一 海の狼
諸君は御記憶であろうか? 昨夏七月二十二日ブエノスアイレス発ユーピー特電が突如倫敦各紙に第一声を送って以来、エーピー、ロイター、タス、アヴァス等世界の大通信社の触手という触手は一斉に色めき立って、地元拉丁亜米利加諸国はもちろん、全欧米を熱狂と興奮の坩堝と化せしめ、世界学界に解けざる謎を与えて輿論は囂々として、今なお帰趨するところを知らざる大事件のあったということを!
今世紀前世紀を通じ戦争を除いてはここ二、三百年間、まずこれほどに異常なる衝撃とセンセーションを欧米人士に与えたものはなかったであろうとさえ、言われるくらいまでに最大なる世紀の話題であったが、もちろん多数の読者諸君のうちには外電によってすでに大体の輪郭を御存知の方もあり、あああれかと頷いていられる方も多かろうと思われるのであるが、そういう諸君にはしばらく眼をつぶっていただいて、私はまず近着各紙を渉猟して、その中から比較的信憑するに足ると思わるる部分だけを蒐集し、これを基礎としてこの事件の全貌をできるだけ詳細に、そしてできるだけ確実にお伝えしようと考えている。
もちろん事件といっても、これは怪奇なる犯罪とか、猟奇的な探偵物語とか言った種類の物では全然なく、そんな荒唐無稽な人為的作為の痕なぞは微塵だにもないジミな物語であるだけに、かえって事実は小説よりも奇なりという言葉の真が、追々とお分りになってくるであろうと思われる。
が、そのためにはこの物語の根幹をなしている、今より三十三年前に起った一つの出来事をここに抽出して――しかも付録というか挿話というか、その一つの出来事を冒頭に掲げて、諸君の御記憶を喚起しておいた方が、この物語全体にたいする御理解を深からしめる所以ではなかろうかと考える。一九一四年、すなわち今から三十三年前に勃発した第一次世界大戦中の出来事なのであった。
当時独逸は連合国側、主として大英帝国の海上交通網を脅かさんがため、巡洋艦エムデン号、イルティス号ほか数多の潜水艦を遠く印度洋大西洋上に出動せしめて、敵国商船を掌捕し無警告撃沈を敢てしていた。これが奇功を奏して一時はさすがの大英帝国をして食糧飢饉を嘆ぜしめ、急遽単独航海をやめて護送船団編制に改めさせたことは、あまねく人口に膾炙しているところであるが、当時独逸軍令部の秘密命令を受けて、同じく南太平洋水域に跳梁跋扈したものに駆逐艦シャッガァ号というのがあった。エムデン号その他の声名に圧せられ、海の狼としての悪名はさまで広く世界に宣伝せらるるには至らなかったが、同水域における連合国側の受けた通商破壊の実害たるや、実に計り知れざるものがあった。
基準排水量わずかに七百五十噸、渺たる一駆逐艦の身でありながら科学独逸の粋を集めていかなる秘密装備を施したものか、経済速力二十七節、戦闘速力まさに三十九節という当時にありては世界記録に未だなき驚異的なる快速力を利用して、これに強力なる短波を備え付け東経百五十度南緯四十五度より五十五度の線にかけ、楕円を描いて游弋し跳梁を恣にしていたのであった。しかも艦長の方針によるものか、この艦にあっては敵国商船の掌捕乗員の救助には一切手を触れず、鬼畜のごとく警告撃沈の一手のみであった。
孤立無援の独逸海軍であり制限ある小型駆逐艦ではあったが、大戦勃発の一九一四年夏より、一九一五年の秋にかけて満一カ年と二カ月、どこを根拠地として食糧、燃料、飲料水の補給を続けていたものか、いかに連合国側の船舶がこの眼を晦まそうとしても、必ず通り魔のごとくに現れてくるのであった。暗夜に紛れて出てくることもあれば、濃霧を利用して現れてくることもある。しかも一遍現れたが最後であった。
「止まれ!」たちまち大檣にスルスルと停止信号が上る。
「どこから出て、どこへ行く?」
「乗員は船を見棄てて、ただちに待避せよ!」
そして商船のめぐりをグルグルと廻る。ズドーン! と一発! 魚雷で来ることもあれば、砲門に白煙の上る場合もある。が、いずれの場合を問わずただの一発! 二発と続けて撃った試しがない。乗員もまた独逸海軍の精を選ったものか、百発百中! いったん狙われたが最後、未だこの海の狼から遁れ得た船はなかった。そして阿鼻叫喚を尻目に快速にものを言わせて、悠々とまた濃霧と暗夜のうちに姿を消す。
連合国側の商船でこの艦のために撃沈せられたものすでに十七隻! 試みに今記録に残る英国商船のみを辿ってみても、ノーリッジ号一万二千噸……ベッドフォード号九千六百噸……カウンテス・オブ・カーナヴォン号六千八百噸……バーロー号三千噸……エクゼター号七千六百噸……クィーン・オブ・サンダーランド号四千八百七十噸……指を屈するだに痛ましき犠牲の数々であった。総噸数にして二十余万噸、これがために恨みを呑んで南海の藻屑と消え果てし無辜の人命は、女子供を入れておそらく二万余人にも上っていたであろうか。人道の敵! 鬼畜さながらの所為であった。
南水域に鬼哭啾々として跡絶えず、妖気狭霧のごとくに立ち罩めて、大英帝国の憤激その極に達したのであった。大西洋艦隊より一部を割き豪州艦隊の一部を出動せしめ、あるいは単独にあるいは艦隊行動をもって北方より圧し、東西両海面よりの挟撃を企画し、百方手段を尽したが未だついに奏効しなかった。一度なぞは東経百二十五度南緯三十六度七分の線にまで逐い詰めて、確実にその大檣を砕き舵機を損ぜしめ前部砲塔を白煙のうちに包ましめたのは分っていたが、あいにくにも迫り来った薄暮に災されてついに艦影を逸し、沈没せるや否やを確認するまでには至らなかったのであった。
しかもそれより旬日、この阿修羅のごとき海の通り魔は突如として、その踪跡を晦ませてしまったのであった。無気味なる活動をピタリと停止して杳として、その消息を絶ってしまったのであった。
本国大海艦隊劣勢のため急速所属鎮守府へ廻航したものか、さもなくば南半球特有の大颱風によってさすがの海の狼も海底の藻屑と消え果てたものか、もしくば英豪艦隊に負わされし深傷のためにわずかに覆没を免かれつつも、涯しなき洋上に敗残の身を漂わせつつあったか?
連合国はなおも追求の手を緩めはしなかったが、シャッガァ号の所在は依然として不明のまま、それより五年の後刀折れ矢尽きて、一九一九年独逸の全面的降伏をもってこの第一回の世界悲劇は終末を告げたのであったが、ついに魔の駆逐艦シャッガァ号のみは、条約に拠る引渡し艦艇表にもその名を止めず、いかんともその足取りは不明であった。ついには独逸本国政府すらも捜索に匙を投げて、艦籍名簿より削除し沈没行方不明と発表して、関係列国の承認を得たのであった。艦長はキルネル・ヒウゴウ中佐、乗員は当時の推定にて八十九名!
天に翔ったか千尋の海底に潜ったか爾来星移ろい歳変り三十三年と三カ月、現在に至るもなおその消息は依然として謎のまま、一名の遺骸とても見出されず一片の遺留品とてもなく、一枚の船板の破片すら発見されず、南太平洋に姿を晦ませる大いなる海洋の神秘として現在に立ち至っているものであった。第二回の世界大戦すら終りし今日となっては、もはや昔を偲ぶよすがとてもなく、永遠の忘却の彼方へと苔蒸している三十三年昔の語り草となっているのであったが、読者はこの物語を読まれる前に、まず以上のような出来事を想い起しておかれる必要があろうと考える。