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クロイツェル・ソナタ 01 クロイツェル・ソナタ
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クロイツェル・ソナタ 01 クロイツェル・ソナタ
トルストイレオ
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译文 Pagera AI
原文 Public Domain
Chapter 3 of 30

二

老人が出て行くが早いか、幾たりかの人が一どきに話しはじめた。

『旧式な親爺さんですなあ。』と手代はいった。

『まるで家長専制の権化ですわ。』と婦人はいった。『なんて野蛮な婦人観、結婚観でしょう!』

『いや、全くわれ/\ロシヤ人は欧州人の結婚観に遠く及ばないですよ。』と弁護士が嘆じた。

『ああいう人たちに分らない、しかもいちばん肝腎なことは、』と婦人がつづけた。『ほかでもありません、愛のない結婚は結婚でないということです。ただ愛ばかりが結婚を神聖にするので、愛に聖化された結婚のみが、はじめて真の結婚といえるのです。』

手代は、この賢い人たちの会話を出来るだけ沢山おぼえておいて、あとあと自分でも使ってやろうという肚で、にや/\笑いながら聴いていた。

婦人の話の最中に、わたしのうしろで、引きちぎったような笑声か、それとも啜り泣きとも思われるような声がしたので、一同うしろを振り返って見ると、そこには、例の眼をぎら/\輝かしている、胡麻塩頭をした一人旅の紳士が控えていた。彼はこの会話に興味を感じたらしく、いつの間にかわたしたちの方へ寄って来たのである。彼は腰掛の背に両手を載せて、一方ならず興奮しているさまであった。その顔は赧らみ、片頬の筋がひく/\引っ吊っていた。

『それは一体どういう愛なんですか?‥‥結婚を聖化する愛というのは?』と彼は吃りながら訊ねた。

相手の興奮している様子を見てとったので、婦人は出来るだけもの柔かに、噛んで含めるように返事した。

『真の愛ですの‥‥その愛が男と女の間にあったら、結婚も可能になるわけですの。』と婦人はいった。

『そう、しかし真の愛という言葉を、どう解釈したらいいのでしょう?』と眼つきの鋭い紳士は、まずい愛想笑いを浮べながら、臆病そうに問い返した。

『愛がどんなものかってことは、誰でも知っていますわ。』もうこの人との話は切り上げたいらしい様子で、婦人は答えた。

『でも、わたしは知らないんです。』と紳士はいった。『あなたのお言葉が何を意味するか、まずそれを決めてかからなけりゃなりません‥‥』

『なんですって? そりゃごく簡単ですわ。』と婦人はいったが、それでもちょっと考え込んで、『愛とは、一人の男なり女なりを、大勢の中から選択して、そのほかのものを絶対に顧みないことです。』と彼女はいった。

『その選択は、どのくらいつづいたらいいのでしょう? 一月ですか? 二時間ですか、それとも半時間ですか?』と胡麻塩の紳士はいって、笑いだした。

『いいえ、失礼ですが、あなたはどうやら、見当ちがいなことをいってらっしゃるようですわ。』

『いや、わたしはあなたと同じことをいってるんです。』

『この方のいわれるのは、』弁護士は婦人を指さしながら割り込んだ。『第一に、結婚は愛着から(もしなんなら愛といっても構いません)生れなければなりません。もしこの愛着が現に存在するならば、その時はじめて、結婚は一種神聖なものとなるのです。で、こういう自然な愛着心(もしなんなら愛といってもいいです)に基礎を置いてない結婚は、なんら精神的、義務的分子を含んでいない、とこうおっしゃるのです。わたしの解釈は間違っていませんか?』と彼は婦人の方へ振り向いた。

婦人は軽くうなずいて、今の自分の思想の釈明を是認する心を示した。

『次に‥‥』と弁護士は言葉をつづけようとした。神経質な紳士は、早くもその双眼を火のように燃やしながら、やっとのことで虫を抑えつけている様子であったが、とうとう弁護士に皆までいわせず口をきった。

『いや、わたしのいうのもそれと同じことです。つまり、一人の女を大勢の中から選択して、そのほかを顧みないことです。けれど、その選択はどのくらいつづくべきものか、それをお訊ねしているのです。』

『どのくらいつづくかですって? それは永い間ですわ、時によると一生涯つづきます。』と婦人は肩をすくめながら答えた。

『しかし、それはただ小説の中だけで、実人生には決して存在しません。人生では、この一人のために他を顧みないということが、珍しい分で一二年、まあ大抵は二三箇月しかつづかないです。時とすると、二三週間か、二三日、どうかすると、二三時間しかつづかないことがあります。』見受けたところ、彼は自分の意見が一同を驚かすのを承知して、それに満足しているらしかった。

『ああ! あなた何をおっしゃるのです? いや、いけません‥‥失礼ですが、違います‥‥』とわたしたち三人は声を揃えていいだした。手代でさえも何か不賛成らしい響を発した。

『ええ、分っています。』と胡麻塩の紳士は、わたしたちの声を圧倒しながら叫んだ。『あなたは存在しているように見なされていることをいっておられるのですが、わたしは実際存在していることをいってるんです。どんな男でも美しい女を見る度に、あなた方のいわゆる愛を感じていますよ。』

『まあ、恐ろしい、あなたは何をおっしゃるんです。だって、全く人間の間には愛と呼ばれる感情があって、それが二三箇月や二三年でなく、一生つづいているじゃありませんか?』

『ありません、ありませんとも。もし仮りに男が一生涯、一人の女に愛着を感じるとしても、女は、まあ、大抵ほかの男に愛着を感じるでしょうよ。以前もそうだったし、現在もその通りなんです。』といって、彼は巻煙草入を取り出し吸い始めた。

『しかし、相互に愛し合う場合もあり得ます。』と弁護士はいった。

『ありません、あり得ないです。』と彼は反駁した。『豌豆を積んだ車の中で、目じるしをつけておいた二つの豆粒が、一緒に並んでいるということが、あり得ないと同じ理窟です。それにこの場合、単にありそうなことというだけにとどまらない、最も正確なのは飽満ということです。一生涯ただ一人の女を愛するなんていうことは、一本の蝋燭が生涯、燃えるというのに同じです。』貪るように煙草を吸い込みながら彼はこういった。

『けれど、あなたは肉の愛ばかり論じていらっしゃいますが、一体あなたは理想の一致とか、精神的近似とかいうものを基礎とした愛を、お認めになりませんか?』と婦人はいった。

『精神的近似ですって! 理想の一致ですって?』と、例の持ち前の妙な音を出しながら、彼は繰り返した。『しかし、そうとすれば、何も一緒に寝なければならんという必要がないじゃありませんか(どうか無作法なものいいを許して下さい)。そうすると、つまり、理想の一致のために、人は一緒に寝るということになります。』といって、彼は神経的に笑いだした。

『けれど、失礼ですが、』と弁護士はいった。『事実はあなたの説に反しています。われ/\は夫婦関係が存在しているのを見ます。人類ぜんたいが、少くともその大多数が結婚生活を営んで、その永い結婚生活を正しく終えるのも、少からず目撃するじゃありませんか。』

胡麻塩の紳士はまた笑いだした。

『あなたはさっきまで、結婚は愛を基礎とするとおっしゃりながら、わたしが肉的愛以外の愛の存在に疑をさし挾むと、今度は結婚が存在するという事実によって、愛の存在を証明しようとなさる。いや、現代の結婚は詐欺以外の何ものでもありません!』

『いや、待って下さい。』と弁護士はいった。『わたしはただ結婚が過去においても存在していたし、また今日も存在している、といったまでのことです。』

『存在しています! しかし、なぜ存在しているのでしょう? 結婚が存在してもいたし、また現に存在しているのは、ただ結婚の中に一種神秘的なあるものを認める人たちの間だけです。それは神に対する義務を感じさせる神秘なのです。そういう人たちの間には結婚も存在しています。ところが、われ/\の間では、結婚の中に交接以外なにものも認めないで結婚しますから、詐欺でなければ凌辱という結果が生じるのです。それでも、詐欺である間はまだ我慢が出来ます。夫婦はただ人を欺いて、自分たちは一夫一婦の生活をしているように見せかけながら、その実、多妻主義か多夫主義の生活を送っているだけです。それは悪いこととはいい条、でもまだよろしい。ところが、よく世間であるように、夫婦が一生同棲しなければならぬという外面的な義務を背負い、早くも二月目から互に憎み合って、別れたい別れたいと考えながら、それでいて、とにかくその日を暮らしてゆくというに到っては、すでに恐ろしい地獄です。そのために人間はやけ酒を呷ったり、ピストルで額を射ち抜いたり、自分をも相手をも苦しめたり、毒したりするようになるのです。』彼の言葉は次第に早口になって、誰にも言葉を入れる隙を与えず、だん/\烈しく熱してくるのであった。一同はなんだか間が悪くなった。

『そう、無論、ずいぶん際どいエピソードも、夫婦生活にはありがちですからね。』無作法に熱してゆく議論を打ち切ろうと思って、弁護士はそういった。

『あなたはどうやら、わたしが何者かお分りになったようですね?』と静かな落ちついたらしい調子で胡麻塩の紳士は訊ねた。

『いや、まだその悦びを有しませんが。』

『なに、大した悦びでもありませんよ。わたしはポズドヌイシェフです――ちょうど今あなたのいわれた際どいエピソードをおこした男です。つまり、自分の女房を殺したというエピソードをね。』すばやくわたしたちを一人々々見廻しながら、彼はいった。

誰もが咄嗟の間に、なんといっていいか分らず、みんなおし黙っていた。

『いや、どっちでも同じことです。』例の妙な音を発しながら、彼はいった。『ですが、失礼しました! あっ!‥‥いや、もうお邪魔はしますまい。』

『どういたしまして、飛んでもない‥‥』自分でも何が「飛んでもない」のか分らないで、弁護士はこう答えた。

けれど、ポズドヌイシェフはそれには耳も貸さず、くるりと踵を転じると、そのまま自分の席へ帰ってしまった。弁護士と婦人とは、ひそ/\話を始めた。わたしは、ポズドヌイシェフと並んで坐っていたが、何をいっていいか考えつけないままに、じっと黙り込んでいた。本を読もうにも、暗くて駄目だったので、わたしは目を閉じて、眠いようなふりをした。こうして、次の停車場まで無言のままで通した。

この停車場で、弁護士と婦人とは別の車へ移った。それは、前から車掌に談判しておいたのである。手代は腰掛の上にうまく陣どって、寝入ってしまった。ポズドヌイシェフは、依然煙草をふかしつづけながら、前の停車場で淹れた茶を飲んでいた。

わたしが眼を開いて、彼を見やったとき、彼はいきなり断乎とした、いらだたしげな調子でわたしに声をかけた。

『あなたはわたしの本性をお知りになったので、わたしと一緒に坐っているのが不愉快かも知れませんね? それなら、わたしはほかへ行きますが。』

『おお、そんなことはありません。飛んでもない。』

『それじゃ、一ついかがです? 少し濃いですが。』

彼はわたしに茶を注いでくれた。

『あの男はいろんなことをいっている‥‥しかも、みんな嘘なんです‥‥』と彼はいった。

『それはなんのことですか?』とわたしは訊いた。

『や、例のことです。あの人たちのいう愛だとか、その愛がいかなるものか、というようなことですよ。あなたお眠くはありませんか?』

『一向に眠くないです。』

『では、一つどういうわけでわたしがその愛のお蔭で、ああいう事件をし出かしたか、あなたにお聞かせしましょう。』

『どうぞ、もしあなたに苦痛でなかったら。』

『いや、わたしは黙っているのが苦痛なんです。まあお茶をおあがんなさい‥‥それとも、あまり濃すぎますか?』

いかにもお茶はビールのようだったが、わたしは一杯飲み干してしまった。ちょうどこのとき車掌が通り過ぎた。彼は毒々しげな眼つきで、それをじっと見送っていた。やがて車掌が出て行ってから、ようやく話を始めた。

Chapter 3 of 30
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