Chapter 1 of 11
一
病來十年わたしは一歩も東京から外へ出たことがなかつた。
大正二年の夏慶應義塾講演會の大阪に開催せられた時わたしも厚かましく講演に出掛けたのが旅行の最終であつた。
今年大正十一年十月の朔日、わが市川松莚子、一座の俳優を統率して京都に赴き、智恩院の樓門を其のまゝの舞臺となし野外の演藝を試るといふ。蓋しわが劇界未聞の壯擧である。この壯擧を聲援せんが爲日頃松莚子と深交ある文人作家は相携へて共に西行せん事を約した。こゝに於てわたしも十年振りで東京の家を出る事となつた。
十年前大阪へ行く時、丸の内の東京驛停車場はまだ工事の半であつた。たしか大正四年の春松本泰君が再度英國に遊ばうとした折、又その翌年故上田博士が京都に歸らるゝ時、また大正八年松居松葉子が重て歐米漫遊の途に上らんとする際、わたしは丸の内停車場のプラツトフオームまで見送りに來た事はあつたが、然し一度もこゝから汽車に乘つた事はなかつた。
わたしの旅行は今日全く人から忘れられたかの汐留の古いステーシヨン――明治五年に建てられたとかいふ石造りの新橋ステーシヨンからのみ爲されてゐた譯である。さう思ふとわれながら微笑を禁じ得ない。同時に、今更の如くわたしの身も正に彼の古いステーシヨンと同じやうに今は全く過去のものとなつた――わが時代は既に業に遠く過ぎ去つたといふ事を意識しないわけには行かない。