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知里幸恵
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译文 Pagera AI
原文 Public Domain
Chapter 4 of 10

4

金田一京助宛

大正十年六月十七日付(旭川発信)

先生引つゞきお美しい御はがきをいたゞきまして本当に嬉しう御座いました。深く御礼申上げます。あのウタリクスを多大の興味と御同情とを以て御読下されましてほんとうに有難う御座います。先生が御読みになります分は、これから私が毎月よろこんでお送り申上げます。昨年の十二月から出たのですが、十二月、一月のはもう売切れまして札幌にもありませんそうで、二月は何かの都合で休刊になりました。三月号と四月号だけございますから、今日お送り申します。これは各地の小学教員や、官吏の方や有珠ではお寺の坊さんまでが読んで下さいますそうです。此処でも隣の先生方と部落の四五のアイヌが読んで居ります。十五冊来るのですが、耶蘇嫌ひの人が多いものですから買ふ人が少くていつも余りが出来るので御座います。片平さんは山雄さんの弟で親戚の家を継いだので姓が違ふのださうです。まだ二十一位の若い人で御座います。これから此の誌上にいろ/\な人が出て来るだらうと思ひます。フチも母も先生によろしく申しまして御座います。

知里高吉・浪子宛

大正十一年四月九日付(旭川発信)

大そう暖かになりました。御両親様定めし御壮健にて御活動の御事と存じます。高央さん受験成績ハ如何で御座いますか。お案じして居ります。

真志保は運よからず中学へははいられませんでしたが無事高等二年に昇級、孜々として奮励勉学に余念ない様子で御座います。覚悟の事とて不合格も別に失望憂色の程にもならず、相変らずの爽快な笑顔にてキビ/\と日を送ってゐます。昇級の時は一部優等にて英語読方の特別賞状を持って参りました。英語は殊の外お得意にて試問答案は百点以外の点数をとった事は一度もありませんでした。たゞ数学にハあまり興味を持たないのか、さっぱり思はしくないので心配しましたが、此の度の中学入学受験予習のおかげで大分頭が鍛へられて少々難かしい問題もたやすく解かれる程度に進んだ様ですから、此の分ならば本学期末あたりから、もう大丈夫だとよろこんでゐます。体重も昨年の今月よりハ一・六五〇貫増し、身長も一寸何分とか加ったよし、意気揚々たるものであります。あたゝかい春風に吹かれて真志保も私も赤銅色になりました。雪はまだ二尺ほどもありますが、それでも、其処此処に点々と雪の消えたところに黒い土の中から淡い緑色した草の芽がもえてゐます。朝早くから春空の音楽家、雲雀の美しい声がきこえます。ぼんやりとした鰊模様の空から時々ヒラ/\と舞落ちる淡雪も何となく春めいてゐます。登別でハもう何かの花が咲いてゐるのでハありますまいか。春の海の景色の偲バれて故郷なつかしの情にかられます。

御両親様さぞおいそがしう御座いませう。鶏も兎も沢山でにぎやかで御座いますね。操ちゃんのしもやけはなほりましたでせうか? 此方でハ真志保のしもやけは、春がきてもまだ消えやらぬ雪のそれと同じに、まだ足袋をぬぐ時に顔をしかめる事があります。然しそれもだん/\しかめ顔の皺が日一日と少くなってゆきます。フチは、登別へゆくと云ふのでいそがしい/\と気を揉んでゐます。

此の間申上げました私の上京について申上げますが、お父上様は御不賛成だといふ事で、私たいへん心細くなりました。何卒後生のお願ひですからお父様御賛成下さる様におねがひ申上げます。上京と申しましても別に大へんな野心があってでハ無いのです。金田一様のお家へ行って、奥様のお手許で裁縫でも台所の方にでもお手伝ひして、傍ら金田一先生のアイヌ語研究のお話相手をするのです。べつに身体を動かして大して気を労する事でもありません。東京見物でもして、気をかへて見ようと思ひます。今は平和博覧会も開かれてゐますから一生の思出のたねに旅行をして見たいと思ひます。東京の気候が私のからだによくないならバ、一月ででも帰って来ればよいと金田一先生も申されましたから。そして、よかったら、長くゐれバいゝさうですから、先づ見たいので御座います。折角の此の機を逸したくないのです。

たゞ目下は花見時とやら、それに平博見物人の為に未曾有混雑で函館桟橋あたりでは大へんだといふ事ですから旅の途中がひどいから皆様に御心配をかけますが、人がゆきゝする所ですから、私も何うかうんと注意して思切って旅に上りたいと思ってゐます。神様がお守り下さる様に祈りつつ……。

ほんとうに弱むしの私は、何につけても御両親様はじめ皆様の御心配の種になって不孝を重ねます。大変な望みをおこして御両親様に当惑をおさせ申しまして、ほんとに済まない事で御座います。が、ほんとに、此の度だけ何うぞお願ひをお聞入れ下さいまして、不孝な娘の望みを達してやって下さる様にお願ひ申上げます。ちょうどフチが、此の度帰ると云はれますからお送りして、登別へ参ります。少し都合がありまして三十日のを二十八日に決めました。そして、お家から東京へ立ちたいと思ふのです。

何卒御父様右の儀御賛成下さいます様、謹しんでお願ひ申上げます。今、アイヌ語民譚集といふものを書いてゐます。此の原稿が書き上ると、炉辺叢書とかいふののうちの一冊として、金田一先生のお世話で出版して貰へるのださうです。その炉辺叢書の主宰者は柳田国夫とかいふ人で五月の半頃に欧州へ行かれるとかいふ話で、原稿は本月中に書上げる事になってゐますので、私は今、毎日それを書いてゐます。

今日は真志保が町へ行って買物をして来ました。自分の算術教科書と、紙の様なものや味噌や鰊などを買って来ました。そして、北門学校の西分教場が今度独立したお祝ひがあるといふので、余興見物に大よろこびで飛出してゆきました。嘸面白いのを今頃見物してゐるのでせう。浜のフチも皆々様お変りありませんか?

此の間道雄さんが来て大にぎやかでありました。なか/\の上達したヴァイオリニストで随分面白うございました。写真術もうまいもので、札幌へ帰ってから早速私たちの写真を送ってよこしましたがなか/\よく出来てゐました。私の目なんか皿の様で、花はすりこ木の様で、大笑ひの種にしてゐます。真志保はよく撮れてゐました。今度お目にかけませう。伊悦さん優等ですってね。皆様によろしくお伝へ下さいます様お願ひ申上げます。

操ちゃん嘸大きくおなりでせう。早く逢ひたい事ね。有珠の姉さん其の後何うなすったでせう。さっぱり便りもありません。高央さん何うかして合格である様に祈ってゐます。然し不合格でもそれは運ですから失望だの落胆なんかしない方がよろしう御座いませう。真志保の様な人は一番よう御座います。直ぐに気を取り直して其の後を奮発しますから……。何だか底冷のする様な風が吹いてゐます。それでも太陽が照って遠山はだを白く光らしてゐます。其処にも此処にも道が悪い為に行なやんでゐる馬橇が見えます。雲雀はちっとも休まず歌ひつゞけてゐます。でハ今日ハこれだけ、お父様におねがひ申上げたく書つらねました。何卒御両親様お身をお大切に、高央も操も御健かのほどお祈り申してゐます。

四月九日さよなら 幸恵より 愛する御両親様

御前に

伊藤元子宛(北海道・名寄)

大正十一年五月頃(東京発信)

御タヨリヲ下サイマシテ、ホントウニ有難ウゴザイマシタ。マコトニウレシウゴザイマシタ。皆々様オカワリナクテ、ケッコウデスネ。北海道ハ、タイヘン寒イトユフコトヲキイテタマゲマシタ。ソレデハ、ハタケモノハヨクナイデセウ。東京ハ、コンゲツ一パイメッタニ雨モフラズ、カゼモナクテ、マイニチマイニチヤケルホドアツクテ、ワタシハモウスコシデ、クタバッテシマフトコロデシタ。東京ハイツデモアツイソウデスガ、今年ハトクベツニアツクテ、三十五年カラナイホドダサウデス。ホントニ、コノ前アナタノ十家ヘアガッタ時ハ、ヒドイ御病気デ、トウ/\アナタニアフコトガ出来ナクテ、ザンネンデシタ。今年ノウチニワタシハ、コタンヘカヘリマスガ、マタ、コンド、アガリマスカラ、ドウカ、ヨロシクネガヒマス。

知里高吉・波子宛

大正十一年五月十七日付(東京発信)

五月十七日

愛する御父様とお母様に……。五月十七日午前八時半幸恵より大層御無沙汰致しました。フチたちや御両親様は何んなに御心配下すってお待かねでいらっしゃいませう。

来てから直ぐに書けバ、いくらでも書けるんでしたけれども、よくばりでもう二三日も暮して見たら此方の様子がよくわかって細々とお知らせが出来るかと思ひまして、つひのび/\になりました。が、その二三日になってもまだスッカリはかたまった気持をあらはす事が難かしい様です。其の後はお変りは御座いませんか? あの日、お母様は六時の汽車にお乗りになりましたか? かはいさうにフチたちは何んなにか私のために、夢見などを気にかけて心配してゐる事でせう。

東京! 大日本帝国の首府である此の東京の地を一歩ふみしめた時の気持は? ときかれても、私は何にもかはった答はまだ出来ません。だってなんにも北海道の家と違った家がある様でもないし、違った人が通るといふわけでもない様なんですもの……。もう少したったら何かまとまった感想を書く事が出来ませう。

先づ旅中の事どもを書きつらねませう。京城丸の後甲板に立って、次第々々にはなれてゆく小舟の中のお母様と、白いきれをふって別れたその時の心持ハ、何と云ったらいゝでせうか、今思っても涙がこぼれます。

カラカラといかりをまきあげて船が黒い煙をのこして出帆した時、堪らないほど心細くなったんでした。打見やる岸辺の何処かでお母様が見送ってゐて下さるかしら、と思っていくら目をみはっても、なんにも見えないし、だん/\遠くなって室蘭の町が船の直後になったり右手に見えたり、左手になったり、グルーッとまはって大黒島とか云ふ燈台のある島のそばを通った頃は、船客が私のそばでたのしさうに話をしてゐるのに気をつられて、スッカリもとの人になりました。話相手が無いものですから船縁につかまって遠い景色をながめたり、緑の色にゆら/\する波を見たりしてスッカリ船と仲よくなってしまったのです。京城丸と一足違ひに幸丸とか云ふ汽船が出たでせう。あれがだん/\おくれて、ズーッと後からついて来た様ですが、それもいつか見えなくなって、赤い夕陽に照されて、紅波、緑波を漂はす美しい海原を、船は白い波紋の足跡をのこして、太い波のうねりを道伴れにだん/\と進んで来ました。めがまはるなどゝ云って船室にはいってゆく美しいおくさんもあり、風が寒いとマントを引かけた紳士もありましたが、私は寒くもなし、めまひも幸ひと致しませんでした。それでも二時間ほどたって薄暗くなると人はみな何処かへはいってしまって、私一人になった。それに白い作業服を着けた船員が来て、何処へいらっしゃいますか、だの、何処からいらっしゃいました、だの、淋しいでせうだのって云ひ出したので、御親切が怖しくなったので船室へ飛込み、みんなの真似して羽織をぬぎ、仰向に寝そべってしまひました。ゆで卵子を二つで腹を拵へたんですから疲れも何もなく、何時の間にかグッスリ寝こんでしまひました。フト目を覚ますと、狭い船室の中を電燈が青白く照して同室の大学生や、あのメンコイ子供を連れた紳士などが手足をのばしてグーグーと嚊をかいて寝てゐました。

寝床をはひ出して便所へ行き窓から見ると、相変らず船は油を流した様な海の上をすべる様に進んでゐました。しばらく見とれてゐたら、人の気はひがするのでビックリして出て見たら、白鬚のお爺さんが先刻から私を待ってゐたのでした。それから食堂の方へ出て見ると時計はちょうど十二時になってゐました。其処にある大観だの中央公論だのの頁を繰って拾い読みして、そこいらの弁当代の掲示などを見てから再び毛布を被って寝に入りました。フト物音に驚いてさめて見ると、これは大変、同室の人たちがみんな起きて靴をはいたり、外套をつけたりしてゐるのでした。私も起きて身仕度をして外へ出て見ると、青森の港へはいったとおぼしく、京城丸は大きな声で、おはやう! と叫びました。有明の室に十六夜ほどのまるい月が銀色の淡い光を波上に投げ、海上たひらかに爽快な暁の微風をのせて遠く明滅する青森港の美しい灯色をうつしてゐました。薄暗にしろく横たはる大きな汽船の黒い影が三つ五つ。京城丸は悠々といかりをおろしました。

Chapter 4 of 10
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