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大菩薩峠 03 壬生と島原の巻
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大菩薩峠 03 壬生と島原の巻
中里介山
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译文 Pagera AI
原文 Public Domain
Chapter 9 of 17

九

木津屋の一間で、七兵衛は手枕で横になり、朋輩衆と嵐山の方へ行ったというお松の帰りを待っています。

いま会って、一通りの話をした御雪太夫の面影を思い返して、道中で見た時とは違い物々しい飾りを取りはずし、広くて赤い襟のかかった打掛に、華美やかな襦袢や、黒い胴ぬきや、紋縮緬かなにかの二つ折りの帯を巻いて前掛のような赤帯を締めて、濃い化粧のままで紅をさした唇、鉄漿をつけた歯並の間から洩るる京言葉の優しさ、年の頃はお松より二つも上か知らん、お松とは姉妹のように思うていると言うたが、姉にすれば申し分のない姉、あんな姉があらばお松は仕合せである、お松のためにはこのままにして、あの太夫に任せておく方がけっく幸福か知らん。七兵衛はお松の身受けに来たのだけれど、来て見ればお松の将来についてまた変った考えが出て来ます。

七兵衛はそれから、お松の身受けの金のこと、関東へつれて帰ってどうしようかということなどを、いろいろと考えているうちに眠くなって、うとうとと夢に入ろうとすると、

「御免あそばせ――あ、おじさん」

眠りに落ちようとした七兵衛は、物音に眼をあいて、そこへ入って来た美しい女の姿を見る。

「青梅のおじさんではないか」

女はこう言って跪いたので、七兵衛は身を起して、

「お松坊か――お松坊であったか」

「はい」

お松の姿は、三度変っている。第一は大菩薩峠の頂で猿と闘った時の笈摺の姿、第二は神尾の邸に侍女をしていた時の御守殿風、第三はすなわち今、太夫ほどに派手でなく、芸子ほどに地味でもない、華奢を好む京大阪の商家には、ちょうどこのくらいの振合いをした嬢様がある。七兵衛はお松の侍女時代を知らなかったから、その変ったことに目を驚かす。

「久しいことでございました」

お松はハラハラと涙。

「大きくなったなあ、美しいものになったなあ」

七兵衛の眼もなんとなしに潤うてきます。

「もう、この世ではお眼にかかれないかと思いました」

「ばかなことを言うな……なんの百里や二百里の道」

七兵衛も悲しくなる、お松も悲しくなる。

七兵衛の足では、百里や二百里の道はなんでもないが、お松の身が、この百里を隔てた西の都に来るまでには、容易ならぬ行路の悩みがある。

お松は、しばらく袂を面に押し当てたまま、しゃくり上げていましたが、

「いつ、こちらへお着きになりまして」

「今日来たよ」

「ようここが知れましたなあ」

「うむ、ちょっとしたひっかかりで聞き込んだから、直ぐに飛んで来た。来て見れば、お前の身の上も、思ったより無事で、こうすんなり会えようとは思わなかった。そうして、わしは、お前をつれて江戸へ帰るつもりで来るには……来たが……今も、ここでおちおち考えてみれば、帰ったとてお前の頼るところもないようではあるし、わしも思うように世話をして上げるわけにはいかない。縁あってこちらに来たものだから、いっそこちらで暮すもよいかも知れぬ。どうだ、お前の考えは。遠慮なく言ってごらん」

「有難う存じます、おじさん、どこへ行きましても、運の悪いものは悪いものでございますね、わたしは、もう諦めました」

「どう諦めた」

「江戸へ帰りたいとも思わず、ここで一生を送りたいとも思いませぬ……運には勝てませぬから、何事にも逆わず身を任せて行くつもりでございます」

七兵衛は腕を組んで暫く考え、

「それでは……お前は傾城になるつもりかえ」

「この月中に、あのお雪様の妹分として、つとめをするように、きまってあるのでござんすから……わたしもその気になってしまいました」

七兵衛は、考え込んだ上で、

「そう腹がきまれば、それでいいようなものだが、わしに言わせると、それでは済まぬ、わしはお前を遊女傾城にしたくはないというものだ」

「けれども、おじさん……」

「わしは、お前を救い出しに来たはずなのだ、なんとしても一旦はお前の身受けをせにゃならぬ、それから先はお前の心任せ、江戸へ帰ろうと、こちらに留まろうと、文句は言わないつもりだが」

「身受けと申しましても、おじさん……」

「お金のことなら心配しなくてもいい、それはいくらかかろうとも承知の上だ」

「有難うございます」

お松は、また涙を拭く。身受けをされて自由になることが、お松にとって嬉しくないことはない、もし帰るべき家があり、手をとって泣き合うべき親兄弟があるならば一層のこと。七兵衛にしても、この娘をつれて帰って、引合せてやる縁者があるとか、思い合う男に添わせてやるとかいう的があるならば、張合いがあるべきところだけれども、これを伯母のお滝に返してやろうか、または妻恋坂のお師匠様に預けようか――危ない危ない、ここに置くよりも危ない。そんなら、自分が引取って世話をしてやろうか――いつ首が飛ぶか知れない身、なお危ない危ない。

「おじさん、わたしは、もし身受けをしていただくようになりますれば、あの沢井という山の中へ引込んで暮します」

「なんだ、沢井へ……沢井の何というところへ」

「あの万年橋という橋の下に、水車の小屋がありますそうな、そこでお米を搗いたり、粉を振ったりして稼ぐつもりでございます」

「万年橋の水車で……あそこに知人でもあるのかな」

「あい、約束した人が……約束と申しますと、異なことに聞えましょうけれど、わたしを親身にしてくれた人が待っているはずでございます」

この女を待っているというのは何者、約束した人とは誰。はたしてそんな人があるならば頼もしい。

Chapter 9 of 17
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