Chapter 1 of 37
大正七年漫吟
斎藤茂吉送別歌会
大正六年十二月二十五日東京青山茂吉宅に於て
わが住める家のいらかの白霜を見ずて行かむ日近づきにけり
長崎著任後折にふれたる
うつり来しいへの畳のにほひさへ心がなしく起臥しにけり
据風呂を買ひに行きつつこよひまた買はず帰り来て寂しく眠る
東京にのこし来しをさなごの茂太もおほきくなりにつらむか
かりずみのねむりは浅くさめしかば外面の道に雨降りをるかな
聖福寺の鐘の音ちかしかさなれる家の甍を越えつつ聞こゆ
ゆふぐれて浦上村をわが来ればかはず鳴くなり谷に満ちつつ
電灯にむれとべる羽蟻おのづから羽をおとして畳をありく
うなじたれて道いそぎつつこよひごろ蛍を買ひにゆかむとおもへり
灰いろの海鳥むれし田中には朝日のひかりすがしくさせり
とほく来てひとり寂しむに長崎の山のたかむらに日はあたり居り
陸奥に友は死につつまたたきのひまもとどまらぬ日の光かなや
われつひに和に生きざらむとおもへども何にこのごろ友つぎつぎに死す
おもかげに立ちくる友を悲しめりせまき湯あみどに目をつむりつつ
かりずみの家に起きふしをりふしの妻のほしいままをわれは寂しむ
うつしみはつひに悲しとおもへども迫り来ひとのいのちの悲しさ
むし暑き家のとのもに降る雨のひびきの鋭さわれやつかれし
長崎の石だたみ道いつしかも日のいろ強く夏さりにけり
仮住の家の二階にひとりゐるわがまぢかくに蚊は飛びそめぬ
わが家の石垣に生ふる虎耳草その葉かげより蚊は出でにけり
すぢ向ひの家に大工の夜為事の長崎訛きくはさびしも
長崎歌会
大正七年十一月十一日於斎藤茂吉宅 題「夜」
はやり風をおそれいましめてしぐれ来し浅夜の床に一人寝にけり