Chapter 1 of 8
一
花嫁が式服を替えて、再座に著いた頃には、席は既に可なりな乱れやうであつた。
隆治夫妻は、機会さへあれば、もう帰りたいと思つてゐた。そこへ、廊下伝ひに来た女中が、彼等の背後の障子を静かに開けた。
「吉田さん、でいらつしやいますね。」と確めるやうに一つ微笑してから、「御電話で御座います。」
「おい。」
隆治が気軽に起たうとすると、妻の綾子が「私が参りませう。」と、女中のあとを、廊下へ出てしまつた。
隆治は、いゝ機会だから、これで帰らうと思つた。それで、床の前に坐つてゐる当夜の花嫁花婿を眺めながら、ぼんやりと腹の中で帰る口上を考へてゐると、
「あなた!」と不意に背後の障子が開いた。妻は、息をはづませてゐる。「あなた、孝ちやんが死んだのですつて!」
思ひきり障子に掴まつた右の手先が、おかしいほど震えてゐた。
「なに!」
「たつた今。」ぐつと声を落した。「毒を嚥んだのですつて!」
「ほ!」
思はず隆治も声を低めた。
「で、すぐいらして頂けないかつて。孝ちやんのお母様が電話口に出てらつしやるの。」
隆治は、すつかり聞き終らない中に、起ち上つた。障子の外へ辷り出ると、その儘そつとあとを閉めて、夫妻は近々と顔を見合せた。綾子は驚いた時の癖の、左の眉を心もちひきつるやうにあげてゐた。
廊下から、廂を通してみた空は、雨催ひの、しつとりと押へつける様な空だつた。庭木は、灯の光りの及ぶ限りの葉を照らされて、深々と黝ずんでみえたが、みづ/\した苔の庭土は、妙に明るい色だつた。
「さあ、おい。」
椿の葉だなと、鉢前の一むらの繁みを見て、何のかゝわりもない事を、ぼんやりした心の片隅で確めながら、隆治は妻を促した。