Chapter 1 of 4

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私はそのころ耳を澄ますようにして生きていた。もっともそれは注意を集中しているという意味ではないので、あべこべに、考える気力というものがなくなったので、耳を澄ましていたのであった。

私は工場街のアパートに一人で住んでおり、そして、常に一人であったが、女が毎日通ってきた。そして私の身辺には、釜、鍋、茶碗、箸、皿、それに味噌の壺だのタワシだのと汚らしいものまで住みはじめた。

「僕は釜だの鍋だの皿だの茶碗だの、そういうものと一緒にいるのが嫌いなんだ」

と、私は品物がふえるたびに抗議したが、女はとりあわなかった。

「お茶碗もお箸も持たずに生きてる人ないわ」

「僕は生きてきたじゃないか。食堂という台所があるんだよ。茶碗も釜も捨ててきてくれ」

女はくすりと笑うばかりであった。

「おいしい御飯ができますから、待ってらっしゃい。食堂のたべものなんて、飽きるでしょう」

女はそう思いこんでいるのであった。私のような考えに三文の真実性も信じていなかった。

まったく私の所持品に、食生活に役立つ器具といえば、洗面の時のコップが一つあるだけだった。私は飲んだくれだが、杯も徳利も持たず、ビールの栓ぬきも持っていない。部屋では酒も飲まないことにしていた。私は本能というものを部屋の中へ入れないことにしていたのだが食物よりも先ず第一に、女のからだが私の孤独の蒲団の中へ遠慮なくもぐりこむようになっていたから、釜や鍋が自然にずるずる住みこむようになっても、もはや如是我説を固執するだけの純潔に対する貞節の念がぐらついていた。

人間の生き方には何か一つの純潔と貞節の念が大切なものだ。とりわけ私のようにぐうたらな落伍者の悲しさが影身にまで泌みつくようになってしまうと、何か一つの純潔とその貞節を守らずには生きていられなくなるものだ。

私はみすぼらしさが嫌いで、食べて生きているだけというような意識が何より我慢ができないので、貧乏するほど浪費する、一ヶ月の生活費を一日で使い果し、使いきれないとわざわざ人に呉れてやり、それが私の二十九日の貧乏に対する一日の復讐だった。

細く長く生きることは性来私のにくむところで、私は浪費のあげくに三日間ぐらい水を飲んで暮さねばならなかったり下宿や食堂の借金の催促で夜逃げに及ばねばならなかったり落武者の生涯は正史にのこる由もなく、惨又惨、当人に多少の心得があると、笑いださずにいられなくなる。なぜなら、細々と毎日欠かさず食うよりは、一日で使い果して水を飲み夜逃げに及ぶ生活の方を私は確信をもって支持していた。私は市井の屑のような飲んだくれだが後悔だけはしなかった。

私が鍋釜食器類を持たないのは夜逃げの便利のためではない。こればかりは私の生来の悲願であって――どうも、いけない、私は生れついてのオッチョコチョイで、何かというとむやみに大袈裟なことを言いたがるので、もっともこうして自分をあやしながら私は生きつづけてきたのだ。これは私の子守唄であった。ともかく私はただ食って生きているだけではない、という自分に対する言訳のために、茶碗ひとつ、箸一本を身辺に置くことを許さなかった。

私の原稿はもはや殆ど金にならなかった。私はまったく落伍者であった。私は然し落伍者の運命を甘受していた。人はどうせ思い通りには生きられない。桃山城で苛々している秀吉と、アパートの一室で朦朧としている私とその精神の高低安危にさしたる相違はないので、外形がいくらか違うというだけだ。ただ私が憂える最大のことは、ともかく秀吉は力いっぱいの仕事をしており、落伍者という萎縮のために私の力がゆがめられたり伸びる力を失ったりしないかということだった。

思えば私は少年時代から落伍者が好きであった。私はいくらかフランス語が読めるようになると長島萃という男と毎週一回会合して、ルノルマンの「落伍者」という戯曲を読んだ。(もっともこの戯曲は退屈だったが)私は然しもっと少年時代からポオやボードレエルや啄木などを文学と同時に落伍者として愛しており、モリエールやヴォルテールやボンマルシェを熱愛したのも人生の底流に不動の岩盤を露呈している虚無に対する熱愛に外ならなかった。然しながら私の落伍者への偏向は更にもっとさかのぼる。私は新潟中学というところを三年生の夏に追いだされたのだが、そのとき、学校の机の蓋の裏側に、余は偉大なる落伍者となっていつの日か歴史の中によみがえるであろうと、キザなことを彫ってきた。もとより小学生の私は大将だの大臣だの飛行家になるつもりであったが、いつごろから落伍者に志望を変えたのであったか。家庭でも、隣近所、学校でも憎まれ者の私は、いつか傲然と世を白眼視するようになっていた。もっとも私は稀代のオッチョコチョイであるから、当時流行の思潮の一つにそんなものが有ったのかも知れない。

然し、少年時代の夢のような落伍者、それからルノルマンのリリックな落伍者、それらの雰囲気的な落伍者と、私が現実に落ちこんだ落伍者とは違っていた。

私の身辺にリリスムはまったくなかった。私の浪費精神を夢想家の甘さだと思うのは当らない。貧乏を深刻がったり、しかめっ面をして厳しい生き方だなどという方が甘ったれているのだと私は思う。貧乏を単に貧乏とみるなら、それに対処する方法はあるので、働いて金をもうければよい。単に食って生きるためなら必ず方法はあるもので、第一、飯が食えないなどというのは元来がだらしのないことで、深刻でもなければ厳粛でもなく、馬鹿馬鹿しいことである。貧乏自体のだらしなさや馬鹿さ加減が分らなければ文学などはやらぬことだ。

私は食うために働くという考えがないのだから、貧乏は仕方がないので、てんから諦めて自分の馬鹿らしさを眺めていた。遊ぶためなら働く。贅沢のため浪費のためなら働く。けれども私が働いてみたところでとても意にみちる贅沢豪奢はできないから、結局私は働かないだけの話で、私の生活原理は単純明快であった。

私は最大の豪奢快楽を欲し見つめて生きており多少の豪奢快楽でごまかすこと妥協することを好まないので、そして、そうすることによって私の思想と文学の果実を最後の成熟のはてにもぎとろうと思っているので、私は貧乏はさのみ苦にしていない。夜逃げも断食も、苦笑以外にさしたる感懐はない。私の見つめている豪奢悦楽は地上に在り得ず、歴史的にも在り得ず、ただ私の生活の後側にあるだけだ。背中合せに在るだけだった。思えば私は馬鹿な奴であるが、然し、人間そのものが馬鹿げたものなのだ。

ただ私が生きるために持ちつづけていなければならないのは、仕事、力への自信であった。だが、自信というものは、崩れる方がその本来の性格で、自信という形では一生涯に何日も心に宿ってくれないものだ。此奴は世界一正直で、人がいくらおだててくれても自らを誤魔化すことがない。私とておだてられたり讃めたてられたりしたこともあったが、自信の奴は常に他の騒音に無関係なしろもので、その意味では小気味の良い存在だったが、これをまともに相手にして生きるためには、苦味にあふれた存在だ。

私は貧乏を意としない肉体質の思想があったので、雰囲気的な落伍者になることはなく、抒情的な落伍者気分や厭世観はなかった。私は落伍者の意識が割合になかったのである。その代り、常に自信と争わねばならず、何等か実質的に自信をともかく最後の一歩でくいとめる手段を忘れることができない。実質的に――自信はそれ以外にごまかす手段のないものだった。

食器に対する私の嫌悪は本能的なものであった。蛇を憎むと同じように食器を憎んだ。又私は家具というものも好まなかった。本すらも、私は読んでしまうと、特別必要なもの以外は売るようにした。着物も、ドテラとユカタ以外は持たなかった。持たないように「つとめた」のである。中途半端な所有慾は悲しく、みすぼらしいものだ。私はすべてを所有しなければ充ち足りぬ人間だった。

そんな私が、一人の女を所有することはすでに間違っているのである。

私は女のからだが私の部屋に住みこむことだけ食い止めることができたけれども、五十歩百歩だ。鍋釜食器が住みはじめる。私の魂は廃頽し荒廃した。すでに女を所有した私は、食器を部屋からしめだすだけの純潔に対する貞節を失ったのである。

私は女がタスキをかけるのは好きではない。ハタキをかける姿などは、そんなものを見るぐらいなら、ロクロ首の見世物女を見に行く方がまだましだと思っている。部屋のゴミが一寸の厚さにつもっても、女がそれを掃くよりは、ゴミの中に坐っていて欲しいと私は思う。私が取手という小さな町に住んでいたとき、私の顔の半分が腫れ、ポツポツと原因不明の膿みの玉が一銭貨幣ぐらいの中に点在し、尤も痛みはないのである。ちょうど中村地平と真杉静枝が遊びにきて、そのとき真杉静枝が、蜘蛛が巣をかけたんじゃないかしら、と言ったので、私は歴々と思いだした。まさしく蜘蛛が巣をかけたのである。私は深夜にふと目がさめて、天井と私の顔にはられた蜘蛛の巣を払いのけたのであった。私は今でも不思議に思っているのであるが、真杉静枝はなぜ蜘蛛の巣を直覚したのだろう? こんなことを考えつくのは感嘆すべきことであるよりも、凡そ馬鹿馬鹿しいことではないか。

新しい蜘蛛の巣は綺麗なものだ。古い蜘蛛の巣はきたなく厭らしく蜘蛛の貪慾が不潔に見えるが、新しい蜘蛛の巣は蜘蛛の貪慾まで清潔に見え、私はその中で身をしばられてみたいと思ったりする。新鮮な蜘蛛の巣のような妖婦を私は好きであるが、そんな人には私はまだ会ったことがない。日本にポピュラーな妖婦の型は古い蜘蛛の巣の主人が主で、弱さも強さも肉慾的であり、私は本当の妖婦は肉慾的ではないように思う。小説を書く女の人に本当の妖婦はいない。「リエゾン・ダンジュルーズ」の作中人物がそう言っているのだが、私もそれは本当だと思う。

私は妖婦が好きであるが、本当の妖婦は私のような男は相手にしないであろう。逆さにふってふりまわしても出てくるものはニヒリズムばかり、外には何もない。左様。外にうぬぼれがあるか。当人は不羈独立の魂と言う。鼻持ちならぬ代物だ。

人生の疲労は年齢には関係がない。二十九の私は今の私よりももっと疲労し、陰鬱で、人生の衰亡だけを見つめていた。私は私の女に就て、何も描写する気持がない。私の所有した女は私のために良人と別れた女であった。否むしろ、良人と別れるために私と恋をしたのかも知れない。それが多分正しいのだろう。

その当座、私達はその良人なる人物をさけて、あの山この海、温泉だの古い宿場の宿屋だの、泊り歩いていた。私は始めから特に女を愛してはいなかった。所有する気持もなかった。ただ当もなく逃げまわる旅寝の夢が、私の人生の疲労に手ごろな感傷を添え、敗残の快感にいささかうつつをぬかしているうちに、女が私の所有に確定するような気分的結末を招来してしまっただけだ。良人を嫌いぬいて逃げ廻る女であったが、本質的にタスキをかけた女であり、私と知る前にはさるヨーロッパの紳士と踊り歩いたりしていた女でありながら、私のために、味噌汁をつくることを喜ぶような女であった。

女が私の属性の中で最も憎んでいたものは不羈独立の魂であった。偉い芸術家になどなってくれるなと言うのである。平凡な人間のままで年老い枯木の如く一緒に老いてみたいというのである。私が老眼鏡をかけて新聞を読んでいる。女も老眼鏡をかけて私のシャツのボタンをつけている。二人の腰は曲っている。そして背中に陽が当っている。女はその光景を私に語るのである。そうなりたいのは女の本心であった。いくらかの土地を買って田舎へ住みましょうよ。頻りに女はそう言うのだ。

そういう女だから私が不満なわけではない。元々私が女を「所有」したことがいけないので、私は女の愛情がうるさくて仕方がなかった。

「ほかに男をつくらないか。そしてその人と正式に結婚してくれないかね」

と私は言うが、女がとりあわないのにも理由があり、私は甚だ嫉妬深く、嫉妬というより負け嫌いなのだ。女が他の男に好意をもつことに本能的に怒りを感じた。そんな怒りは三日もたてば忘れ果て、女の顔も忘れてしまう私なのだが、現在に処して私の怒りの本能はエネルギッシュで、あくどい。女が私の言葉を信用せず、私の愛情を盲信するにも一応自然な理由があった。

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