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An Unpleasant Feeling
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译文 Pagera AI
原文 Public Domain
Chapter 6 of 28

その六 思想落後

その日以来、俺はもうセツルの診療所へは行かなかった。とっても、行けたもんじゃありゃしない。どの面さげて行けるというのだ。

俺のリン病も、せっかくの、この大事なドタン場に来て、一挙に逆戻りか。ながい間の忍耐我慢も、これで一遍にフイになるのか。かまうもんかい。いっそ、振り出しに戻って、もう一度、あのいやなウミが吹き出してくりゃいいんだ。盛大に噴き出したほうがいいくらいだ。そう思った。ざまあ見やがれと言うもんだ。俺は自分をそうして笑ってやりたいのだった。ボルの仲間にのめのめとリン病をなおして貰ったとあっては、胸糞が悪いと俺は歯軋りをした。

あのとき、俺は全く、なんとも言いようのない屈辱感に打ちのめされたものだ。アナ系の組合員を、ごっそりと持って行きやがったボル派の、あの大学生崩れのオルグの友人とは驚いた。俺の組合を一挙に裏切らせた奴の友人となれば、あの医者だって、俺の敵だ。敵のお世話に、俺はなっていたのだ。

そのとき、俺はヨシコのなかにブウジイを突っこまれてさえいなかったら、ベッドからすぐさま飛びおきて、あの大学生崩れの横っ面を、思い切りひっぱたいて、それから、その同類の医者を――まさか、これは、ひっぱたくわけにも行かないから、医者には、

「アバヨ!」

と思いきり憎ったらしく言って、ペッと床に唾でも吐いて、そのまま、そこを、えいクソと引きあげたいところだったが、なにしろ、あの状態では、

「畜生!」

と思っただけで、それがもう膀胱のほうにキュッとひびきやがって、

「イテテ……」

とネをあげざるをえないざまだった。ベッドにへたばった俺は、屈辱感に文字通り打ちのめされた形だった。

大体、丸万にここを紹介されたときに、あらかじめ警戒すりゃよかったのだとも思うし、こんなところを紹介しやがった丸万の奴も丸万の奴だと思うが、いやもう、後の祭だ。歯を食いしばった俺の耳に、聞くまいと思う会話が、ツンツンと鋭く聞えてくるのも、くやしかった。低い声なのだが、だから、よけい刺戟的に、針のさきで突っつかれるみたいに響いてきた。

「今度のパニックは、相当こたえたろうな」

と医者は言った。

「すごいね。クビ切り、賃下げで大変だ。操短ぐらいでは切り抜けられないで、工場閉鎖があちこち出てきてる」

と大学生崩れは言った。

「組織も、のびたろう」

と医者は言った。医者のくせに、こんなことを言うのは、ボル派の大学生崩れと同じ穴のムジナであることを俺に告げる。

「民心は険悪化してるね」

とも医者は言った。

「それを外へそらせるために、今度の内閣はおそらく支那へ手を出すだろう」

と大学生崩れが言った。何を、しゃらくせえと俺が口のなかで罵ったとき、医者が、

「対支非干渉のスローガンで、無産政党は共同闘争に出ているが、スローガンや声明だけじゃ駄目だな。大衆闘争に盛りあげなくちゃ……」

「そうなんだ。俺たちのほうも、アジ・プロ活動を一生懸命やってるがね。今の様子では、どうかな。相手が軍刀を持った内閣じゃ、とても、おさえ切れないだろう」

「居留民保護の名目で、出兵か」

「その名目でとどまればいいが……」

「いやねえ」

と看護婦が――こいつまでがボル派の口調で、

「不景気の打開を外国侵略で解決しようというのね」

「帝国主義の当然の方法だな」

と言いながら、医者はブウジイを抜きに俺のところへ来た。

ツベコベ言やがって、このタンコアマ(おしゃべり)と、俺は腹が立ってならなかった。口さきだけで、大口を叩いてやがる。ツベコベ言うくらいなら、総理大臣を刺したらどうなんだ。イクジなしにかぎって、ツベコベ言やがると俺は苦り切っていたが、それらもみんな、俺としたことが、こんなツベコベ派の世話になったのかという屈辱感から来ていることだった。

ブウジイからやっと解放された俺はベッドからおりると、壁に向って、エテマタをはき、ズボンをはいた。そしてベルトをしめて、ひょいと、うしろを向くと、

「よお」

と大学生崩れが言った。

「やあ」

と俺は言って、いけねえ、さっきの、これは反対だと気づいた。さっきは俺が挑戦的に「よお」と言って、向うが「やあ」と答えたのだ。

それが逆になっていた。すでにこのとき、敗色は明らかなのだった。

「知り合いか」

と医者が言った。大学生崩れは黙ってうなずいて、まじめな顔で、

「年は僕たちのほうが、ちょっと上だが、闘争経歴ではずっと先輩だ」

そう、ぬかしやがった。ひやかしの語調でないのが、よけい、いけない。これには俺も参った。

もしも俺がその大学生崩れだったら、このとき、きっと医者に向って、

「こんな奴のリン病なんか、なおしてやることはない」

と言っていたにちがいないのだ。

ところで、医者は医者で、

「知り合いか」

ともう一度言って、

「帆住先生から、特別のお声がかりで、この加柴さんは、絞首台を覚悟した人物なんだからってね。特別に大事にしてあげてほしいと言われたんだ」

この医者は俺がボル派の敵と承知の上で面倒を見てくれていたのだ。俺は完全に打ちのめされて、そこを出た。

――類は友を呼ぶと言うのか、この屈辱感は、もうひとつのちがった屈辱感を、つづけて俺の心に呼びよせていた。それはあの照子のことだ。照子が四の橋の工場を訪ねてきたと兄貴から知らされたときは、照子の奴、俺にやっぱり惚れてやがったかなと、一瞬ヤニさがったものだが、ほんとに惚れていたのなら、その照子と俺の間に存在する男から離れて、もっと前に、照子は俺のところへ飛んできたはずだ。照子のところへ俺が通っていたころに、そういうことがあっていいわけだ。だが、その男から俺は照子を離すことができなかった。照子も男から逃げることをしなかった。逃げられないような「悪い男」かもしれないが――この「悪い男」とは富江の科白だが、そうだったとしたら、そうだったにしても、俺にほんとに惚れたのならば、照子はその逃げられないことについて、ひとことぐらいは、俺に何か言ったっていいはずだ。言わなかった照子を咎めるより、言わせるようにしなかった、言わせるところまで行かなかった俺が駄目だったのだ。ひとことも俺には、そんなことを照子は打ちあけてはくれなかった。なっちゃねえやと、それが今さらのように、新たな屈辱感として俺に迫ってきた。それだけまだ俺は照子に惚れているのだろうか。

照子をつかまえて離さない男は、一体どういう奴なのだろう。照子にリン病をうつし、おかげで俺までリン病になったのも、そいつのせいだが、そんな奴だのに、そんな奴からやっぱり照子が離れられないなんて、そいつはどういう男なのだろう。いつだったか、照子は、

「兄さんは、まさか、文士じゃないでしょうね」

と言った。まさかとはなんだいと俺は言った。瀬良照子をクラ替えさせた男は、文士なのか?

次の日、俺はひとりで斎田慷堂の家へ行った。二階へ通されると、先客があって、それは若い陸軍の将校だった。赤い頬をした童顔の将校を、

「北槻中尉……」

と慷堂は俺に紹介したが、軍人嫌いの俺は、むっとした顔を、わざとそっぽに向けて、

「はあ」

心のなかでは、なんだ、こんな青二才が中尉? と(肩章の二つ星で、はじめから中尉とは分っていたが)、新しく思いきり軽蔑していた。

「これは、加柴四郎君というあばれん坊だ」

と俺をそう紹介した慷堂は、俺がむっとしたのを面白がっているようで、軍人が嫌いならボルも嫌いな俺を一層むっとさせようとするかのように、

「この北槻中尉はレーニンの研究家だ」

「先生」

と中尉が、低いが強く、

(こんな、えたいの知れない男に、そんなことをおっしゃっちゃ困ります)

と言わんばかりだった。

「研究しとると言っただけで、実行しとると言やせん」

すでに酒がはいっているらしく、ひどく好機嫌の慷堂は、今度は中尉をからかうみたいに、

「この加柴君は福井大将を狙撃した虚無主義者の仲間だ」

「ふむ」

きっと俺を睨んだ中尉は、刀帯からはずして畳に置いた軍刀に、今にも手をかけんばかりの剣幕だった。

お、面白れえや、斬るなら斬ってみろと、俺は肩を怒らせて、睨みかえしてやった。

慷堂は、うしうしと犬の喧嘩でもけしかける調子で、

「血の気の多いこのあばれん坊は、まだ何をやらかすか分らん」

俺のことをそう言って、

「北槻中尉も、なかなかの激情家だな」

「だって、先生……」

「わしだって、大杉栄とつきあいのあった男だ」

「先生が?」

童顔を醜く歪ませた中尉に、

「北槻中尉だって、レーニンとつきあっとる」

ワッハッハと慷堂は笑って、

「カタキ同士の君たちを、そのうち、わしが仲良くして見せる。国を憂えている点では同じさ」

「国を……?」

と俺は言った。ちがう――と言おうとしたとき、俺の心に、俺は何を憂えているのだろうという疑問が来た。

「砂馬君だって、しょせんは、そうだ」

慷堂はそう言って、鋭い眼で俺を見据えて、

「あの狙撃事件のとき、君は一体いくつだったのだ」

「十九です」

「十九?」

そんな若造が、大それた……と慷堂は、あきれていたが、

「もっとも、わしだって、その年ごろはもう、大いにあばれとったな」

俺はこのとき、北槻中尉が慷堂の前で、教師に訓戒されている学生みたいにしゃっちょこばってるのを見て、なんでえといった気持で、慷堂にわざとなれなれしく、

「先生は自由民権運動をやってられたそうですね」

言い終らないうちに、

「やっぱり、君はまだ若いな」

慷堂はまたもや、ワッハハと笑って、

「あれは、わしがまだ子供の時分のことだ。わしの国でも民権論者が暴動をおこしたから、子供心にも覚えてはいるが、あれは、明治十……七年か」

「でも砂馬さんが先生は自由民権論者だったと……」

「それは、わしの先輩の悲堂先生などのことだ」

その悲堂から自由民権思想を教えられた自分ではあるがと言って、

「わしを、いくつだと思っとるのだ。三年前、君らの仲間が福井大将を襲ったとき、わしはちょうど五十だった」

「へーえ、わりと若いんだな。見たとこ、ずいぶん老けてんのに……」

と俺はおどけて言った。この老けようでは砂馬が「じいさん」と言うわけだし、往年の自由民権論者と見たのも無理はないと思った。

すると、中尉が俺の非礼をたしなめる感じの至極いんぎんな語調で慷堂に、

「先生は支那で苦労なすったので、きっとお年以上に……」

「オベンチャラ言ってらあ」

俺としては口の中で言うつもりだったのに、つい声になっていた。

「なんだと」

と中尉は気色ばんだ。

「困ったね」

これでは酒は飲ませられんと慷堂は言って、

「よし、支那の話をしよう。このあばれん坊は、今し方、話に出た張継君の若いころにひどく似ているのだ」

と中尉に、なだめるように言って、

「張継君は殺されたかもしれんな」

俺は俺が似ているというこの旧アナーキストの悲運を聞いて、思わず、

「どうしてですか、先生」

とみに俺もいんぎんになっていた。

「今、ちょうど、支那の話を北槻中尉としていたところなのだ。孫文が死んだのは民国十四年の三月だが、その年の暮に、張継君たちは国民党に向って、共産党や第三インタナショナルときっぱり絶縁すべしと決議をつきつけたのだ。張継君らの老国民党の眼からすると、国民党もこんなことをしてちゃ、今に共産党に食われるぞと、さきが見えてたんだな」

孫文はつとに共産党に対して抱合政策を取っていた。共産主義は三民主義の一部であるとして、共産主義の実行はそのまま三民主義に通ずるという考えだった。そこにそもそもの間違いがあったのだと慷堂は言って、

「跡目をついだ蒋介石は、軍官学校の資金を第三インタナショナルから貰ってた義理もあってか、その夏にクーデターをやって、反共産派を追っ払ったくらいなんだから、もちろん、その西山会議派――張継君たちのことだが、その言うことなんか聞きやしない。共産党と手を切れなんて言う決議には、一顧だに与えなかった。蒋介石としては共産党を操るつもりだったんだろうな。事実、国民党と共産党の両方を操って、権力を握った。だが、その結果はどうだ。獅子身中の虫が、逆に国民党に噛みついてきよった。武漢には共産党政府ができてしまった。あわてた蒋介石は、今になって、駆共を叫び出してる始末だ。共産党を利用するつもりが、逆に共産党に利用されたのだ。馬鹿な話だ」

「どうなんでしょうか。共産党の勢力はかなり強いらしいんですが」

と中尉は眉間に立てじわを寄せていた。

「なーに、一時は猖獗をきわめても、共産党が天下を取れるわけはない」

「でも、孫文が容共政策を取ってから、ほんのまだ数年ですのに、たちまち農村までが赤化して……」

「農村は、そりゃ、すぐ赤化するさ。土地解放は、タナからボタ餅だからな」

「ですから、国民党が今さら駆共を叫んでも……」

俺はまぜっかえすように、

「レーニンとおつきあいがあるだけに、だいぶ共産主義に同情しますね」

と中尉に言った。昨日の屈辱のカタキを取ろうとしている観がある。

「やめんか!」

大喝一声ののち、慷堂は、

「わしも土地解放には賛成なのだ。革命は賛成なのだ。日本も土地解放が必要だ。今のような状態では、百姓が悲惨すぎる。北槻中尉も農村の出身だから、そこは分るだろう」

「よく分ります」

「日本にも革命がぜひとも必要なのだ。ただし、わしの考えている革命は赤色革命ではない」

けわしい表情を慷堂は、ふと、ゆるめて、

「支那の共産党の面白い話をしようか。土地解放だけじゃなくて、あらゆるものの解放を行なっとるのだ。武漢あたりでは、スーシャンラオホオという革命口号がはやっとるそうだ。漢字で書くと、思想落後だ。男が女をくどいて、色よい返事が貰えぬときは、お前さんは思想落後だと言えばいいのだ。新しい女性をもって任じている女たちにとって、これほどの侮辱はない。思想落後と言われることは反革命の烙印をおされることにもなる。そこで女はたちまち、貞操を投げ出す……どうだ、アナーキズムよりか、ずっと進んどるじゃないか」

俺は言葉に窮して、へどもどした。慷堂は愉快そうに、

「共産党は全く面白いことをやりおる。武漢では、裸婦遊街という痛快な催しをやりおったそうだ。女性解放のデモンストレーションだ。素っ裸になって遊街――デモンストレーションを行なおうというのだ。これはさすがに、ほんとに裸になって出て来た勇敢な女はたった八人しかいなかったそうだが、いやはや、こういうのを乱七八糟(めちゃくちゃ)――一方では恐怖政治をしといて、一方ではこんなバカなことをする共産党が永続きするわけがない」

「裸男遊街はやらんのですかね」

俺が茶々を入れると、

「君は瀬良なんとかいう女の子のことを、わしに聞いとったな」

この慷堂に俺はこの前、瀬良という支那浪人を知らないかと聞いたのである。砂馬が瀬良照子のことをしゃべったにちがいない。砂馬は俺には、娘が銘酒屋奉公をしている支那浪人の娘を知らないかとは、まさか、同じ仲間の慷堂に聞けたものではないと言っていたのだが、これで見ると、それほど慷堂と砂馬とは親しくなったのか。

「いや、瀬良という支那浪人のことですが」

俺が言うと、

「瀬良などと言うから分らなかったのだ。それは猪沢という男だ」

と慷堂は言った。

「猪沢……?」

「それが君の探しとる娘の父親の姓だ」

「すると、瀬良は母親の姓ですか」

当り前のことを聞くなといった顔で慷堂は、

「猪沢市太郎はわしらの古い同志だ。最初の辛亥革命のときも、わしと一緒に武漢へ行った。あれは大逆事件の翌年だったが、大逆事件でわしの家へ警察の者が来よったとき、ちょうど猪沢市太郎がいて、女の子が生れたという話をしとったところだった。それが瀬良という女との間にできた娘だろう」

俺は指をくって、まさしくそれが瀬良照子だとうなずくと、

「猪沢とはそれから、第三革命のとき、東北革命軍を援助する際も一緒だった」

その慷堂に北槻中尉が言った。

「それは袁世凱討伐のために軍をおこしたのですね」

「そうだ。わしたち日本の同志も身命を賭して援助した辛亥革命は、清朝顛覆の永年の目的は達したのだが、その結果は袁世凱の野望に力をかしたようなことになってしまった。これではいかんと、大正二年に李烈鈞が第二革命の火蓋を切って、各地に反袁軍が蹶起したのだが、袁世凱の弾圧でこれも敗れた。そのため、孫文、黄興等は一時、日本に亡命の余儀なきに至ったものだ」

波瀾の歴史を――それにみずからも参加している過去の歴史を、慷堂は淡々と語るのであった。

「勝ち誇った袁世凱はみずから帝位に即こうとした。ここで帝政が実現したら、中華民国は雲散霧消、そうさせてはならぬと、わしらは支那に渡って反袁革命軍に身を投じた。わしはさきに話に出た梶川悲堂と青島に行った」

「それが東北革命軍ですか」

北槻中尉はリンゴのような頬をいよいよ紅潮させていた。

「革命軍になくてはならぬものは武器弾薬だ。それの調達を日本のわしらが引き受けた。日本で調達して、わしらはそれを支那人に送ろうと企てた。これはついこの間のような気がするが、左様、わしがちょうど四十のときだったな」

「武器の入手は、先生、軍からの払い下げでなかったら、不可能だったでしょうが」

北槻中尉は声をひそめて言った。

「名前は言えぬが、軍にはちゃんと、枢要の地位にある人で、わしらの共鳴者がおったのだ。とは言え入手にはすこぶる苦心したものだ。その武器をいよいよ船に積んで送り出すという段になって、門司の水上警察に見つかって、おさえられてしまった。これには弱った。銃器弾薬の持ち出しは厳禁だ。極秘の事柄だから、軍もこれには容喙できない。さあ、困った。困ったと青島に打電すると、悲堂先輩が早速、日本へやってきて、往年の自由党の闘士の板垣退助、板垣伯爵に相談に行った。なんとか要路の大官に口をきいて貰えんかと頼みに行ったのだ。すると板垣伯が、それは総理大臣に直接会って、話をつけてくるがよかろうと言う」

時の首相は大隈重信である。板垣伯爵の紹介状を持って、悲堂、慷堂の両人は大隈首相に会って、武器の取りおさえの解除を要請した。もちろん、事情を具陳して特別のお取り計らいを願うと言ったのである。

それに対して首相はこう答えた。青島は列国の眼の光っている国際的海港であるからして、もしも日本が支那革命のために武器の斡旋をしておると知れた場合は、たちまち列国間の問題になる。英、米、仏からかならずや日本へ向って公式に何らかの申し入れがあるに相違ない。

「さすれば議会でも問題になって、首相としての責任を問われる。そうなったら、どうなるか。君らとこうして会うだけでも迷惑至極だ」

と剣もほろろ、とりつく島もない有様だった。だが、このまま引きさがってはと、

「それでは次の件をおうかがいいたします。支那革命に日本が手をかすことは絶対ならぬというご趣旨とは察せられますが、では、支那のほうから日本に武器を買いに来た場合はどうなるんですか」

悲堂と慷堂はこもごも首相に食いさがった。

「閣下としては、日本のほうから支那革命を援助するという形になっては、それはお困りだろうと思うが、もし支那のほうから、支那革命を援助してくれという意味ではなく、ただ日本にものを買いに来た場合も、日本政府としては、それは支那革命を援助することになるからという理由で、絶対許さないというご方針ですか」

「支那自体がどうしようと、それは内政上の事柄だから日本政府のとやかく言うべき筋合いではない。だからまた、君ら個人が支那のために尽力するのは自由だが、日本政府までが一役買っていることにされては迷惑だ。とにかく、今日の話は何も聞かなかったことにする」

こうして話を打ち切られて、武器積み出しの諒解を得られないままに辞去せざるをえなかった。その去り際に、

「青島にはいつ帰るか」

と首相から問われて、

「一週間ほどのちに……」

と悲堂は答えた。

こうなったら支那側から人を寄越させるより他はないと、悲堂と慷堂はその工作のため青島に渡ることにした。袁世凱はすでに帝号を称して即位、支那革命は瓦解に瀕していた。しかも東北革命軍の頼みの綱の武器は門司でおさえられたままである。

青島に渡ると、現地の日本軍の軍司令官からただちに出頭せよと来た。第一次大戦に参戦した日本は、青島をドイツから奪ってそこに占領軍を置いていた。その軍司令官からの呼び出しである。てっきり退去命令だと、覚悟して行くと、首相より内命があって便宜を与えよということだから安心するがいい――そうした司令官の言葉だった。

「急転直下とはこのことだな。武器も門司から青島に来るし、これで万事うまく運んで、東北革命軍は反袁の軍を進めたのだ」

ふーんと俺は唸っていた。慷堂の話は、血湧き肉おどるという形容が誇張でなく当てはまる話だったが、それで俺が唸ったのではない。大隈首相を相手どって談じこんだ慷堂は、今こうして俺みたいな青二才を気楽に招じ入れて、気楽に話しこんでいるけれど、なるほど北槻中尉が鞠躬如としているのも無理はない慷堂だと思ったのだ。

「日本の軍人――しかも現役の軍人で、この革命軍に援助を惜しまなかった人もあのころはいたものだ。坊子駐屯の連隊長などは職を賭して革命軍を助けておった。列強の餌食になっている支那の真の自立こそは、東洋の平和のために欠くべからざる条件だというわしらの信念に共鳴したのだ。支那のその自立のためには革命が必要なのだ。中華民国という新しい建国が必要なのだ。軍人の身ながら、それを助けようというのがいたのだ。日本では、しかし、支那を植民地のごとくに見とる列強の尻馬に乗って、あとからでもこそこそ、分け前にあずかろうなどと、そんななさけない、あさましい考えの者もおる。そうした支那侵略の手先になるのを潔しとしない軍人もおったのだ」

「はっ」

と北槻中尉はゴロを食った(叱られた)みたいな声を出した。

「あの時分の商社にも、なかなか気骨のある人物がおったな。青島のある商社の支店長は革命軍に軍費の貸付けをしてやったものだ。だが、この東北革命軍も時利あらずで、残念ながら敗退した。革命の大事業は一朝一夕では成就しない」

俺は俺で、俺の考えている革命におもいを致していた。

「猪沢市太郎は青島にいて、満州からの徴募兵の世話を焼いとった。東北革命軍は満州から兵を募っておったのだ。大メシぐらいの連中を相手に、糧秣の補給を引き受けていたんだが、あのころの猪沢はようやっとった。あのころまでは猪沢もわしの同志だったのだが、だんだん曲ってきよって、加柴君の言う支那浪人になりよった。支那を食いものにする人間になりさがってしまったのだ」

この慷堂をも、支那浪人と呼んでいた俺は、いけねえと首を縮めた。すると慷堂が、

「君は、兵役はどうなのだ」

「クジのがれです」

と俺は言ったが、明らかに忌避されたのだ。こっちも徴兵忌避の気持だったが、向うからも忌避されたのだ。

「悲堂先生は今どうしておられるのですか」

と北槻中尉が言った。

「支那メシ屋をやっとるよ」

「へー?」

「なに、なかなか立派な支那メシ屋だ」

「それにしても……」

「そうだな。悲堂先輩は支那のために、一身をなげうって、いや一生をなげうって尽してきた。それが今日、その支那は排日の、打倒日本帝国主義のと……いや、支那だけが悪いのじゃない。それにしても、支那に一生をかけた梶川悲堂には、たまらんことだな」

慷堂はぽんぽんと手をたたいた。俺の死んだおふくろによく似た女中を呼んで、酒を命じて、

「梶川悲堂は自由民権運動の急進的な壮士だったから、日本の革命を考えていたのだ。君の……」

と北槻中尉をまるで睨みつけるようにして、

「君らの考えているご親政の革命とは大分ちがうのだが、日本の革命はなかなかむずかしいからその前に支那の革命をと考えたのだ。予行演習と言うかな。自分もそれで中国革命党に入って、支那革命に奔走したのだ。つづいて日本の革命をという意図だったのだが、志破れて、支那料理屋のオヤジになりおった」

なぜかワッハッハと哄笑して、

「テキヤの丸万君はどうしとるかな」

急に俺を今度は睨みつけて、

「あれもただのテキヤじゃなくて、革命家だったようだな」

「同志です」

と俺は慷堂を睨みかえした。俺までが今は革命家廃業かと言われたみたいで、

「今でも彼は革命家です」

「しばらく会わんが、元気かな」

丸万には俺もずっと会ってなかった。砂馬を慷堂にひきあわせたのは丸万だが、慷堂の口振りだと、砂馬は急激に慷堂に近づいているにもかかわらず、丸万自身は慷堂との間にみずから距離を置いているようだった。その推察を事実と知らされる日が――五月一日が間もなく来た。

Chapter 6 of 28
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