Chapter 1
これは「基礎ドイツ語」1953年度4月号に発表された関口存男氏の論考「移轍」の再録です.今日の読者に読みやすいように編集者の責任で漢字,かな使いなどを訂正しました.
二十年ほど前の新聞に次のような笑話がのっていました(Grne Post, 1932):
”Hast du noch Geschwister, Kleine?“
”Nein, ich bin alle Kinder, die wir haben.“
「お嬢ちゃんはまだほかにご兄弟がおありですか?」
「いいえ,全部であたし一人きりなの」
けだし名答ですな.さてこの ich bin alle Kinder, die wir haben というトンチンカンな文章のトンチンカン性のよってもって来たるところの所以(ゆえん)を,少し野暮ったいが,論理的に分析して見ますと,これは,次にあげる[A]と[B]の混線です:
[A]Ich bin das einzige Kind des Hauses.
[B]Das sind alle Kinder, die wir haben.(と両親ならいう)
すなわち,子供としては[A]の方で答えるべきであり,両親としては[B]の方で答えるべきなのですが,最初ごく自然に Ich bin...... といったまではよかったが,das einzige Kind des Hauses などという紋切り型はとうてい子供の口にはのぼりません.そこで,いつもこういう場合に大人が口にする[B]の方を継ぎ合わせて間に合わせたというわけです.
いったい小児というものは,大人にいわれる通りの文句をよくおぼえていて,そのままをどこへでもヒョイとはりつけて文章を作るから面白い.この笑話などは,おそらく実話でしょう.実話といえば昨年の Reader's Digest に,五歳の子供にむかって色々な語を与えてその定義を下させた解答がのっていましたが,a rock(岩,たいていは,路などに頭を出している石のこと)とは何かという問にたいする答が面白い:A rock is when trip on it you should have watched where you were going(石というのは,けつまずいて転んだら,もっとよく前を見て歩かないからけつまずく物)なんだそうです.この英語も,文法的見地からながめると甚だおかしな英語ですが,そのおかしなところが……おかしくて面白いのです.
以上のように,同じ趣旨のことを[A]のようにものようにも」は底本では「[A]ようにも」][B]のようにも表現できるときに,[A]の前半から[B]の後半へと連結してしまう現象を,仮に「移轍」(bergleisung)と呼ばせてもらいましょう.これは,けっして特殊な希な現象ではなく,よくいう Sprachdummheiten(舌たらず,言葉のまちがい)のほとんど全部がこれであり,また,外国語研究者が面白ろがったり首をひねったりする言語の特癖や畸型(きけい)の九割までがこれなのです.認められた移轍はこれを「文章形態」といい,認められない移轍はこれを「舌足らず」あるいは「文法違反」という……というも過言ではありません.
備考:昔から文法家の用いている名称は Anakoluth(または Anakoluthie, Anakoluthon)で,ドイツ語に訳すと,Unfolge(首尾不一貫)――また Kontamination(交錯,混淆,混線)ともいいます.けれども,現象に名称をつけるときには,できることなら名称そのものがすでに説明であるほうがよろしい.移轍という名称を提唱するのはそのためです.――なお Kreuzung(交錯,混血)ということもいわれますが,このほうは不可.なぜかというと「語順」或いは「配語法」のほうの,たとえば Die Kunst ist lang, und kurz ist unser Leben などを古来 Chiasmus, Decussatio すなわち Kreuzung と呼ぶのが通例になっていますから,混同を避けねばなりますまい.また,交叉というと,前後関係が表現されず,桃に柿を継木したのと,柿に桃を継木したのとが同一視される……どころか,その両者の合したものであるかのような感じを与えるから困ります.移轍というのは,AとBとの移轍ではなく,A「から」B「へ」の移轍なのです.「と」と「と」が問題になる所では交叉も結構ですが,「から」と「へ」が問題になる所では命名法も変ってこなければなりますまい.まあ,別に道楽で異を唱えるのではないという意味の苦しい申しわけです.