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情報局官制が廃止せられて、割当事務の所管は従来からの関係で商工省に移った。日本出版協会の用紙割当権は一応取上げられて「新聞雑誌用紙割当委員会」の手に移ったことは慶賀すべきことであった。この時こそ割当事務の根本的改革を行なう絶好の機会であったように思うのである。筆者も選ばれて委員会の一人に加わっていた。ところが残念な、且は非常に申し訳ないことであったが、当時私は珍らしく大患に罹って、病癒えて出席したときにはすでに任期の半を過ぎて、大綱はすでに決定せられ、僅かに事務的処理が残されているのみであった。事務的処理は私の最も不得手とするところで、三千に余る出版社の、見たことも聞いたこともないような雑誌の是非を決定するようなことは人間業のよくするところではないのである。まして業者の死活を制するが如き重大問題を二日や三日の会議で、噂や評判や、ペラペラとページを繰ったりするくらいのことで無責任に決定してしまうようなことは、良心的であればあるほど心苦しい。殊に最も心苦しいことは、協会事務局が多年の経験と情実とで作成した原案そのものに明らかに不正と過失が伏在することを認めても、悲しいことにはこれを覆えすべきデータを有っていないことと、反対に、出たらめでも何でも資料らしき資料をかれらが持っているということである。いつの場合でも原案を覆えすことは困難なことに違いない。ましてああいう複雑かつ煩瑣な調査にはもっと専門的にぶつかった人間を必要とする。恐らくはどの委員といえども一人として自信を以て決定した人はいないのではないだろうかと私は思うのである。その意味において、よく協会が吹聴する協会の文化委員会についても、私は同様の疑問をもっている。なるほど個人個人としては学識経験ともに優れた学者、識者を網羅しているに違いない。だから形の上においては実に立派な堂々たる委員会が形作られているようだが、実際には果たしてどうであろう。しかもその数百五十に上るというのではなおさら心配である。責任はその数が多ければ多いほど責任を分担することになって無責任になり易いものである。私は統制会時代に各五十名の書籍委員、雑誌委員というのがあって、それがいかに滑稽な有名無実に終ったかをまざまざと見せられている。まさかそれほどでないまでも、委員の数が多いということだけではわれわれは安心できないのである。出版協会は常にこの種のカラクリによって衆愚を釣ろうとする。釣られる衆愚も悪いが、こういう事を平気でやる日本出版協会は果たして出版界の利益や将来を考えているものといえるだろうか。