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現代語訳 方丈記
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現代語訳 方丈記
鴨長明
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译文 Pagera AI
原文 Public Domain
Chapter 5 of 5

5

その上にこの様に粗末な住家だけれど私はこの住家をこの上もなく愛しているのである。

たまたま都の方に出て托鉢をするのであるが、そんな時には自分がこんな乞食坊主になった事を恥しいとは思う事があるのだけれども、この小さな自分の住家に帰って見ると、俗世の人々が浮世の名利にのみ執着して暮しているのを考えて見るとそれらの人々が哀れにさえなって来るのである。が私がこんな事を言えば人々はお前は夢の様な事を言うと言うかも知れないが、しかし魚や、鳥の生活を深く考えて見ると好いのである。魚は一生を水の中に暮して少しも水にあきる事がない、又鳥はその一生を林の中で送ることを願っているのである。この鳥の気持や、魚の気持は魚自身、鳥自身でなくては知る事が出来ないのである。私もその様に山の中で世を離れて唯一人住んでいるこの心持はほんとにそうした生活をやって見なくては、解るものではないのである。山の中の閑居の楽しさ、淋しさ等には俗世では味う事の出来ない深い味いのあるものであってほんとに実践した人でなくてはこの味は解るものではない。この味は高位高官に登るよりも、お金持になることよりも数等増しで私には好いことであり楽しい事なのである。

さて私の一生ももう余命幾何もなくして死出の旅路に出なくてはならないのであるが、もう現在では何も今更に嘆くことも、悲しむ事もないのである。仏様の御教は何事に対しても執着心を持つなとあるのだが、今こうして心静かに楽しく住み得るこの山の中の草庵を愛することさえ一つの執着心の現れで罪悪なのである。私は仏様の世界から見れば何等価値のない楽しみをごたごたと並べ立てて無駄な時を過したものである。

物静かな夜明け方にこうした真理を考え続けて行き、自分の心持を深く反省して見ると自分がこうして浮世を脱れて山の中へ入った最初の目的は何だったかと云えばそれは仏様の道に精進しようとしてやった事なのであるが、それにも拘わらず自分の生活というものを考えて見ると外見は聖人の様ではあるがその心持はまだまだ聖人には遠く及びも付かないもので全く俗人の如くに濁ったものなのである。私の住家は昔の維摩居士の方丈の庵室を真似て建てたのであるが、自分の行いや信仰の上に於ては一番魯鈍だったと言われている仏弟子の周利槃特のものにすら劣っているではないか。そしてこの原因はあまりにも貧しい苦しみをしたのでその為にあまりに苦しんだから思う様に修業が出来なかったのであろうか、又は煩悩があまりにも強かったが為に心が狂ったのであったか、等と自分がどうして悟入出来得なかったかと自問自答しても何等の答も与えられなかった。それで唯口舌の力を借りて南無阿弥陀仏と二、三度仏の御名を唱えてその加護をお祈りするまでである。

時に建暦二年三月晦日頃、僧蓮胤が外山の庵で之を書き誌したものである。

●図書カード

Chapter 5 of 5
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