Chapter 1 of 13

首渡し

一の谷の合戦で討たれた平家一門の首が都に帰ってきたのは、寿永三年二月七日である。

この噂を伝え聞いた平家の縁者たちは、一体誰の首が帰ってくるのだろう、自分にゆかりのある者でなければ良いがと、夜もろくろく眠られない始末である。

まもなく、首といっしょに一人生捕りになった三位中将も帰って来るという噂がつたえられた。この噂に心を痛めたのは、小松三位中将維盛の北の方である。三位中将と聞いただけで、てっきり、それは維盛に違いないと思いこみ、悲しみのあまり床に就いてしまったのである。ところが、この三位中将は同じ三位中将でも、本三位中将重衡のことだということがわかった。しかし、そうなると今度は、小松三位の方は首の中にあるのではないかという疑いが起り、嘆きは更に深くなってゆくのである。

源九郎冠者義経、蒲冠者範頼の二人は、これらの首を東洞院の大路を北へ見せあるいた上で、獄門にかけたいということを後白河法皇に伺いをたてた。これには法皇もお困りになったらしい。太政大臣以下、重立ったる公卿五人を呼んで相談を掛けられた。すると、期せずして五人の意見は一致していた。いうまでもなく、反対だったのである。

「昔から、卿相という高官に就いた者が大路をさらされたことは先例がありません。更にこのたび、入京いたしましたこれらの方々は、いやしくも朝廷の御外戚でもあり、彼らをさらし者にすることは、朝家の威信を傷つける事になりましょう。義経の心中は、同情すべきでしょうが、この事ばかりは、お許しになるべきではないと思います」

法皇も内々、同じ意見であったから、義経には、不承知の旨が伝えられた。義経の不満は大きかった。戦功の大きさに比べても、法皇のやり方は片手落ちに思えるのである。重ねて、義経は法皇に許可を求めた。

「保元の昔からかえりみますれば、祖父為義の仇、平治の乱では、父義朝の敵だった平家でございます。この口惜しさ、憤りは私の身にならなければおわかり頂けぬかと思いますが、更に平氏専横の政権をくつがえし、我身を捨てて働いたのも、何を申しましょう、すべて我が君のため、我が祖先の恥をそそがんためでございます。此の度のお願さえお許し下さらぬようでは、以後、何の張合があって戦を続けることができましょうか」

重ねがさねの訴えには、法皇も志を屈せざるを得なかった。こうして、かつては九重の奥深く、顔さえみることもできなかった平家の公達の首が、都大路を幾万という観衆に見世物にされて渡されることになったのであった。それを一目見たさに、つめかけた老若貴賤の人々も、さすがに首となって帰ってきた彼らの姿には、哀れさが先に立ち涙なくしては見られなかった。

維盛から後事を託された斎藤五、斎藤六の兄弟も、この観衆の中にいて、そっと姿をやつしていたが、見知った首、知り合いの首が過ぎる度に、いつしか、顔中、涙でびっしょりになってしまった。いくら姿を変えていても、これでは、余りに目に立ち過ぎると、早々にその場を引き揚げて、北の方のいる大覚寺へと道を急いだ。

帰ってきた二人の姿を見ると、北の方は気もそぞろに問いかけた。

「どうだったの。殿のお姿は見えましたか」

「小松殿のご兄弟の中では、備中守師盛殿お一人でございました。その他には、誰々、誰々」

一人一人、名を数えあげると、

「とても人ごととは思われません、いつ我が身のことになるかも知れぬのに」

とすすりあげるのであった。

「何でも、人の話ではございますが、このたびの戦では、小松ご兄弟は、播磨と丹波の境、三草山を固めておられた由、義経に破られた後は、資盛、有盛、忠房の御三方は播磨の高砂からご乗船、讃岐の屋島へ落ちのびられました由、師盛卿お一方だけが離れて一の谷で討死なさったということでございます」

「では、殿は如何なされたのじゃ?」

「そのことも聞いて参りましたが、何でも、戦のはじまる前に、ご病気におなりになって、屋島でご養生とか、――此の度の戦にはお加わりになっていないそうでございますが」

「あのようなご不便なところでご病気とは、どんなにお辛いことであろうかのう、それというのも、きっと都のことばかりご心配になってのお病気に違いない。私とても風が吹く日には、今日は舟にお乗りか、戦があったときけば、討死なさったのではないかと、何かにつけて、お案じ申し上げぬことはないのに。それで、ご病状はどんな風か、聞かなかったのかい?」

幼い若君、姫君までも、いっしょになって心配する有様であった。

この肉親の心が、遠く海を距てた維盛にも伝わらぬはずはない。屋島で、病後を労わっていた維盛も同じように、妻や子の上に思いをはせていたのである。

「奥も、和子たちも、どんなに心配しておることであろう。たとえ、首の中にはなくとも、そうなれば、また、溺れ死したとか、矢に当って死んだとか取越苦労をするものだ。或いはもう、この世には生きてはいまいと思っているかも知れぬ、辛うじて生き長らえていることだけは知らせてやりたい」

と、使いの者を一人仕立てて、京の奥方の許にそれぞれに三つの手紙を書いてわたした。

「敵の中に、か弱い女の身で、和子二人を抱え、どんなに苦労されているかと思えば、心はたちまち、京の空に舞い戻る心地がする。そなた達三人、此処へ迎えて、親子四人が寄り合って暮したいのは山々だが、此の地とても永久に安穏というわけでなし、わが身一人の辛さなれば、どんなことでもがまんするものを、そなたたち三人をこの憂目に合わすのは、何としても心苦しく、ついに思い止まった。云々」

尽きぬ恋しさと、慕情をこめて書かれたこの手紙の最後には、一首の歌がしるしてあった。

いずくとも知らぬ逢瀬の藻塩草

かきおく跡を形見ともみよ

また子供たちには、

「毎日、どうやって暮しておるかと、そればかり案じている。急いで父の傍に迎えるつもり故、その日を楽しみに、母上を大切にして待っていてくれることのみ念じている」

と書かれてあった。この手紙を見た北の方は、喜びと同時に一層悲しさがこみあげてきて、もう、なつかしい夫の文字をたどることもできないのである。

いよいよ、返事を書く段になって、若君と姫君が尋ねた。

「父上には何と書いたらいいのでしょう」

「それはお前方の思ったとおり、心に感じたままをお書きなさい」

二人は黙ってうなずいていたが、書かれた返事は、

「どうして今まで、お迎えには来て下さらぬのでしょう? 一日一夜とて、父上の恋しくない時はないのに、今度は本当に早くお迎えを下さい」

と、たどたどしい筆跡であった。

使いの者は、四、五日逗留した後、屋島に帰っていった。維盛は、開くのももどかし気に、先ず子供たちの便りを読んだが、たちまち両眼をくもらせると、はらはらと涙を流した。

「この世に、親子、夫婦の愛情の絆ほど強くひかれるものはない。わしはもう戦もいや、浄土を願うのもおっくうになってきた。それよりも、山伝いでもして、いかなる険路でもよい、再び都に帰り、恋しい者たちに逢ってからでなくては、死ぬのもいやじゃ」

と、しみじみいうのであった。

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