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骨董
幸田露伴
骨董といふのは元来支那の田舎言葉で、字はたゞ其音を表はしてゐるのみであるから、骨の字にも董の字にもかゝはつた義が有るのでは無い。そこで、汨董と書かれることもあり、又古董と書かれることもある。字を仮りて音を伝へたまでであることは明らかだ。さて然し骨董といふ音が何様して古物の義になるかといふと、骨董は古銅の音転である、といふ説がある。其説に従へば、骨董は初は古銅器を指したもので、後に至つて玉石の器や書画の類まで、すべて古いものを称することになつたのである。なるほど韓駒の詩の、「言ふ莫かれ衲子の籃に底無しと、江南の骨董を盛り取つて帰る」などといふ句を引いて講釈されると、然様かとも思はれる。江南には銅器が多いからである。しかし骨董は果して古銅から来た語だらうか、聊か疑はしい。若し真に古銅からの音転なら、少しは骨董といふ語を用ゐる時に古銅といふ字が用ゐられることが有りさうなものだのに、汨董だの古董だのといふ字がわざ/\代用されることが有つても、古銅といふ字は用ゐられてゐない。晴江は通雅を引いて、骨董は唐の引船の歌の「得董那耶、揚州銅器多」から出たので、得董の音は骨董二字の原だ、と云つてゐる。得董那耶は、エンヤラヤの様なもので、囃し言葉である、別に意味も無いから、定まつた字も無いわけである。其説に拠つて考へると、得董又は骨董には何の意味も無いが、古い船引き歌の其の第二句の揚州銅器多の銅器の二字が前の囃し言葉に連接してゐるので、骨董といふことが銅器などを云ふことに転じて来たことになるのである。又それから種の古物をも云ふことになつたのである。骨董は古銅の音転などといふ解は、本を知らずして末に就いて巧解したもので、少し手取り早過ぎた似而非解釈といふ訳になる。
又、蘇東坡が種の食物を雑へ烹て、これを骨董羮と曰つた。其の骨董は零雑の義で、恰も我邦俗のゴッタ煮ゴッタ汁などといふゴッタの意味に当る。それも字面には別に義があるのでは無い。又、水に落つる声を骨董といふ。それもコトンと落ちる響を骨董の字音を仮りて現はしたまでで、字面に何の義も有るのでは無い。畢竟骨董はいづれも文字国の支那の文字であるが、文字の義からの文字では無く、言語の音からの文字であつて、文字は仮りものであるから、それに訓詁的のむづかしい理屈は無い。
そんな事は何様でも可いが、兎に角に骨董といふことは、貴いものは周鼎漢彝玉器の類から、下つては竹木雑器に至るまでの間、書画法帖、琴剣鏡硯、陶磁の類、何でも彼でも古い物一切を云ふことになつてゐる。そして世におのづから骨董の好きな人が有るので、骨董を売買する所謂骨董屋を生じ、骨董の目きゝをする人、即ち鑑定家も出来、大は博物館、美術館から、小は古郵便券、マッチの貼紙の蒐集家まで、骨董畠が世界各国都鄙到るところに開かれて存在して居るやうになつてゐる。実におもしろい事で、又盛んなことで、有難い事で、意義ある事である。悪口を云へば骨董は死人の手垢の附いた物といふことで、余り心持の好いわけの物でも無く、大博物館だつて盗賊の手柄くらべを見るやうなものだが、そんな阿房げた論をして見たところで、野暮な談で世間に通用しない。骨董が重んぜられ、骨董蒐集が行はれるお蔭で、世界の文明史が血肉を具し脈絡が知れるに至るのであり、今までの光輝が吾曹の頭上にかゞやき、香気が我等の胸に逼つて、そして今人をして古文明を味はゝしめ、それから又古人とは異なつた文明を開拓させるに至るのである。食欲色欲ばかりで生きてゐる人間は、まだ犬猫なみの人間で、それらに満足し、若くはそれらを超越すれば、是非とも人間は骨董好きになる。云はゞ骨董が好きになつて、やつと人間並になつたので、豚だの牛だのは骨董を捻くつた例を見せてゐない。骨董を捻くり出すのは趣味性が長じて来たのである。それから又骨董は証拠物件である。で、学者も学問の種類によつては、学問が深くなれば是非骨董の世界に頭を突込み手を突込むやうになる。イヤでも黴臭いものを捻くらなければ、いつも定まりきつた書物の中をウロツイてゐる訳になるから、美術だの、歴史だの、文芸だの、其他いろ/\の分科の学者達も、有りふれた事は一ト通り知り尽して終つた段になると、いつか知らぬ間に研究が骨董的に入つて行く。それも道理千万な談で、早い譬が、誤植だらけの活版本で何程万葉集を研究したからとて、真の研究が成立たう訳は無い理屈だから、何様も学科によつては骨董的になるのがホントで、ならぬのがウソか横着かだ。マア此様な意味合もあつて、骨董は誠に貴ぶべし、骨董好きになるのは寧ろ誇るべし、骨董を捻くる度にも至らぬ人間は犬猫牛豚同様、誠にハヤ未発達の愍むべきものであると云つても可いのである。で、紳士たる以上はせめてムダ金の拾万両も棄てゝ、小町の真筆のあなめ/\の歌、孔子様の讃が金で書いてある顔回の瓢、耶蘇の血が染みてゐる十字架の切れ端などといふものを買込んで、どんなものだいと反身になるのもマンザラ悪くは有るまいかも知らぬ。
骨董いぢりは実にオツである、イキである。おもしろいに違ひ無い、高尚に違ひ無い、そして有意義に違ひない、そして場合によつては個人のため社会のためになる事も有るに違ひ無い。自分なぞも資産家でさへあれば屹度すばらしい贋物や贋筆を買込で大ニコ/\であるに疑ひ無い。骨董を買ふ以上は贋物を買ふまいなんぞといふ其様なケチな事で何様なるものか、古人も死馬の骨を千金で買ふとさへ云つてあるでは無いか。仇十州の贋筆は凡そ二十階級ぐらゐあるといふ談だが、して見れば二十度贋筆を買ひさへすれば卒業して真筆が手に入るのだから、何の訳は無いことだ。何だつて月謝を出さなければ物事はおぼえられない。贋物贋筆を買ふのは月謝を出すのだから、少しも不当の事では無い。扨月謝を沢山出した挙句に、いよ/\真物真筆を大金で買ふ。嬉しいに違ひ無い、自慢をしても可いに違ひ無い。嬉しがる、自慢をする。其の大金は喜悦税だ、高慢税だ。大金と云つたつて、十円の蝦蟇口から一円出すのは其人に取つて大金だが、千万円の弗箱から一万円出したつて五万円出したつて、比例をして見れば其人に取つて実は大金では無い、些少の喜悦税、高慢税といふべきものだ。そして其の高慢税は所得税などと違つて、政府へ納められて盗賊役人だかも知れない役人の月給などになるのでは無く、直に骨董屋さんへ廻つて世間に流通するのであるから、手取早く世間の融通を助けて、いくらか景気をよくしてゐるのである。野暮でない、洒落切つた税といふもので、いや/\出す税や、督促を食つた末に女房の帯を質屋へたゝき込んで出す税とは訳が違ふ金なのだから、同じ税でも所得税なぞは、道成寺では無いが、かねに恨が数ござる、思へば此のかね恨めしやの税で、此方の高慢税の如きは、金と花火は飛出す時光る、花火のやうに美しい勢の好い税で、出す方も、ソレ五万両、やすいものだ、と欣として投出す、受取る方も、ハッ五万円、先づ此位のものをお納めして置きますれば私も鼻が高うございますると欣して受取る。悪い心持のする景色では有るまい。誰だつて高慢税は出したからうでは無いか。自分も高慢税は沢山出したい。が、不埒千万、人生五十年過ぎてもまだ滞納とは怪しからぬものだ。
此の高慢税を納めさせることをチャンと合点してゐたのは豊臣秀吉で、何といつても洒落た人だ。東山時分から高慢税を出すことが行はれ出したが、初めは銀閣金閣の主人みづから税を出してゐたのだ。まことに殊勝の心がけの人だつた。信長の時になると、もう信長は臣下の手柄勲功を高慢税額に引直して、所謂骨董を有難く頂戴させてゐる。羽柴筑前守なぞも戦をして手柄を立てる、其の勲功の報酬の一部として茶器を頂戴してゐる。つまり五万両なら五万両に相当する勲功を立てた時に、五万両の代りに茶器を戴いてゐるのである。其の骨董に当時五万両の価値が有れば、然様いふ骨董を頂戴したのはつまり筑前守は五万両の高慢税を出して喜んでそれを買つたのと同じことである。秀吉が筑前守時代に数の茶器を信長から勲功の賞として貰つたことを記して居る手紙を自分の知人が持つてゐる。専門の史家の鑑定に拠れば疑ふべくも無いものだ。で、高慢税を払はせる発明者は秀吉では無くて、信長の方が先輩であると考へらるゝのであるが、大に其の税法を広行したのは秀吉である。秀吉の智謀威力で天下は大分明るくなり安らかになつた。東山以来の積勢で茶事は非常に盛んになつた。茶道にも機運といふものでがな有らう、英霊底の漢子が段に出て来た。松永弾正でも織田信長でも、風流も無きにあらず、余裕も有つた人で有るから、皆茶讌を喜んだ。然し大煽りに煽つたのは秀吉で有つた。奥州武士の伊達政宗が罪を堂ヶ島に待つ間にさへ茶事を学んだほど、茶事は行はれたのである。勿論秀吉は小田原陣にも茶道宗匠を随へてゐたほどである。南方外国や支那から、おもしろい器物を取寄せたり、又古渡の物、在来の物をも珍重したりして、おもしろい、味のあるものを大に尊んだ。骨董は非常の勢をもつて世に尊重され出した。勿論おもしろくないものや、味の無いものや、平凡のものを持囃したのでは無い。人をして成程と首肯点頭せしむるに足るだけの骨董を珍重したのである。食色の慾は限りがある、又それは劣等の慾、牛や豚も通有する慾である。人間はそれだけでは済まぬ。食色の慾が足り、少しの閑暇が有り、利益や権力の慾火は断えず燃ゆるにしても其れが世態漸く安固ならんとする傾を示して来て、然様無暗に修羅心に任せてきまはることも無効ならんとする勢の見ゆる時に於て、何様して趣味の慾が頭を擡げずに居よう。況んや又趣味には高下も有り優劣も有るから、優越の地に立ちたいといふ優勝慾も無論手伝ふことであつて、こゝに茶事といふ孤独的で無い会合的の興味ある事が存するに於ては、誰か茶讌を好まぬものが有らう。そして又誰か他人の所有に優るところの面白い、味のある、平凡ならぬ骨董を得ることを悦ばぬ者が有らう。需むる者が多くて、給さるべき物は少い。さあ骨董が何様して貴きが上にも貴くならずに居よう。上は大名達より、下は有福の町人に至るまで、競つて高慢税を払はうとした。税率は人が寄つてたかつて競り上げた。北野の大茶の湯なんて、馬鹿気たことでも無く、不風流の事でも無いか知らぬが、一方から観れば天下を茶の煙りに巻いて、大煽りに煽つたもので、高慢競争をさせたやうなものだ。扨又当時に於て秀吉の威光を背後に負ひて、目眩いほどに光り輝いたものは千利休であつた。勿論利休は不世出の英霊漢である。兵政の世界に於て秀吉が不世出の人であつたと同様に、趣味の世界に於ては先づ以て最高位に立つべき不世出の人であつた。足利以来の趣味は此人によつて水際立つて進歩させられたのである。其の脳力も眼力も腕力も尋常一様の人では無い。利休以外にも英俊は存在したが、少は差が有つても、皆大体に於ては利休と相呼応し相追随した人であつて、利休は衆星の中に月の如く輝き、群魚を率ゐる先頭魚となつて悠然として居たのである。秀吉が利休を寵用したのは流石秀吉である。足利氏の時にも相阿弥其他の人、利休と同じやうな身分の人は有つても、利休ほどの人も無く、又利休が用ゐられたほどに用ゐられた人も無く、又利休ほどに一世の趣味を動かして向上進歩せしめた人も無い。利休は実に天仙の才である。自分なぞは所謂茶の湯者流の儀礼などは塵ばかりも知らぬ者で有るけれども、利休が吾邦の趣味の世界に与へた恩沢は今に至て猶存して、自分等にも加被してゐることを感じてゐるものである。斯程の利休を秀吉が用ゐたのは実に流石に秀吉である。利休は当時に於て言はず語らずの間に高慢税査定者とされたのである。
利休が佳なりとした物を世人は佳なりとした。利休がおもしろいとし、貴しとした物を、世人はおもしろいとし、貴しとした。それは利休に一毫のウソも無くて、利休の佳とし、おもしろいとし、貴しとした物は、真に佳なるもの、真におもしろい物、真に貴い物であつたからである。利休の指点したものは、それが塊然たる一陶器であつても一度其の指点を経るや金玉たゞならざる物となつたのである。勿論利休を幇けて当時の趣味の世界を進歩させた諸星の働きも有つたには相違ないが、一代の宗匠として利休は恐ろしき威力を有して、諸星を引率し、世間をして追随させたのである。それは利休のウソの無い、秀霊の趣味感から成立つたことで、何等其間にイヤな事も無い、利休が佳とし面白しとし貴しとした物は、長へに真に佳であり面白くあり貴くある物であるのであるが、然し又一面には当時の最高有力者たる秀吉が利休を用ゐ利休を尊み利休を殆んど神聖なるものとしたのが利休背後の大光だつた事も争へない。で、利休の指の指した者は頑鉄も黄金となつたのである。点鉄成金は仙術の事だが、利休は実に霊術を有する天仙の臨凡したのであつたのである。一世は利休に追随したのである。人は争つて利休の貴しとした物を貴しとした。これを得る喜悦、これを得る高慢のために高慢税を納めることを敢てしたのである、其の高慢税の額は間接に皆利休の査定するところであつたのである。自身は其様な卑役を取るつもりは無かつたらうが、自然の勢で自分も知らぬ間に何時か然様いふ役廻りをさせられるやうになつてゐたのである。骨董が黄金何枚何十枚、一郡一城、或は血みどろの悪戦の功労とも匹敵するやうなことになつた。換言すれば骨董は一種の不換紙幣のやうなものになつたので、そして其の不換紙幣の発行者は利休といふ訳になつたやうなものである。西郷が出したり大隈が出したりした不換紙幣は直に価値が低くなつたが、利休の出した不換紙幣は其後何百年を経て猶其価値を保つてゐる。流石に秀吉はエライ人間をつかまへて不換紙幣発行者としたもので、そして利休は又ホントに無慾で而も煉金術を真に能くした神仙であつたのである。不換紙幣は当時何程世の中の調節に与つて霊力が有つたか知れぬ。其利を受けた者は勿論利休では無い、秀吉で有つた。秀吉は恐ろしい男で、神仙を駆使して吾が用を為さしめたのである。扨祭りが済めば芻狗は不要だ。よい加減に不換紙幣が流通した時、不換紙幣発行は打切られ、利休は詰らぬ理屈を付けられて殺されて終つた。後から/\と際限無く発行されるのでは無いから、不換紙幣は長く其の価値を保つた。各大名や有福町人の蔵の中に収まりかへつてゐた。考へて見れば黄金や宝石だつて人生に取つて真価値が有るのでは無い、矢張り一種の手形ぢやまでなのであらう。徹底して観ずれば骨董も黄金も宝石も兌換券も不換紙幣も似たり寄つたりで、承知されて通用すれば樹の葉が小判でも不思議は無いのだ。骨董の佳い物おもしろい物の方が大判やダイヤモンドよりも佳くもあり面白くもあるから、金貨や兌換券で高慢税をウンと払つて、釉の工合の妙味言ふ可からざる茶碗なり茶入なり、何によらず見処の有る骨董を、好きならば手にして楽しむ方が、暢達した料簡といふものだ。理屈に沈む秋のさびしさ、よりも、理屈をぬけて春のおもしろ、の方が好さゝうな訳だ。関西の大富豪で茶道好きだつた人が、死ぬ間際に数万金で一茶器を手に入れて、幾時間を楽んで死んでしまつた。一時間が何千円に当つた訳だ、なぞと譏る者が有るが、それは譏る方がケチな根性で、一生理屈地獄でノタウチ廻るよりほかの能の無い、理屈をぬけた楽しい天地の有ることを知らぬからの論だ。趣味の前には百万両だつて煙草の煙よりも果敢いものにしか思へぬことを会得しないからだ。