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比較神話学
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比較神話学
高木敏雄
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译文 Pagera AI
原文 Public Domain
Chapter 3 of 20

第壱節 神話学の概念及び其由来

古代の希臘語に「ミュトス」と云う語あり。普通の解釈に従えば、説話或は伝説の義にして、厳密の意義に於ては、歴史のはじまる以前の時代に起原を有する伝説の謂なり。今日の科語に於ては、「ミュトス」とは一般に一個の神格を中心とする、一個の説話の義にして、之を邦語に翻して神話という。此種の説話をその研究の対象とする一個の科学、これを名づけて「ミュトロギー」と云い、之を邦語に翻して、神話学という。神話学の中にて、特に或国民の神話を、その研究の対象とするものを国民神話学と称し、国民神話学にして、特に古史に見ゆる神話を研究するものを国民古史神話学という。之に反して、弘く数個の民族に亘りてその神話を比較し、研究するを主とする時は、之を名づけて、比較神話学という。神話学に、国民神話学と比較神話学との区別あるは、猶宗教学、言語学等に、同様の区別あるが如し。即ち国民神話学は、文芸科学、歴史科学等と共に、国民文献学の一分科にして古史神話学は、考古学、宗教史学と等しく、国民古代文献学の一分科、比較神話学はまた、比較法制学、比較宗教学と等しく、世界文献学の一分科なり。

狭義に於ける国民神話学は、宗教学的立脚地の上に立つ。

比較神話学に、言語学派と人類学派との区別あり。両派互に長短ありて、言語学派の学説は、既に倒れたるも、その説くところ、必しも悉く棄つ可からざるものあるが如く人類学派の説正しきを得たるも、未だ比較神話学唯一の方法としては、欠如せる所あるを免かれず。完全なる国民神話学は、比較神話学に補助を与うること、非常に大なる可く、その他の文献学的科学も亦た、各多少の貢献を為さざるはなし。

広義に於ける比較神話学の対象は、必しも厳密なる意義に於ての神話、即ち一個の神格を中心とする説話のみには非ず。一個の説話的英雄を中心とするもの、即ち所謂英雄譚の如きも、またその対象たる可く比較神話学の如きも、或場合に於ては、比較神話学の一分科として観察し得可し。形式上神話と名づけらるるものにして、その内容上より之を観察するときは、純粋の説話たるものあり。通常説話として論ぜらるるものも、深く之を研究するときは、全く神話と同一の性質を有することを、発見することあり。一個の説話にして、苟しくも歴史的事実の記述或は叙述に非ざる限り、その形式の如何を問わず、神話と云わず、説話と云わず、口碑伝説、物語、童話の類に至るまで、その或部分に於ては、凡て比較神話学の対象たる可きものとす。

以上は比較神話学の一般の概念なり。更に進んで、その詳細に及ばんと欲するに先だち、少しく神話学の由来に就て述ぶ所ある可し。

古代に於て、神話に就て論じたる者少からざりしも、其説多くは、偏狭にして、取るに足らず。既に希臘の上古に於てオイエメロスあり、またパレフトスあり。後者は唯その名と、少許の遺篇断片とを伝うるのみにして、その年代を詳にするを得ずと雖も、神話に関するその所説の、前者のそれと畧同一なりしことは、その遺篇によりて明かなり。オイエメロスは、紀元前三〇〇年頃の哲学者にして、その神話に関する意見は、その著『聖典』に見ゆ。彼はホメロスの詩篇、ヘシオドスの『神統記』に見ゆる凡ての神々は智勇絶倫の偉人が、その死後国民の尊崇の結果、神として崇拝祭祀せらるるに至りしものに過ぎずして、全部の神話は是等の英雄豪傑の事業の伝説に外ならずと説く。この二人は、共に純歴史派と称す可く、新井白石の日本古史神話に関する意見と殆んど一致す。後世この種の学説を名づけて、「オイエメリスムス」と称す。

神話学が、始めて一個の科学として、研究せらるるに至りしは、十七八世紀以後に属す。当時一方に於ては、前に述べたる、古代希臘純歴史派と等しく、単に神話の内面の事物的関聯にのみ、重きを置きて、恰かも純粋の歴史に対するが如くに神話の記事を論じたるものあり。一方に於ては、基督教は上帝の啓示にして、世界唯一の真理宗教なり、との前提よりして、或は宗教の萠芽を神話の中に求めんと試みたる者あり、或は宗教の形を変じたるもの、即是神話なりと論じたるものあり。此等の学説、一時は世の注意する所となりしも、要するに、何れも古人の偏見を継承せしに過ぎずして、久しく学界にその位地を保つこと能わざりしき。此の如くにして、十八世紀はその終を告げたり。

十九世紀のはじめに方りて、一個の科学としても神話学の発達に、偉大なる影響を与えしものを、歴史哲学の一派とす。この派は人類の同一祖先説を排して一個の原始民族存在説を取れり。その最初の存在地に就ては、或は印度と云い或は埃及と云い、或は中央亜細亜の高原と云い、諸説一定せずと雖も、何れもその根元地を東方に求むる点に於ては、相一致す。この原始民族は、一個の原始宗教換言すれば、純正なる宗教的認識を有したり。この教僧侶の口により、世界各地の未開民族の間に、弘布せられたり。然れども、是等の民族の人文発達の程度、極めて低くかりし当時に於ては、到底かかる高遠深邃の教義を理解し受容すること能わざりしが故に、僧侶は乃ち譬喩的の方法により、形象的の言語を用い、幾多の説話を作為して、漸くその使命を全うするを得たり。希臘古代の神話は、かくの如くにして、発生したるものなりと。かの「ロマンチィク」派のシュレーゲルの如きゲルレスの如き、シェリ、ンクの如き、神話学者としては、何れもこの派に属す。更に他の一方に於ては、神話を目して、天文学、博物学、化学等の如き、一個の成形化学の譬喩的伝承とせしものあり。その傾向頗る、歴史哲学の一派と似たり。

此時代に於て、歴史哲学と相並んで、一般神話学、殊に希臘羅馬神話学の発達を助けしものは、古代文献学即ち言語学なり。神話学を文献学の一分科として或時代の言語に依れる、思想発表の形式として、神話を論じたるもの、クリスチヤンゴットロープ、ハイネを以て第一とす。彼はヘルデルの感化を受けしこと甚多くその所説また聞く可きもの少からずと雖も、希臘国民太古の状態を、叙するに際しては、尚一種の伝説に拘泥するを、免かるること能わざりき。最初の希臘国民が、尚穴居の状態を距ること甚遠からざりし時代に於て、カドモス、ダナオス、ケクロップス等、標象的説話的の言語を以て、彼等に原始宗教の智識を伝えしを、後に至りて、ホメロスとヘシオドスと、之を神と人との叙事詩篇に作為したるなりと。ハイネがこの伝説を排する能わざりしは、偏見たるを免れざるも、その整然たる材料の排列と、秩序ある分類とは、神話学に、一個の科学としての、独立の位置を与うるに十分なりき。ハイネの門下より出でて、標象論の見地よりして、一個の神話学説を組織せしものをエロイツェルとす。エロイツェルの標象論に反対せしものに、フォスあり。ロベックあり。これに継でゴットフリード、ヘルマン出でて、また神話は僧侶の作為したる譬喩的説話にして、国民と詩人とは、此説話を文字のままに理解したり、故に神話の真正の意義を発見せんが為には語源論的研鑚の方法によりて、神話的名称の意義を尋ねざる可からず、との説を述べたり。之に次でゴットフリート、ミュルレル出づ。彼は総ての希臘古代の人文は、自らその国土に発生し発達せしものにして、他より移植せられたるものに非ず、との原理を確立し、この原理に基きて、神話の国民的発生説を唱え、その内容を組織的に論述し、進んで神話形成時代の存在説に到達したり。この時代に於ては、希臘国民の人文発達の内面の必然的結果として、神話はその思想発表の自然の形式なりしと。もし比較神話学説の発生を境界として、神話学史を新旧の二期に分つときは、ミュルレルの説は、旧時代の最進歩したる者と称するを得可し。

此の如くにして旧時代は、未だ大に見るに足る可きものを、示すこと能わずして終れり。尚この時代の末期に於て、近世哲学及び神学の方面より、神話を論じたる一派ありしも、別に著しき成功のありしを見ず。但し神話学が、一個の科学として、学問界に認識せらるるに至りしは、决して軽視す可からざる、此時代の成功にして、次の時代に於て、比較神話学説の発生と共に、神話学の研究俄然として勃興し、幾多の論戦を経て、遂に文献学の一分科として、鞏固なる独立の地位を、得るに至りしもの、そが準備時代として、此時代に負う所多し。

Chapter 3 of 20
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