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八ヶ嶽の魔神
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八ヶ嶽の魔神
国枝史郎
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译文 Pagera AI
原文 Public Domain
Chapter 10 of 33

10

「こちらへこちらへ」と云いながら、白井というのが案内した席は皮肉千万にも正座であった。すなわち稽古台の横手である。

「これはご師範でござりますか」葉之助は初々しく恭しく石渡三蔵へ一礼し、「私、鏡葉之助、お見知り置かれくだされますよう。また本日はお稽古中お邪魔にあがりましてござります」

「おお鏡のご養子でござるか」

煙草の煙りを口からフワリ……これが三蔵の挨拶である。さすが代稽古をするだけに腕前は勝れてはいたものの、その腕前を鼻にかけ、且つ旋毛の曲がった男、こんな挨拶もするのであった。

あちこちでクスクス笑う声がする。

四

しかし葉之助は気にも掛けず端然と坐って膝に手を置いた。それからジロリと構内を見る。どうして沈着いたものである。

葉之助が現われるとほとんど同時にバタバタと稽古は止めになったので、構内には竹刀の音もない。変に間の抜けた様子であったが、つと進み出たのは近藤司気太、

「鏡氏、一本お稽古を」

「いや」と葉之助は言下に云った。「二、三本どうぞお見せくだされ」

「へへえ、さようで」

と近藤司気太妙な顔をして引っ込んだが、これは正に当然である。ご覧なされと引っ張り込んで置いて誰も一本も使わないうちにさあ立ち合えと云うのであるからポンと蹴るのは理の当然だ。

「偉いぞさすがは鏡家の養子」葉之助贔屓の連中はさもこそとばかり溜飲を下げた。

「ふん、チョビスケの近藤め、出鼻から赤恥をかかされおって」

しかし一方若侍どもは悠々逼らざる葉之助の態度を面憎いものに思い出した。

「誰か出て二、三本使ったらどうだ」

「しからば拙者」「しからば某」

五組あまりバラバラと出た。

「お面」「お胴」「参った」「まだまだ」

ポンポンポンポン打ち合ったが颯とばかりに引き退いた。

「おい近藤、行ってみるがいい」

「あいよあいよ」と厭な奴またノコノコ出かけて行き、「鏡氏、一本お稽古を」

「アッハハハハ」と大きな声で突然葉之助は笑い出した。

近藤司気太驚くまいことか! 眼ばかりパチクリ剥いたものである。

「剣術のお稽古とは見えませぬな。まるで十二月の煤掃いのようで、アッハハハ」とまた笑ったが、

「真剣のお稽古拝見したいもので」

「へへえ、さようで」と器量の悪い話、近藤司気太引き退ったが、「いけねえいけねえ拙者は止めだ。どうも俺には苦手と見える」

「生意気至極、その儀なれば」と、若侍ども本気で怒り十組ばかりズカズカと進み出たが、烈しい稽古が行われた。それが済むと白井誠三郎ツカツカ葉之助の前へ行き、

「あいや鏡氏、葉之助殿、ご迷惑でござりましょうが、承わりますれば貴殿には小野派一刀流、ご鍛錬とか。一同の希望にもござりますれば一手ご教授にあずかりたく、いかがのものにてござりましょうや」

「本来私はこの場にはお稽古拝見に上がりましたもの、仕合の儀は幾重にも辞退致さねばなりませぬが剣道は私も好むところ、且つは再三のお勧めもあり……」

「それではお立ち合いくださるか?」

「未熟の腕ではござりまするが……」

「それは千万忝けない」

してやったりとニタリと笑い、「して打ち物は?」

「短い竹刀を……」

「しからばご随意にお選びくだされ」

ワッと一同これを聞くと思わず声を上げたほどである。

つと立ち上がった葉之助はわずか一尺二寸ばかりの短い竹刀を手に握ると仕度もせず進み出た。

「あいや鏡氏、お仕度なされ」

見兼ねたものかこの時初めて石渡三蔵が声を掛けた。

「私、これにて充分にござります」

「面も胴も必要がない?」

「一家中ではござりまするが流儀の相違がござります。他流試合真剣勝負、この意気をもって致します覚悟……」

「ははあさようかな。いやお立派じゃ……ええとしからば白井氏も、面胴取って立ち合いなされ」

「これはどうもめんどうなことで」

白井誠三郎不承不承に面や胴を脱いだものの、ここで三分の恐れを抱いた。

居流れていた門弟衆も、これを聞くと眼を見合わせた。

「何んと思われるな佐伯氏? この試合どう見られるな?」「ひょっとするとアテが外れますぞ。相手の勢いがあまりに強い」「藪をつついて蛇を出したかな」

葉之助贔屓の連中はこれに反して大喜びだ。

「見ておいでなされ白井誠三郎、一堪りもなくやられますぜ」「全体あいつら生意気でござるよ。こっぴどい目に合わされるがよい」

「静かに静かに、構えましたよ」

「どれどれ、なるほど、青眼ですな……おや白井め振り冠りましたな」

「葉之助殿の位取り、なかなか立派ではござらぬか。あれがヒラリと変化すると白井誠三郎刎ね飛ばされます」

五

今や葉之助は中段に付けて、相手の様子を窺ったが問題にも何んにもなりはしない。で、葉之助は考えた。

「かまうものか、ひっぱたいてやれ」

トンと竹刀を八相に開く。誘いの隙でも何んでもない。まして本当の隙ではない。それにもかかわらず誠三郎は、「ヤッ」と一声打ち込んで来た。右へ開いて、入身になり右の肩を袈裟掛けに軽く。そうして置いてグルリと廻り、

「小野派一刀流五点の序、脇構えより敵の肩先ケサに払って妙剣と申す!」

ちゃあんと手口を説明したものだ。鮮かとも何んとも云いようがない。ひっぱたいて置いてひっぱたいた順序をひっぱたいた人間が説明する。もうこれ以上はない筈である。

「参った」

と誠三郎は声を掛けたが、声を掛けるにも及ばない話。溜りへコソコソと退いた。

「わっ!」とどよめきが起こったが、拍子抜けのしたどよめきである。

「山田左膳。お相手仕る!」

「心得ました。お手柔かに」

ピタリと二人は睨み合った。左膳は目録の腕前である。しかし葉之助には弱敵だ。「かまうものか。やっつけろ。ええと今度は絶妙剣、そうだこいつで片付けてやれ」

形が変わると下段に構えた。誘いの隙を左肩へ見せる。

「ははあこの隙は誘いだな」切紙の白井とは少し違う。見破ったから動かない。はたして隙は消えてしまった。と、今度は右の肩へチラリと破れが現われた。

「エイ!」と一声。それより早く、一足飛びこんだ葉之助、ガッチリ受けて鍔元競り合い、ハッと驚くその呼吸を逆に刎ねて体当り! ヨロヨロするところを腰車、颯と払って横へ抜け、

「小野派一刀流五点の二位、下段より仕掛け隙を見て肩へ来るを鍔元競り合い、体当りで崩き後は自由、絶妙剣と申し候!」

またもちゃあんと説明されたものだ。

「参った!」これも紋切り型。

今度は誰も笑わなかった。人々はちょっと凄くなった。二太刀を合わせたものはない。実に葉之助の強さ加減は人々の度胆を抜くに足りる。

「天晴れの腕前感心致してござる。未熟ながら拙者がお相手」

こう云ったのは石渡三蔵で、上段の間からヒラリと下りると壁にかけてあった赤樫の木剣、手練が使えば真剣にも劣らず人の命を取るという蛤刃の太長いのをグイと握って前へ出た。

「拙者木剣が得意でござればこれをもってお相手致す。貴殿もご随意にお取りくだされい」

「いえ、私は、これにて結構」

「ほほう、短いその竹刀でな?」

「はい」と云ってニッと笑う。

「さようッ」と云ったが憎々しく、「拙者の仕合振り、荒うござるぞ!」

「はい、充分においでくだされ」

「ふん」と三蔵は鼻で笑い、「いざ!」

と云って木剣を下ろした。

「いざ」と葉之助も竹刀を下ろす。一座森然と声もない。

とまれ三蔵は免許の腕前、血気盛んの三十八歳、代稽古をする身分である。いかに葉之助が巧いと云っても年齢ようやく十二歳、年の相違だけでも甚だしい。それを木剣であしらうとは?

「大人気ござらぬ石渡氏、おやめなされおやめなされ!」

と、二、三人の者が声を掛けたが、既にその時は立ち上がっていた。「もういけない!」と呼吸を呑む。

双方ピッタリ合青眼、相手の眼ばかり睨み付ける。

「うん、どうやら少しは出来る」葉之助は呟いた、「が俺には小敵だ」

「エイ!」

と珍らしく声をかけつと一足前へ出た。

「ヤッ!」

と三蔵も声をかけたがつと一足後へ引いた。

双方無言で睨み合う。

「さて、どうしたものだろうな。思い切って打ち込むかとにかく相手は代稽古、俺に負けては気不味かろう。と云ってこっちも負けられない。ええ構うものかひっぱたいてやれ。エイ!」

と云って一足進む。「ヤッ」と云って一足下がる。「エイ!」「ヤッ」「エイ!」「ヤッ」

押され押されて三蔵はピッタリ羽目板へへばりついてしまった。額からはタラタラ汗が流れる。ぼーッと眼の前が霞んで来た。ハッハッハッと呼吸も荒い。

当たって砕けろ! と三蔵は、うんと諸手で突いて出た、そこを小野派の払捨刀、ピシッと横から払い上げ、体の崩れへ付け込んで、真の真剣で顎へ発止!

「カーッ」

ととたんにどこからともなく物凄い気合が掛かって来た。

六

アッと驚いた葉之助、一足後へ引き退がる。そこを狙って石渡三蔵左の肩を真っ向から……

「遅い!」

とまた同じ声がどこからともなく響いて来た。

「勝負なし!」

と声は続く。

その時正面の切り戸から悠然と立ち出でた小兵の人物、年格好は五十五、六、木綿の紋付に黄平の袴、左手に一刀を引っさげてスッスッと刻み足に進んで来る。

「石渡氏、何事でござる! 子供を相手に木剣の立ち合い、不都合千万、控えさっしゃい! あいや鏡葉之助殿、拙者は松崎清左衛門、当道場の主人でござる。お幼年にもかかわらず驚き入ったるお手のうち、いざこれよりは拙者お相手、お下がりあるな下がってはならぬ」

大小を置くと鉄扇を握り、場の真ん中へ突っ立った。

場内シーンと静まり返り咳一つするものはない。武者窓から射し込む陽の光。それさえ妙に澄み返っている。

葉之助もさすがに顔色を変えた。

名に負う松崎清左衛門といえば当時日本でも一流の剣客、彼の将軍家お手直し役浅利又七郎と立ち合って互角無勝負の成績を上げ、男谷下総守と戦っては三本のうち二本取り、さらに老後に至っては、北辰一刀流を編み出した千葉周作を向こうへ廻し、羽目板へまで押し付けてしまった。名利に恬淡出世を望まず、そのため田舎へ引っ込んではいるが剣客中での臥竜である。

今その人が鉄扇を構え、さあ来い来たれと云うのである。いかに葉之助が小天狗でもこれには圧倒されざるを得ない。

しかし今さら逃げも出来ぬ。

「先生ご免」

と竹刀を握り、小野派における万全の構え、両捨一用卍に付けた。

「ははあ感心、守勢に出たな」

清左衛門は頷きながら東軍流無反の構え、鉄扇を立てずに真っ直ぐに突き出しじっと様子を窺った。

「エイ!」

と一つ誘って見る。葉之助は動かない。

「ははあ、益堅くなったな……うむ、それにしても偉い覇気だ。構えを内から突き崩そうとしている。待てよ。ふうむ、これは驚いた。産まれながらの殺気がある。どうもこいつは剣呑だ。エイ!」

とまたも誘ってみたがやはり凝然と動かない。

清左衛門は一歩進んだ。と葉之助は一歩下がる。間。じっとして動かない。と葉之助は一歩進んだ。と清左衛門が一歩退く。

「偉い。俺を押し返しおる。どうも恐ろしい向こう意気だ、しかも守勢を持ち耐えている。まごまごすると打ち込まれるぞ……これが十二の少年か? いや全く恐ろしい話だ。産まれながらの武辺者。まずこうとでも云わずばなるまい……とは云え余りに野性が多い。いわゆる磨かぬ宝玉じゃ……南条右近の三男と云うがこれは少々眉唾物だ。都育ちの室咲き剣術、なかなかもってそんなものではない……山から切り出した石材そっくり恐ろしく荒い剣法じゃ……そろそろ呼吸が荒くなって来たぞ、あまりに神気を凝らし過ぎどうやらこれは悶絶しそうだ。参った!」と云って鉄扇を引いた。

「はっ」と驚いた葉之助、トントンと二足前へ出たが、「参りましてござります!」

「前途有望、前途有望、将来益お励みなされ!」

「はい、有難う存じます」葉之助は汗を拭く。

「誰に従いて学ばれたな?」

「はい、父右近に従きまして」

「ははあ、そうしてそれ以外には?」

Chapter 10 of 33
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