Chapter 1 of 3

また雪が降り出した。

もう一尺五寸、

手の指も足の指もちぎれそうだ。

しかし俺は喰いものをあさりに、

一人山へ登って行く。

俺はいつも、男だ男だと思って、

寒さを消しながら、

夢中で山から山をあさって歩く。

これは、青森県のある新聞に載せてあったもので、或る農村――八甲田山麓の村の一青年の詩である。詩としての良し悪しはここでは問題としない。只、この短かい詩句の中から、大飢饉に見舞われたこの地方の百姓達の、生きるための苦闘をはっきり想い浮べて貰えれば足るのである。殊に、

「俺はいつも、男だ男だと思って、寒さを消しながら、夢中で山から山をあさって歩く」という文句の、男だ男だと、ひとりで我ん張っているところが、あまりに単純素朴であるだけ、哀れにも惨めではないか。

私も、常陸の貧乏な百姓村に生れて、百姓達の惨めな生活は、いやというほど見て来た。また、東京へ出てからは、暗黒街にうごめく多くの若い女達、失業者街にうろつく多くの浮浪者達の、絶望的な生活も、げんなりするほど見て来た。そうして、人間、飢えということが、どんなことであるか、それはどんな結果を見るか、ということも、あらゆる機会あらゆる場合で見て来た。

しかし、右の詩句に現われているような、単純にして素朴な苦闘ぶりには、それが、大凶作、大飢饉地帯の中であるだけに、私は、今までの暗黒街の女群や、ルンペン群の生活苦闘に対して感じたのとはまた異った、一種特別の暗然たる気持ち――泣きながら眠って行く孤児を見るような淋しい暗さを感ぜずにはいられなかったのである。

で、私は考えずにはいられなかった。果してこれが、飢饉地帯の百姓達の最後までの生き方であろうか。多くの百姓達は、食物が尽き果てて、ついに餓死する時まで、同じように黙々として、何ものも恨まず、何ものにも訴えずに終るのであろうか?

岩手県下に三万余人、青森県下に十五万人、秋田県下に一万五千人、そうして北海道全道には二十五万人、総計四十五万人近くの百姓達は、この冬の氷と雪に鎖されながら、字義通り餓死線上に立たされているという。

私は、これらの人達の中の幾人かと会って話し合い、以上の疑問をただして見たかった。即ち、それらの百姓達の胸の奥には、この大凶作、大飢饉に対して、どんなことが考えられているか、どんな生き方が考えられているか、またそれが今、どんな具体的な姿となって現われつつあるか、そのほんとうのところを知りたかった。――私は出かけて行ったのである。

それは今から、十日ほど前、昨年十二月二十七日の午後一時頃であった。私は先ず、岩手県下で最もひどかったという地方――岩手県の御堂村という部落へ入って行った。ここは、盛岡市から北へ一時間ほど乗り、沼宮内という小駅で降りて、更らに徒歩で一里近く山手に入った所である。

空は晴れたり曇ったりしていたが、やがて、北の方からうす墨の雲が低く流れて来たかと思うと、粉雪がさァーッと降り出して来た。私は、オーバーの襟を立てて、田圃と畑との間の村道を歩いていた。それは、どろどろの道である。じっと立っていれば、泥は脛までも埋めそうな深い泥の道である。

私は、満洲の泥道を想い出しながら、短靴を靴下まで泥にして、山裾の村へ入って行った。と、子供が四五人、ある小さな藁家の軒の下にうずくまって、私を珍らしそうに見ている。私は、小学校を訪ねるつもりだったので、その子供達へその道順を訊いて見た。

「ここを行ったら、学校へ行けるかえ?」

「…………」

子供達は、顔を見合して黙っている。私は手をあげてまた訊いた。

「学校は、こっち、あっち?」

すると、一人の男の子が、その短かい手をあげて、

「あっちだべえし」と言った。

私はこの時、つくづくとこの子供達の着物を見た。それは縞目も解らない真黒のもので、また実にひどいぼろであった。私も、貧乏百姓の子供達と一緒に、ぼろにくるまって育ったのであるが、これほどのぼろではなかった。冬になれば、木綿ではあったが、シャツも股引もはいた。が、この子供達は雪が降っているというのに、シャツも着ていず、足袋もはいていなかった。そして、女の子は、脛だけをくるんだ赤い布の股引をはいているきりであった。

私は、ふと、台湾の生蕃人を想い出した。生蕃人もその脛に赤い布の脚絆をはいていたからである。こればかりではない。この子供達のぼうぼうに乱れた頭髪、いつ風呂に入ったか解らないような真黒けな手や足を見ても、生蕃人を聯想せずにはいられなかった。これは、単に今年の凶作のためばかりではなく思われた。今までの彼等の生活が、こうなのだろうと思われた。で、私は、間もなく小学校を訪ねて、その校長に会うといきなり質問したのである。

「この地方の百姓達は、あれほどまでに原始的の生活をしているのですか?」

「さようです」校長は、顎一ぱいに生えらかした髯をざらざらと撫でながら答えるのである。「私も、始めて赴任して来た当時はびっくりしました。何しろ、生徒の大部分は、いつも泥だらけの手足をしている。風呂へ入らないどころか、手足もろくに洗わないのです。で、それを注意したところがこんど来た校長は変な人だ。ひるに、手足を洗えと言った、と言って、あべこべに私が非難されたですから」

「それじゃ、教育程度もずいぶん低いですね?」

「さようです。子供の入学年齢が来ても、たまたま役場からの通知漏れがあったりすると、その子供が九つになっても十になっても学校へ入れようとはしません。それから、農繁期になりますと、学校よりゃ野良仕事が大事だと言って、めったに学校へは出て来ない子供が多いです」

「それじゃ、村の百姓達の人情、人気はどうでしょう?」

「その点はまた実に純朴です。恐らく日本中で、一番純朴な人達ではなかろうかと思います。その一つの証拠でありますが、最近、この村の青年訓練所の人達が、在満軍人慰問金を集めるために、活動写真をやりました。一人十銭の入場料で、この学校の生徒もその切符を買うようすすめられましたが、何しろこの不況と凶作とで、百姓達は一銭の金も持っていません。ですから、四百人近くの生徒の中で、その十銭の入場券を買い得たものはたった六人でした。活動写真といえば、子供は泣くほど見たいのですが、その金がないのです。そんな訳で、この村中六百軒あまりから集った金が僅か二十円足らずであったそうですが、そしてこの金こそ全く血の出るような金ですが、それを全部、在満の軍人へ送ってしまったのです。この純朴な忠君愛国熱は非常なもので、この地方の百姓達はみんな『一太郎ヤーイ』のお婆さんのような人達ばかりです」

この村の今年の凶作状態を見ると、一反二石が平作であるに対し、一反(三百坪)三斗乃至四斗であった。また全村総反別二百町の二割までは全然無収穫であったという。そうして百姓達は、粟と稗とで飢えをしのぎ、更らに山地の百姓達になると、シダミと称する楢の実をふかして食い、わらびの根を澱粉として腹を充たしているというのだ。従って、全村の小学校児童九百名のうち、四百名までは欠食児童であるというのだ。この事実と、今の話、在満軍人慰問金との話とを思い合わせて、私は、何とも言えなくなったのであった。

私は最後に言ったのである。

「じゃ、この地方の人達は、今、食うものを食わず着るものを着ずという状態ですね?」

「まアそうです」と校長は暗い顔をした。

「子供達の大部分は、とてもひどいぼろを着ています。今まででもずいぶんひどい身なりでしたが、今年の飢饉では、もう身につけるものなどは一つでも買うことが出来ない有様です。雪が降り出してから、ゴム靴ははいて来ますが、そのゴム靴が破けていて、中が泥だらけのが多いです。しかも素足にその泥だらけのをはいているのですから、堪らないです。もしこのままでいたら二月頃には、餓死者と同時に、凍死者も出るのではないかと思われるほどです……」

そうして校長先生は、しばらく沈黙の後、部屋の隅の「かます俵」を指し、

「あれは、この学校に所属した田から取れた米です。年々三斗ばかり取れるので、お正月が来ると、それでお餅をついて祝ったのですが、今年はもみで一斗ばかり、それとどうせくだけ米ですから、このお正月にはお餅もつかないことにしました」

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