一
これから毎月一回あなたに手紙を書こうと思いたちました。今度の戦争で愛する夫君を失われ、また小さい二人のお子さんたちの将来について思いなやんでいられるあなたから、いろ/\なご相談を受けた時、私がまず感じたことは、国籍こそ日本にあつても、やはりヨーロッパ人の血を享けた女性としてのあなたが、果して、これからさき日本に止つて、われ/\と運命を共にすることがおできになるか、ということでした。
しかし、一方、かね/″\、あなたが、夫君の生国であるという理由はもちろんあるでしようが日本という国に興味をもち、日本人の特質をよく理解し、この国と人とを心から愛しようと努めていられた事実をよく知つていますから、なによりも誠実な生き方をしようとしてもがいていられるあなたのすがたは、私の心を一層強くうちました。
なんの力もない私ではありますが、あの時のあなたのお言葉に従えば、お子さんたちを「よい日本人」に育てあげたいというあなたの念願に対して、若しもなにかのご参考になればと思い、現在、あなたを取巻く日本の社会の様々な風潮、日本人のあらゆる表情について、あなたに疑問を起させそうな点を、その時どきに取あげて、私流の解釈を加えてみようと思うのです。あなたが日本語の新聞をかなり正確に読まれるのには私も感心しているのですが、それ以上に、あなたは実に鋭い読み方をなさつているのに気がついて驚きました。それもそのはずでしよう、十年前日本の土を踏まれた、その最初の日から、あなたは見るもの聞くものについて、夫君に手きびしい質問をされたという話を伺つています。
私はご承知の通り、どこからどこまで日本人ですが、日本の自慢というものはあまりしない方です。その代り、異国の人々に日本を正しく理解してもらいたいという気持、もし美点があるとすればその美点と同様に、その欠点をも、表面的な観察ですぐに結論を下されては閉口だ、という気持でいつぱいです。
実は、われ/\自身が、自分というものをまだよく知つていない。誤解はそこからも来るのでしようが、私は、あなたのような方の疑問をいくらか解くことによつて、自分自身をもつとよく知ることができるのではないか、という期待が一方にあるくらいです。
私は最近、連合軍司令部当局から日本の労働組合に対して発せられた警告ほど、われ/\にぴんと来た警告はなかつたように思います。覚えておいでになるかどうか、つまり、日本の労働組合の動きそのものゝなかに、その精神とはおよそ遠い「封建性」が巣喰つているという事実の指摘です。これが資本家側に武器として利用されなければいゝがとは思いますが、たしかに、家族手当とか、税金負担とかの要求は、労働運動の目標としては変なもので、これは、最も進歩的であるべきはずの頭脳から迷い出た封建思想の幽霊です。ところが、これは単に労働運動に限らないということを、われ/\は深く反省させられるのです。
何事にも順序があり、過渡期というものがあります。司令部当局もそれは認めているようですが、一番困るのは、順序について思いをひそめるものが少いことゝ、過渡期だから仕方がないと高をくゝるものゝ多いことです。
あなたの住んでいられる処にも、最近、ダンス・ホールが出来たそうですが、それをいわれる時のあなたの皮肉な微笑がまだ私の眼の底に残つています。
その後、あるところで、私は一人の青年にこんな風に問いかけられました。――ダンスをやりたいと思うのだが、どうも気がひけてホールへ足を踏みこめずにいるが、思いきつてはじめる方がいゝかどうか? そういう「はにかみ」のようなものは進歩のさまたげではないだろうか?
私は即座に答えました。――そんなことはいゝわるいの問題ではないと思う。やりたかつたらやるがいゝ。君のいう「はにかみ」は、当然なければならぬもので、もしそれがなかつたら、君は、まともな人間とはいえない。しかし、ものには順序がある。第一に、そういう「はにかみ」は順序をふんで、自然にダンスというところまで行けば、もうなくなる性質のものだ。早くいえば、音楽が日常生活のなかに浸み込み異性と触れ合うことがそれほど特別な意味をもたぬような習慣が身についてからなら、問題はないのだ。進歩はダンスをやることのなかにあるのではなく、その以前の生活のなかにある。現在のわれ/\の生活と、ダンス・ホールとの間には、それを飛び越えるのにちよつと無理な空隙があるので、それに気がつくと、「尻ごみ」をしたくなるのだが、一方、青年はもはや少年になることもできず、急に、生活様式やその習慣を変えることも困難にちがいない。それには、ダンスというものをすべての娯楽とおなじく、健康な方法で生活のなかへ取り入れる工夫も必要になるだろう。
その方法とは、もうそれを実行しているものもあるだろうが、家庭的な催しとして清潔な雰囲気のなかで行うことがひとつ、更に、工場や、地方の小都市、農村などの青年男女は、いきなり近代都市風の流行ダンスに走らず、ヨーロツパ各地方で現に行われている一種の野外ダンス、例えば、ブルターニユのパ・ド・ルウのような古典的で、素朴闊達なダンス形式を取り入れ、かの盆踊りのいろ/\な物足りなさを十分補えばいゝのである。小学校では、男女共学の意義を徹底させるうえにも、適当な指導によつてダンスに親ませることは是非やつてもらいたい。
以上の三つを私の注文として出すが、とにかく、現在のダンス・ホールは、あのまゝで、あれだけでは、たゞ青年をスポイルする役割しか果し得ないだろう。――奥さん、私のこの答弁はいかゞでしようか? 道学者の臭いがしますか? しかし、私は、現に青年を蝕みつゝあるのは、ダンス・ホールに限らぬと信じています。そして、それはしかたがないことゝ思つています。
ものには順序があるといいましたが、私は、今の日本が、これで、あたり前の順序さえ踏めばとん/\拍子に住みいゝ土地になるとは思つていません。そんな考えは誰ももつていないでしよう。率直にいえば、たゞ、私は、あるひとつの順序は、やはりあると思います。それは、一旦、どん底へ落ちこんで、そこから再び浮び上つて来るということです。
どん底とは、もちろん、民族としての最も不幸な状態をいうのです。それまでは、なまじつかなつつかい棒はなんの役にも立ちますまい。まして、どんな力が、こゝまで来たわれ/\を上へ押しあげることができるでしよう? 新しい政治、新しい教育、新しい宗教、そんなものは、それだけでは、空手形にすぎません。
すべてが塗り換えた看板の下で転落の運命を辿つているではありませんか、なぜでしよう、われ/\は根本的なものを見失つているからです。あなたにはおわかりにならぬかも知れませんが、日本人は、ずいぶん久しい以前から、自分のほんとうの力というものを信じなくなつているのです。易きにつくことがほとんど唯一の撰び得る道だつたのです。
しかし、奥さん、私は、それでもなお希望はすてません。問題は、どん底に落ち込んだ時、もうすつかり骨ぬきにされているか、あるいは、まだ起ちあがる力が残つているか、ということです。どん底に落ち込むことはもはや防ぐわけには行くまいと思いますが、その時、なにかしら、どこかに、ちやんとした精神の支えと、われ/\を奮い立たせる原動力のようなものがかき消されずにあるという、そういう転落のしかたを、私は、かすかながら、待ち望んでいます。われ/\の努力は、ですから、そういうものを、そういう時のために、蓄積する努力にすぎないということを、あなたに特に申しあげておきたいのです。
これで、あなたのおそらくは昨今もちつゞけておられるにちがいない疑問をひとつ解いたことになりはしませんか?――日本はこれでいゝのか? というあなたの疑問に、今日はじめて、私の答をお送りします――これでよろしいのです、と。
労働組合の運動そのもののなかに多分の「封建性」がみられるように、例の帝銀事件も、犯罪の特質をよく考えてみると、日本人の特殊な残虐性というようなものではなく、むしろ、「長いものにまかれる」一種の事大的傾向があの悲劇をもたらしたものといえましよう。これはもう誰しも認めていることですが、たゞそれをそう認めているもの自身が、あれに似たことを無意識にやつていないとはいえない。そこに一番大きい問題があるのです。
あなたがたには、非常に不思議なことでしようが、日本人ぐらい口で言うことと、実際の行動とがはなればなれな国民はないでしよう。これは必ずしも、われ/\が誠実でないのではなく、虚偽をにくまぬわけでもないのですが、悲しいかな、われ/\の精神機能は今や分裂の危機にのぞみ、あなた方の表現をかりれば、「頭」と「心臓」とが同一体内で別々の血液を通わせているという状態なのです。
このことを、一度、よく考えてみてください。