て、クロポトキンの自傳を讀んだ時、まだ二十とはページを切らぬところに、父の婚禮を見ることが書いてあつたことを覺えてゐる。
……母が死んでから、父はもうそろ/\其の眼を世間の若い美しい娘たちの上に投げた。――といふやうなことが、あの黄色い假表紙の本の初めの方にあつたと思ふ。父の第二の婚禮の折の、子としての寂しさ、悲しさも書いてあつたであらう。いや確かに書いてあつた。
自分はそれを讀んだ時、礑と自分の身の上に突き當つたやうな氣がして、暫く其のページを見詰めてゐた。さうしてゐると、あの一面に刷つた小ひさな文字が、數知れぬ粟のやうな腫物に見えて來て、全身がむず痒くなつた。それ以來自分はあの書物のあの邊を披いたことがない。
自分の母の亡なつたのは、六月の七日で、村の若い衆たちが、娘のある家をつぎ/\へ、張店を素見すやうにして歩きるには、おひ/\と好い時候であつた。
昔は其の土地の支配者であつたといふ身分の程も考へねば、もう五十に間もないらしい年と、二十歳臺からかうであつたと自身には言つてゐる其のツル/\とした高張といふ名のついた頭とに、恥づる風もなく、父は毎晩若い衆たちに混つて、娘のある家へ夜遊びに出掛けた。
「父母の齡をば知らざる可からず。」
かういふ言葉が、自分の其の頃無理に習つた難かしい本の中にあつたので、自分は時々父に向つて、
「お父つあん幾つ――。」と問ふことがあつた。其の度に父は態とらしい大聲を出して笑ひながら、
「お父つあん、十八。」と答へるのが常であつた。父は何故あのやうに年齡をいふことを厭がるのであらうか、と其の頃自分は不思議でならなかつた。
父の一人兒であつた自分は、其の腰巾着のやうに、行くところへは必ず附いて行くといふ風であつた。九歳頃から十二三まで、殊に母の亡つた十二の年なぞは、夜も父と同じ蒲團に寢た。たゞ父は夜になつて外へ出る時だけ、決して自分を連れて行かうとはしなかつた。自分も夜は外へ出るものでないと思つてゐた。
客があると、自分は何時でも、父の側に坐つて、會話を聽いてゐた。話の模樣によつては、自分も時折口を出したりした。厭な子供だと嘸客がさう思つたであらう。今考へると冷汗が出る。食事時になつて、客に酒を出したり、飯を進めたりしても、自分は父と客との傍を動かなかつた。父は客に出した肴を自分にも手鹽皿へ取り分けて呉れて、むしや/\と喰べることを許した。鍋物なぞが出ると、自分は遠慮なく鍋の中へ箸を入れた。
「大變に頂戴しました。……結構ですな、御子息は、お幾つだすか。」
「十二になります、柄ばつかりで薩張りあきまへん。……死んだ母親は醫者にしたがつてましたが、本人は軍人になるいうてますよつて、軍人にしようおもてます。……親の跡を襲いでこんなとこで神主してても仕樣がおまへん。」
客と父とがこんなことを言ひ合つて、幼い自分を肴にまた酒をはずませることがあつた。自分は下女のお駒に箸と茶碗と飯櫃とを持つて來させて、酒臭い座敷で手盛の飯を喰べた。
「時にあんた幾つにならはるな、何時もお達者で結構や。……ほんまに幾つだすかなア。」
こんなことを客が言ひ出すと、父は俄に酒に咽せた風をして、こん/\と咳なぞをしてから、
「こなひだ、豐彦の雪中山水を手に入れましたが、一つ見とくなはれ。」なぞと、立ち上つて、年齡のことを誤魔化して了ふのが常であつた。客が三四人もあつて、一座の雲行が年齡の話にならうとするのを、際どいところで見究めて、それとなく座を外すことが、父は甚だ上手であつた。こんな時、客は屹と父の敷いてゐた座蒲團の模樣を見詰めつゝ、
「此家の旦那一體幾つやろな。頭は昔からあんな工合に茶瓶さんやがな。」
「道臣さんかいな、あの人の年こそ分らんな。……戸籍にや何んぼとか、だいぶ若いやうになつたるさうなが、ほんまのとこは分らへん……ぼんち、お父つあん幾つだんのや。」と、果は自分に訊くこともあつた。父はもう襖の外まで戻つてゐながら、室の中へはよう入らずに、耳を澄まして突ツ立つてゐるのが、自分にはよく分つてゐた。
「竹丸さん幾つやなア。」と人から訊かれると、「十二」と直ぐ答へる自分と違つて、父は何うしてあんなに年齡をいふのが嫌ひなのであらうかと、自分は其の頃よく考へることがあつた。
父は大きな廣い家の内の、四疊半一室を居室に定めて、其處で食事をすれば睡眠もするし、客も引くといふ風であつた。其の四疊半は茶室仕立に出來てゐて、眞ん中に爐が切つてあつた。爐には八角の摘み手の附いた助炭がかゝつてゐて、釜の湯は何時も熱く、よしや湯の冷めてゐる時があらうとも、釜の下を探れば必ず火があつた。事によると、螢ほどの火種しかないこともあつたけれど、父が一度それへ堅い池田炭を手際よくつぐと、忽ち炭から蒼い炎がぽツぽと燃えて、威勢よく火が起つた。
「お前らは炭を逆まにつぐよつて、火がおこらへん。」と、父はよく言つて笑ひ/\した。けれども自分には何うしても切炭の本末が分らなかつた。二尺五寸ばかりの長さにして、炭には勿體ないほどの立派な箱に入れたのが屆くと、父は嬉しさうな顏をしながら、弦の附いた鋸で尺をあてつつ、その炭を同じ長さに切つて、大匏の横腹を刳り拔いた炭取に入れた。一箱の炭は二十本ほどで、同じ太さに揃つてゐたが、父はそれを切り上げるのに半日を費した。少しでも皮の剥けかゝつたのが出來ると、臺所へ下げて雜用に使はした。
爐の灰が殖えると、町の灰屋が來て、一升一圓に買つて行つたことを覺えてゐる。子供心の自分には、一圓が途方もない大金であつたので、今から考へると、パンテオンに改葬したエミイル・ゾラの灰ほどの尊さが、其の頃其の爐の灰にあるものと思つてゐたのであらう。
「契待戀」といふ題で、「うたがはぬ心ながらに小夜ふけて待つとは人に契らざりしを」といふお家流の手蹟を短册に殘した高祖父の代から、この爐の火は傳はつてゐるのだと、父はよく言つてゐた。其の大事な火、高價な灰の入つてゐる爐へ、目見えに來たばかりの下女お駒が、竈の下の焚き落しを十能に山盛り入れた時の騷ぎは、今でも鮮かに自分の眼に殘つてゐる。父は火のやうに怒つて、絹篩にかけた程に柔らかな良い灰の上層から、ザラ/\した燒土の如き灰を取り棄てるのに、朝飯が晝飯になるのをも忘れてゐた。一目見て色が違ふので、選り分けるのは何でもなささうに思はれたけれど、惡い灰へ良い灰を少しでもクツ付けて棄てまいとするところに、多くの苦心があつたのであらう。
お駒は爐の側に兩手を突いて、頸筋まで眞ツ赤にしながら差し俯伏いてゐた。幾らませてゐても、まだ十五の頭に白丈長をかけた島田は重さうであつた。怒つてゐた父の顏色はだん/\和らいで來て、灰を見る眼よりも、お駒の頸筋を覗く眼の方が忙しくなつた。この時から早やお駒どんは下女ではなくて、お女中樣々になつたのであると、村の人たちは噂し合つた。
「茶道の心掛のないものは仕樣がない。」と、父は口癖のやうに言つて、幼い自分や若いお駒が、短い裾や長い袂を火鉢に差した火箸に引つかけて灰を飛ばしたり、炭取に蹴躓づいて、黒い粉を疊の上に散らしたりするのに、眉を顰めてゐたが、さりとて別に幼いものや若いものを捉へて、茶の湯を教へようとはしなかつた。また出入りする村人が無作法だと言つて、客火鉢に附いた眞鍮の火箸の頭を錐のやうに尖らして、火箸を灰に突つ立てた上へ掌を載せて火にあたることが出來ぬやうになぞした。村人がうつかり氣がつかずに、頭の尖つた火箸に掌を痛くするやうなことがあると、父は手を打つて喜んだ。
そんなでゐて、村人を相手に他愛もないことを話すのが好きであつた。なまじひ茶や花や行儀作法の心がけのある都の客なぞは、窮屈だと言つて嫌ひであつた。四疊半の居間へ、茶碗の持ち樣一つ知らぬ百姓共を集めて、大服に立てた薄茶を飮まし、苦い顏をしながら、周章てて菓子を摘むのを見るのが好きであつた。抹茶は先へ菓子を喰べるもの、といふくらゐのことすら教へないで、父はたゞ笑つてゐた。
茶の後で酒が出て、主人も客も大口叩いて打ち興じた。昔の無禮講といふものはこんなであつたらうかと思はれた。語るところは、幼い自分の耳にさへ、卑しく猥らに響くことばかりであつた。