Chapter 1 of 1

Chapter 1

何よりも僕はその表題が好きだ。検温器と花。そつくりこの句を、この詩集のなかに挿入してもいゝ。すくなくとも駄作寡婦などを巻中においておくよりも。作者は短詩のための短詩はとらず、と云ふやうなことを巻末に書いてゐるが、この短詩は所謂寡婦の愚劣なる概念を常識を、たゞ一行に縮図したに止つてゐる。曰「暗く湿つぽい三和土の上で狆が※をした」どんな男でも寡婦と云ふと、小奇麗な格子、三和土、そして狆を想起する常識を持ち合はして居よう。ここで作者の機智はたゞ狆に※をさせたばかしである。

機智を丸薬の小粒にして見せるのは見合せて、朝の諸編、花の中の花、などの佳作を持つてゐる作者におつたへしたいな、そのよき方向を展開してくれ給へと。

よく僕がたちよる古本屋に、ちよつとは名を知られてゐる宛名が寄贈された詩集を持ちこむと見える。見返しにその宛名が麗々とよまれるのだ。ある時などづらりと十冊近くも並んでゐた。多分その宛名は一冊だつてそれらの詩集を見てないのであらう。頁さへ切られてゐないのだから。

そして、そのちよつとは名を知られた宛名自身も、かつて同じやうな憂目をすました詩集を出したことがあるのは無論であらう。兎に角、それら無名の詩集が古本屋からちよいちよい僕の室に集つてきた。そして彼等は云ふのである。

ねえ君、早く北海道の果樹園に行つて、林檜の頬被りになつてやりたいな。

さうだ、さうだ、すると他の詩集がこれに応じた。

こんなにうようよした、ちよつとした宛名たちの手許に贈られるよりはね。

弟と僕と

誰にもないしよだよ

屋根に登つたんだよ

雀の巣がたくさんあるなんて

みな嘘なんだよ

弟がよこした手紙にこんなことが書いてあつた。郷で、僕は弟たちとよく屋根にあがつた。うちが店で遊び場所がなかつた所為だらう。赤い屋根がごたごた起伏してる向ふ、那覇港が青い水平線をひろげると、岬は湾を抱いてその川先に、燈台の白亜をのつけて威張つてた。

タル――おをい! 大声で呼ばはると、空では直線で近いのであらうか?従弟の幸雄君が褌なんかを鮮かに、二三丁も向ふの屋根にとんとん姿をあらはした。……

ふるさとの空遠みかも

高き屋にひとりのぼりて愁ひて下る

啄木の歌は覚えてゐるが一度もここの屋根瓦を素足に踏んだことがない。下宿の窓からはのぼる術もないのだが。それにしてもアンテナの跳梁にふるさとの空も遠すぎることだらうと思はれる。

●図書カード

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