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砂がき
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砂がき
竹久夢二
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译文 Pagera AI
原文 Public Domain
Chapter 3 of 9

3

しかしA君。おもしろいことには、その反動かして若い知識階級のうちには、反官僚的な面白い現象がある。學生の生活もひどく自由で社會問題に興味を持つてゐるものが非常に多いやうだ。

A君。この通信にこんなことを書くつもりではなかつた。僕の京都の午砲のことを書きたいと思つたのだ。京都の街を歩くたびに思ふことが、この古い靜かな街が、大阪のやうに急進的にいろんな方面で膨脹した都會の影響を受けて、古い好いものが破壞せられてゆくのである。去年あたりまで高臺寺の靈山で打つてゐたドンは、その響のために古い建築物にゆるみが來るといふ理由でおやめになつて、此頃では、市の議事堂で、街の人たちが牛と稱してゐてるオーと云ふ素睛しく不愉快な音響を出す機械に代へられた。この音響の爲に此度は生きた人間の耳が、癒すことの出來ない程害せられてゐることを耳鼻科の醫師から聞いている。そしてこの機械に市は何萬といふ高いお金を出したのだそうだ。そんなことはどうでも好いが、この不愉快な音響の代りに寺々の鐘を撞いて欲しいことである。丁度フランスのアンゼラスの鐘のやうに、京の街々から鐘の音が鳴響く時、私達はこの靜かな街に住む幸福をどんなに深く感じるだらう。木屋町の倡家で「幾時頃だらう」とある客がたづねたら傍の舞姫は「待つてお居やすや」と言ひながら靜かに立つて露臺へ出て川向ふの寺を見てゐたが「お寺の門が閉つたさかい五時頃だすやろ」と言つたといふ。電車の停留所さへ毎日違ふ京都の街に一秒二秒を爭ふ正確な午砲の必要が何處にあらう。

A君。私はほんたうに京都の街を愛してゐる住民の一人です。

○

Sさん。

たしか去年の夏大阪の柳屋でお目にかゝつて以來お目にかゝりません。あなたの東京の話やいたこや松岸の話も聞きたいと思ひながらまだ逢ふ時がないのを殘念に思つてゐます。京都の六月には何もこれと言つて書くやうな芝居もありませんでした。中旬に伊庭孝の一座と言ふよりは高木徳子の一團がと言つた方が好いかも知れませんが歌舞伎座へ來ました。チヨコレート兵隊以來フアストの惡魔以來、伊庭君の舞臺を知らない私も、徳子との噂も、演伎座のいきさつも風のたよりには聞いてゐたけれど、かうした旅先きでこんな芝居を見るのも不思議な氣がします。そして私は、徳子がアメリカの田舍を曲馬師のサアカスに加はつて俗受けの鄙唄を歌つて踊つた時代をこそ見たいと思ひました。かう考へるのは、必ずしも徳子を侮辱した事ではありません。私は考へるのです。小屋や劇團の柄から言つても、第一流のものが必ずしも好きにはなれません。二流三流或は時代から全くかけはなれたものゝ中に――文學でも美術でもさうです、傍流の中に我々の生活に最も近い、親しみの深い、しみ/″\と身も魂も打込めて流れるものを感ずることのあるのは、誰もが曾て經驗したことだと思ひます。その心持で、千鳥の聲と京阪電車の騷音を併せ呑む有名な鴨川よりも、智恩院の御門前から繩手を經て大和大路の方へ靜かに流れてゆく、白河のせゝらぎの方を私はどんなに愛すでせう。

Sさん。

私はこの意味で、あのおどけた壬生狂言から深い人間の遺傳や性の悲哀を知り、堀川や西陣の場末の安い席亭にかゝる「大津ぶし」に人生の哀音をきいたことを忘れません。

それは芝居ばかりではありません。江戸でいふ「場ちげえ」ほどいやみなものはありません。

Sさん。

こんな風に考へて、歌舞伎座へ徳子を見に出かけた私は全く失望してしまひました。こんなことをいふと所謂劇通から笑はれるかも知れませんが、私は徳子を見たのはこれがはじめで恐らくこれが終りでせう。

Sさん。

京都は夏のゆくことが早う厶います。夕方になると祇園囃の笛の音が、四條の方から聞えて來ます。やがて晝間から戸をおろして店先きへ屏風をならべ、軒下で「じんべい」をきた子供達がギヤマンで作つたペコペンを鳴らし、大僧小僧は屏風のまへで將棋をさし、雪洞のかげでは中京のいとはんが打水した庭先きで團扇の風をやる景色を見るのも、遠くはないでせう。

今日から文樂一座が南座へかゝるさうだし、盆興行には、扇雀一座のぼんち芝居がかゝるさうだからいづれまた改めて書き送ります。

○

おときさん。

君にも隨分暫く逢ひませんね。君の兄さんが飛行機から落ちてなくなつた時、私は旅にゐて新聞の記事でその事をよんだ。私でさへずしんと高い所から落されたやうな氣がした。人傳にも私を飛行機へ乘せてやると言つてゐたし、私も乘つて見たいと思つてゐたことがふいになつてしまつた。身勝手なことだがさう思つた。現在妹のおときさんの身にすれば、あんな死方をした兄をどんなに悲しんでおあげだつたかと、すぐにも手紙を書きたかつたけれど、つひのび/\に今日になつてしまつたのです。それが急に思ひ立つたやうにこの手紙を書く氣になつたのはかうです。先月の二十五日からこちらの南座でもと藝術座にゐた若い役者たちがした芝居が、亡くなつた兄さんの事を書いた「飛行曲」といふ芝居だつたからです。むろんそれは澤田中尉のことを仕組んだのです。故中尉の心事はどうあつたか、當時軍隊の事情はどうあつたか知るよしもないが、あの芝居にあらはれてゐる事件を、私は低級な觀客の一人として涙ながらに見たことをおときさんに知らせれば好いのです。

澤田の扮した澤田中尉が佛國留學を命ぜられて横濱を出発する埠頭待合所の場で幕があく。筋書のかはりに繪本の中に書いてある梗概をこゝへ書きぬかう。

我飛行界新進の花形として多大の囑望を集めた天野中尉はある重大任務を帶びてフランスへ派遣を命ぜられたが半途にして歸國し歸國後打つて變つた樣に酒色の巷に耽溺し世間をして驚きと失望に陷らしめた。あまり激變、轉化。昨日の淵は今日の瀬とかはる浮世の習とは言へそれにはまた纒綿とした色々の祕密が含まれて夜の夢さへのどかならず、しかも一朝夢さめて怱如飛行機上の人となり我國未曾有の妙技を發揮し數萬の観衆の手に汗を握らせたが爆然墜落して可惜二十有餘の若木の花を散らせてしまつた。有意か無意か嬌艶牡丹のごとき藝妓小富、崇高百合の如きフランスの少女エンミイ、清楚バラの如き吉本將軍令孃美彌子によつてすべての祕密は物語られ訴へられ見る人悉く泣かざるなし。

と書いてある。

天野飛行中尉と相許してゐる將軍吉本の愛孃美彌子は、人知れず中尉を横濱の埠頭に送つて、海の方を向いて立つたまゝの幕切れは繪のやうでした。フランスの少女エンミイが天野中尉の友情に感じ、身が獨探の嫌疑を受け中尉に累を及ぼすことを悔いて鐡道自殺をしたという報を聞く中尉の思ひ入れで「なんだ酒だ、酒だ」という幕切れの澤田の藝は高田と高島屋とを交ぜて、それにこの人獨特の東京語とも地方語ともつかない一種の訛りのある言葉が、マンネリズムと感じない程度に話されてゐたのは、井上のあの京都のアクセントで話す東京語と好い對をなして面白いと思ひました。

芝居の役々に就いての批評や筋の運びを、おときさんに話してもきつとつまらないからもう止めよう。故中尉のために多くの觀客が事實として實感的な涙をこぼしたことを、おときさんにお知せすれば好いのです。

それから私達は、エンミイに扮した孔雀と、夕暮の清水を見に行つた。清水坂を上りながらふと聲に出した「紙治」の文句をきゝつけて

「この人はこの頃淨瑠璃をお稽古してゐるんです」と言ふ。

「ま、さう。聞かせて頂戴な」

「嘘言だよ」

もう足かけ四年前になる、おときさんが僕の家に來ておときさんの絃で金公が「紙治」を語つたのは――。

あの晩は面白い晩だつた。その頃まだそんなにポピユラアにならなかつたカチユーシヤの譜を作つたY君がSとかいふ聲樂家をつれて來て歌つたことも思ひ出される。

私達が清水の舞臺へ上つた頃は、もうすつかり日が落ちて、京の街々は夕靄の中に沈んで、大路小路の街燈が遠く近く明滅してゐるのでした。

「まあ好いわねえ」

「あすこは何處?」

「あすこはねえ」

「えゝ」

「知らない」

「まあ!」

名も知らぬ小川や、うす汚い裏小路に、人知らぬ愛情を持つてゐる私は、全く京都名所地理に不案内な案内者でした。

音羽の瀧を上つた所で、私達は、四十ばかりの女につれられた若い娘を見ました。その娘は石を拾つては石の塔へその小石を投げてゐました。なぜさうするのかを尋ねたら「願ひが叶ふ」のだと年とつた女が娘に代つて答へてくれました。私たちも石を拾つて投げました。私のはうまく載かつたけれど孔雀君は駄目でした。「私は載らなくても好いのよ」と孔雀は言ひました。そのわけは私にはわかつてゐるけれどこゝには言ひますまい。私に關したことではないのだから。

おときさん。もう筆を擱きませう。おときさんの絃で私が「紙治」を語る時がいつかあるでせうか。お母樣にもよろしく。さいなら。

西京雜信

山の街は秋の來ることが早い。高臺寺の馬場の並木の櫻の緑が褪せ、六波羅畑の玉蜀黍の黒い髯を涼風が渡るのも侘しい。

後の祇園會がすむと、この街ではもうすぐに八月盆の支度です。昔ながらの麻のじんべいを着て、仕切袋を肩に柿色の日傘をさして往く男も、表に赤く定紋を入れ裏には屋方と藝名とを書いた澁團扇を旦那筋へ配つて歩く仲居衆の帷衣姿も、盆節季にふさはしい風景の一つで「あの頃は」と誰もがよく言ふことだが、河原の涼みがあつた頃は、「祐信畫がく」ものゝ本で見ても四條河原の夕涼は、世がよかつたやうに思はれる。昔は鎗が迎ひに出る、今は時間極めの自動車乘らぬが損なやうに、一山何文、ぎつしりつめて、老少男女を吹きわけて四條橋を渡るすさまじさ。それにしても世が世なれば、四條橋の下には、一臺十五錢と言ふ安い床が出來て、なんのことはない「夜の宿」の背景のやうな所なれど、河原の夕涼の面影を殘した唯一のもの、風は叡山おろし、水は加茂川、淺瀬をかちわたるよきたはれめもありといふ。

秋の夜や加茂の露臺にしよんぼりとうつむける子にこほろぎの鳴く

○

秋が立つといふのに、日のうちはさすがに日本一の暑さ、東京がいつでも京都よりも十度から涼しいのはすこしくやしい。こんな夕方には銀座を歩きながら資生堂のソーダ水でも飮みたいがそれよりも播磨屋が見たい。この頃に、魚がしの人から播磨屋の舞臺姿に添へて、すばらしくいきな下駄を贈つて貰つたが、好い折がなくてまだ履かないでゐる。南座へ播磨屋でも來たらはくことにして樂しんでゐる。

金と青やなぎ花火のふりかゝる兩國の夜をきみと歩みし

堀留の藏の二階の窓の灯の青くわびしき夜もありぬべし

○

ある日。京極に三馬がかゝつたときいたので、S君とおしのさんと三人夕方から出かけた。

おしのさんは、ゑり清のシヨウヰンドをのぞいてゐる。そこには柳や薄の縫模樣のある襟が掛つてゐた。私たちは歩いた。私たちは、見覺えのある圖按の中形をきてあるく二人の女を見た。それは私が曾てもの好きで染めたものであつた。三人は、立どまつて不思議な心持で眺めた。

「たいへん不躾でございますが」とおしのさんがその女の人に聞いた。

「あなたは東京から來てお居でぢやないんでせうか、つひお召物がなつかしくておたづねしましたの」

笑つて答へず。

そのかみの少女見むとて街をゆく我ならなくに淋しきものを

○

祇園會の神興が御旅所に置かれてゐる間は、路へ向いた御旅所の軒にぎつしりと、高張提灯が掛けられる。そこには、有名な席亭や商店の名が書いてある。東京ならさしづめ魚がし、柳ばし、と書いてある所だ。その前を電車が通る時、乘客が窓から首を出して合掌するのも京都でなくては見られぬ。かうして神輿が御旅所にある一週間は、參詣人が引きもきらない、この一週間に無言詣でをしたものは、どんな願の筋でも叶へられるといふことで、家を出るから往復の道すがらどんなことがあらうとも物を言はないで、お詣りするよき人もある。惡戲好きの嫖客は、自分の知つた子が通るのを待ち構へて、何がなものを言はせようとする。髮の簪をそつと抜きとつて

「これあんたのやおまへんか」

などと言つて笑はせる。

無言詣で、無言狂言、なんといふ詩趣の豐かな畫題であろう。無言で思ひついて、宵やまの歸りに文之助茶屋へよつて、京都の神輿かきは大變靜かだがなんと言つてかくのだと聞いたら、京のは「よいな/\」と言ふのださうな。大阪は「よいしよ/\」東京のは「わつしよ/\」夏の日盛りの炎天の下で赤や黄や草色で彩つた團扇や手拭を持つて殺倒する、東京の夏祭りは、どこまでも野趣と蠻力とを持つてゐる。灼熱と喧騒のためにいやが上にも神經を昂らせたお祭佐七が、群集の喧騷の裡で、音もたてず人を殺す心持を連想する。

Chapter 3 of 9
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