一
山形屋の若主人宇部東吉は東京へ商品の買ひ出しに出たきり、もう二週間も帰つて来ない。そのうへ、消息がふつつり絶えたきりになつてゐる。こんなことは今までに例のないことだから、留守居の細君みよ子はもう眼を泣きはらし、父親の紋七はコタツの中でぷりぷり言ひ、近所近辺はその噂でもちきりであつた。
上州三原からバスで鳥居峠を越える県道が、最近の大水で流されたあとへやつとかゝつた吾妻川の仮橋を渡ると、浅間の裾の鬼の押出しと呼ばれる熔岩地帯へ通じる鎌原の里である。登山口としてはわりに世間に知られてはゐないが、附近には鹿沢温泉とか、田代湖とかを含むいはゆる観光地もあつて、季節々々にはハイキングの客が相当乗り降りをする場所になつてゐる。山形屋は、そのバスの停留所の前にある雑貨店を兼ねた飲食店である。
もともと行商としてこの土地へ流れこんで来た宇部紋七が、二十年がかりでこれまでにしたといふだけで、なにひとつ取柄のある店ではなかつた。山奥の不自由さに慣れた人々を相手に、小ずるく立廻つた結果が、今ではいくらか、土地で口の利ける身分になつたことを彼は自慢にし、まだ五十になるかならぬかの年で、店を貰ひ子の東吉に委せ、自分は無鑑札で古物の売り買ひなどをし、東吉に嫁を持たせてからは、独り身の気楽さで、外を泊り歩いてばかりゐるのである。
さて、息子の東吉は、ある女旅芸人の腹に出来た父なし児で、五つの時に、縁あつて宇部紋七夫婦の手に引きとられ、その義理の母にも早く死に別れて、それ以来、文字どほり男親の手ひとつで育てられたのである。
そのためばかりではあるまいが、彼は、評判の孝行息子であり、律義で勤勉な若者であつた。色が白く、眉が濃く、口元に不思議な愛嬌があり、小柄なわりに腕つぷしが強かつた。
学校の成績はあまりよくはなかつたが、誰にでも好感をもたれ、餓鬼大将になる代りに、いつも賓客のやうな待遇を受けた。もちろん、青年期にはいると、異性の人望は圧倒的であつたが、彼は、それに対してほとんど無感覚といひたいほどの恬淡さを示した。
このことがまた彼に一層箔をつけた。
もつとも、なかには、意地づくで彼に挑戦し、蔭にまはつて、聞きずてならぬみだらなデマを飛ばす蓮つ葉娘もあつたが、彼は一向、気にとめる風もなかつた。
食堂が忙がしくなると、父の紋七は、近所の娘を一人二人、月極めで手伝ひに頼んだ。それも、おなじ娘を二度頼むことはなく、入れ替り立ち替り、違つた娘が来た。
東吉は、それらの娘たちといづれも顔なじみであるといふだけで、べつだん、区別をつけてみようとはしなかつた。どれもこれも、おなじやうにみえた。話しかけられゝば、返事ぐらゐするが、こつちからわざわざ喋りだすやうなことはなかつた。娘たちは、一様に、彼を極度のはにかみやと信じこんでゐた。
ところが、今年の春、父親の紋七は、突然、東吉に向つて、かう言つた。
「やい、東吉、お前もそろそろ女房をもて」
「いらねえ、そんなもの」
「いらねえつたつて、さうはいかねえ。おれはもう店をお前に譲りたくなつた。女房をもらつてやるから、二人でいゝやうにしろ」
東吉は、顔を真つ赤にし、口を尖らせるだけ尖らし、視線をあらぬ方へ向けて、胸の動悸をぢつとおさへた。
「ところで、どうだ、さう話がきまつたら、早い方がよからう。気に入つた娘ツ子があるなら言つてみな」
「ねえよ、そんなもの」
「あつたつてかまはねえぞ」
「ねえつたら、ねえ」
「ねえか。そんなら、おれの眼鏡で、これと思ふのをあてがふが、それでいゝか」
「お父つつあんのいゝやうにするよ」
「さうか。そんならなんでもねえ。内藤の姉娘をもらふべえ」
「肉屋のか?」
「あれや気だてのいゝ娘だ。見かけはとにかく、女房には、あゝいふ女が理想的つていふもんだ」
理想的といふ言葉がこの親父の口から出たので、東吉は、ちよつと気もちがほぐれ、思はず、ニヤリとした。
「それみろ、お前だつて、嫌ひぢやあるめえ」
が、実のところ、肉屋のみよちやんは、彼にも意外千万であつた。もちろん、誰がみても美人ではなく、それどころか、村ぢゆうで最も無愛想な顔だちの娘の一人である。
いつたい、彼女が笑つたことがあるだらうか? 彼は、それも思ひ出せないほどである。目立たないといへばこれほど目立たない娘はめつたになく、いつか店に手伝ひに来たとき、やつとその存在をたしかめ得たといつていゝくらゐである。親父は、この娘のどこが気に入つたのか? 強ひて想像すれば、いかにも辛抱強さうなところであらうか。
話はとんとん拍子に進んだ。
新婦みよ子の装ひは、バクロ内藤の度胸をみせて、戦後、この山村の一偉観であつた。披露はとくに部落の公会堂を借り受け、両家持ち寄りの大振舞ひで人々を驚かした。酒は地酒ながら紋七が顔を利かせて一斗樽を三本担ぎ込ませた。肴には厚切りのビフテキが出たことは言ふまでもない。
かくて、山形屋の店は、表面、若夫婦の天下となり、父親紋七は、どこからか、時折顔を出して、後見の責任を果してゐた。
なにひとつ波瀾を予想させるやうな徴候はなかつた。
山形屋の若主人、宇部東吉が、東京へ出たまゝ、杳として行衛知れずになつたのは、それからやつと半年しかたつてゐないのである。