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青年に訴う
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青年に訴う
クロポトキンピョートル・アレクセーヴィチ
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译文 Pagera AI
原文 Public Domain
Chapter 4 of 12

三

しかし諸君はあるいはこう言うかも知れない。「実務などは無駄だ。われわれは天文学者や、物理学者や、化学者のように、純粋科学に献身する。それならば、少なくとも将来子孫のために、必ずその効果をもたらすであろう。」

しからば諸君は科学の中に何を求めるのか。まずそれをきめてかかろう。

自然の神秘を研究したり、われわれの知能を働かせたりして、われわれの得るところのものは、実に快楽――勿論それは広大なものであろうが――に過ぎないのだろうか。それならば私は諸君に尋ねる。その生涯を愉快に送るために科学を研究する学者は、やはり同じようにその生活の中にただ直接の快楽だけを求めて、それを酒の中に見出した酔漢と、どう違うのだろう。

なるほど学者はその快楽の源泉をよりうまく選んだ。この源泉は、より強い、そしてより永続きする快楽を与える。しかし、要するにただそれだけのことだ。いずれも、酔漢も学者も、自分一身の快楽という同じ利己的目的を持っているのだ。しかし諸君は、決して、そんな利己主義者の生活を望んでいるのじゃあるまい。科学のために働くのは人類のために働くのだと思っているのだろう。そしてまた、そう思ったからこそ、科学の研究を選んだんだろう。美しい妄想だ。初めて科学に献身した時、誰か一時はこの妄想を抱かなかったものがあろう。

しかしながら諸君、もし諸君が本当に人類のため研究をして行くというのならば、すぐに恐ろしい障害が諸君の前に現れて来る。なぜなら、諸君が少しでも正しい心を持っているなら、諸君はすぐに気がつく筈だ。今日の社会では、科学は一贅沢品に過ぎない。少数の人々にはその生活を愉快にさせる。しかし人類のほとんど全体にとっては絶対に寄りつけもしない。

現に、科学がその立派な宇宙観的諸概念をたててから、すでに百年あまりになる。しかるに、この概念を持っているものの数、あるいは本当に科学的な批評的精神を得ているものの数は、どれだけあるだろう。それは幾億万の人々がまだ野蛮人にも等しい偏見と迷信とを抱いて、したがってまた、いつも宗教的詐欺師どもの玩弄品になっている間に、わずかに数千の人人に過ぎない。

また、科学が生理的や精神的の衛生についての合理的基礎をつくるために、何をしたかを、ただ一瞥でもして見るがいい。科学はわれわれに言う。われわれの身体の健康を保つためには、われわれはどう生活しなければならないか、群衆の衛生をはかるにはどうしなければならないかと。科学はまたわれわれに知識的および道徳的幸福の方法を教える。しかし、この二つの道のために成就された広大な研究は、まったくただわれわれの書物の中に死文となっているだけじゃないか。

それはまたなぜか。

それは、今日では、科学は少数特権者のためにだけつくられているからだ。社会を賃金奴隷と資本所有者との二つの階級に分ける社会的不平等が、合理的生活をさせる諸条件についてのいっさいの教えを、人類の十分の九のものにとっての嘲弄のようにしてしまったからだ。

私はまだ幾らでも例をひいて話しすることができる。しかし私はくどくどしくは言わない。諸君はただ、ほこりで黒くなった窓ガラスがようやく白日の光を書物の上に通すような、かのファウストの書斎から出るがいい。そして諸君のまわりを見るがいい。諸君は歩一歩ごとにこの思想を確かめる証拠を自分で見出すであろう。

今日はもう科学上の真理や発見を蓄積する時ではない。何よりもまず、科学によって得られた真理を広めて、それを実生活に適用して、万人共有のものにすることが肝要なのだ。すべての人が、全人類がそれを自分のものにし、自分の生活に適用するようになることが肝心なのだ。科学は贅沢品でなくて、すべての人の生活の基礎にならなければならないのだ。正義がそれをそういうふうに望むのだ。

私はなお進んで言う。これは科学そのものの利益からいっても、そうしなければならないのだ。科学は、新しい真理を受けいれるように準備された社会があって、初めて本当の進歩をする。熱の機械的起原論は、今日ヒルンやクロオシアスが言っているのとほとんど同じ言葉で、すでに十八世紀に唱えられていたのだが、物理学の知識が十分広まった、それを受けいれることのできる社会ができるまで、八十年のあいだ学士会院の記録の中に埋もれていた。また、種の変化についてのエラスムス、ダーウィンの考えが、その孫の口に賛成されて、輿論の圧迫をうけつつついに学士会院の学者達に承認されるまでには、実に三世代もかかっている。学者もやはり詩人や美術家と同じように、自分等がそこに活動し教訓する、その社会の産物なのだ。

しかし、もし諸君がこういった思想に徹したなら、何よりもまず学者にだけありあまるほどの科学的真理を専有させて、人類のほとんど全体を五世紀も十世紀も前と同じように、それらの真理を知ることのできない奴隷や器械のようにしておく、この現状に根本的の改革を加えることが肝心だと分るだろう。そしてまた、諸君がこの博大な人道的の、あくまでも科学的な思想に徹した時、その時に諸君は純粋科学の興味を失ってしまうだろう。諸君はこの改革を行う方法の研究を始めるだろう。そしてもし諸君がその研究をするのに、科学上の研究をする時にやったのと同じ公平無私で進んだなら、諸君は必ず社会主義を採用するだろう。曲論僻説とは縁を断ってわれわれの中にはいって来るだろう。すでにありあまるほどの快楽を持っている少数の人々に、その上にも快楽を与えるために働くことがいやになって、諸君の知識と熱心とを被圧制者の即刻の用に捧げるだろう。

そしてその時に諸君は、義務を果したという感じと、諸君の感情と行為との間に確かめられた本当の一致とによって、かつては夢にも知らなかった力を自分の中に見出すだろう。そしてまた、他日――しかもそれは、諸君の先生達にはお気の毒ながら決して遠いことではない――諸君がそのために働くだろう改革が行われた時、その時に科学は、集合的の研究とそのために働く労働者の群の有力な協力との中に新しい力を得て、今日の遅々とした進歩はそれに較べれば児戯の観をなすほどの、一大発展をするだろう。その時に科学を楽しめ。その楽しみは万人のためのものであるだろう。

Chapter 4 of 12
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