鏘然太刀音
火事の光にボッと照らされて、一人こっちへ泳いでくる。「網をのがれた曲者だな」こう思ったが広太郎、自分がとり方というではなし、取り抑えようとはしなかった。だが充分の好奇心、桜の木蔭へ身を隠し、じっと様子をうかがった。泳ぎついたその曲者、岸へ上がるとまず袂、キューッと水をしぼるらしい。それから裾の水をしぼり、スルスルと土手へ上がって来た。月はあったが桜の葉越し、光が充分に届かない。ただ人一倍たけが高く、肩に燦と白髪が波打っているのが見て取れた。老人かな? それにしては、ヌッと伸びた腰つきが、そうではないと裏切っている。チラリと火事の方を見返ったが、何やら口の中でつぶやいた。と、ふところへ手を入れた。取り出したのは小長い物、そいつを頭上へズイと上げ、そろそろ一方へ開くのを見れば、間違いのない巻軸だ。
「有難え、ぬれてはいない」よっぽどうれしかったに相違ない。こうハッキリつぶやいたものだ。
木蔭で見ていた広太郎、ムラムラ好奇心がつのって来た。そっと近寄り富樫もどき、相手の肩越しにのぞきこんだ。チェッという舌打ちの音、人の気配を感じたらしい。ヒラリ振り返ったが抜き打ちだ。その早さ、その鋭さ、横なぐりに腰のつがい、ダッと払われたがきまれば、まさしく広太郎胴輪切り。
酔ってはいたが心は正気、ましてあらかじめ曲者と、用心していた広太郎、飛びしさると桜を楯、幹に全身を隠しながら、刀の鯉口ブッツリと切り、相手の様子をうかがった。
片手青眼につけたまま、左手で巻軸を巻くらしい。サラサラという紙の音。と、左手がふところへはいった。ははあ巻軸を納めたな。「これ」とはじめて声をかけた。
「見たであろう? む、どうだ?」右へ右へとジリジリ廻る。
「不運な奴だ、いかしては置かぬ」
不思議な声音、鬼気がある。かれてはいるが力がある。あざ笑うのか、威嚇するのか、どっちとも取れる声音である。とまれ一旦耳にしたら、容易に忘れられない声である。
立ち木を中に広太郎、左へ左へと逃げながら、心でつぶやいたものである。「すごいなあ、恐ろしい奴だ。人を斬ったな、幾人となく。血煙りの中を通って来た奴だ……。勝ち目はない、おれに勝ち目は」
「これ若造」と例の声、「感心だな、抜きおらぬな。逃げるつもりか、それもよかろう。ふ、ふ、ふ、逃げられめえ」
右へ右へと廻りこむ。
「殺されてしまえ、きっと殺す。……なぜのぞいた、馬鹿な奴だ、見さえしなければよかったのだ。見られた以上は助けられない。コレ前へ出ろ、切りこんで来い。……来ないか、行くぞ。ソレ、ソレ、ソレ」
構えをつけながらしゃべりまくる。場数を踏んだ証拠である。一つの立ち木から他の立ち木、移ろうとして広太郎、一瞬間全身を現わした時、肩に白髪の泡を立て、「どうだ!」と一躍切りこんで来た。と、鏘然たる太刀の音、はじめて広太郎抜き合わせ、危く鍔際で受けたらしい。
さっと左右へ飛び違う。
「えらいの、若造」
「何を! だまれ」ブルッと一つ武者振るい、タラタラと流れるあぶら汗、額から両眼へ入ろうとする。
「御用! 御用!」と遠のく声。とり物も終りに近づいたらしい。火事は盛んだ。紅色の火光、ここらあたりまでポッと明るい。相青眼の二本のつるぎ、その中でキラキラと輝いている。