Chapter 1 of 1

Chapter 1

女王

野口雨情

何時、誰が創つたのか、村にはずつと古くから次々に伝へられてゐる歌詞がありました。村の母親達はそれをねんねこ歌のやうにして小さな子供たちに歌つてきかせてゐるのでした。

トムちやんのお母さまが学校に勤めるやうになつてから、それを作曲して学校の児童達に歌はせるやうにしました。歌は「愛の歌」と名づけられました。今ではその歌がだんだんに伝へられて、この郡の小学校では何処へ行つても歌はないところはないやうになつてゐました。

村のお祭に八幡様の森で児童達が合奏するこの歌は、どんなに村人の心を和げ又慰めたことでせう。

娘姿で 駒鳥は

糸紡き車で

糸紡いた

シヤラシヤラ ビンビン

糸紡いた

糸は何糸 愛の糸

愛の糸より

糸はない

シヤラシヤラ ビンビン

糸はない

森の少女も 駒鳥の

糸紡き車で

糸紡いた

シヤラシヤラ ビンビン

糸紡いた

歌を唄ひば 愛の歌

愛の歌より

歌はない

シヤラシヤラ ビンビン

歌はない

村祭の日が近づいてまゐりました。子供達はお宮の森の、とある広ツぱへ集つて、いろいろとお祭のお準備をしてゐました。花笠を造つたり、小さな山車を慥へたり、山車の屋根を飾る挿花を考へたりして、キヤツキヤツと騒いで居るのでした。

「女王はどうしたの、遅いなア」

「やつぱり先生が悪いんだツか」

そんな話が子供達の間に交されると、皆が忙しさうな手を休めて、瞳を話の中心点に集めるのでした。

「葛原先生、学校随分長く休んだツせ」

「病気、悪いのかなア」

「悪いんさ。でなきやトムちやんと疾に来るもの」

「みんなで行つてみよか」

「ウム、それ好いや。女王が居んぢや、ちつとも面白く無え」

「花輪が出来たんか」

「まだ野菊が足りねえ……トムちやん処へ行く前にみんなで野原へ寄て行かう」

「ああ、それがいいや。行こ、行かう」

村の少年少女は造りかけた山車や花笠や造花をお宮の拝殿に蔵へ込んで、ゾロゾロと石の階段を野原の方へと降りて行くのでした。

「女王」といふのは毎歳の村祭に、山車の上に乗さつて花輪を捧げ持つ、子供達の王様を謂ふのでした。それは、毎歳少年少女が八幡宮の森に集つて人選をするのでしたが、「女王」になる者は第一品行が方正で、学科の出来がよくて、多くの少年少女に信用が無ければなりませんでした。トムちやんが女王に選れてからもう今年で三年、村の少年少女は毎年の秋を何の相談もなく「女王」をトムちやんに決めて居るのでした。「女王」は少年少女にとつて無上の名誉でした。またその親達の身にとつても可なりに強い喜びでした。

「女王」に贈る花輪は、少年少女が皆で野の草花を採り集めて造る約束でした。野原に行くと、野菊や藤袴や、みやこ草や、みそはぎやが錦絵のやうに咲き乱れてゐるのでした。まめ菊の大輪を見つけ出して高く捧げて喜ぶ少年など、野は秋のよろこびに満ち充ちてゐました。

花輪が出来上ると、トムちやんと仲よしのしげのさんがそれを持つ、そしてそれを取り巻く皆が「愛の歌」を合唱しながらトムちやんのお家の方へ繰り出すのでした。

トムちやんが、窶れたお母さまの、いまスヤスヤと眠つた枕辺に、静かにお坐りしてゐる時に、遠くから少年少女のコウラスが聞えてきました。

「あ、友達だわ」

トムちやんはさう言つて、静かにお母さまの枕許を抜足しました。トムちやんは、村の少年少女が、花輪を持つて自分を迎へに来たことが解つたのでした。で、子供達の騒が、お母さまの静かな眠りを醒すことを恐れたのでした。

トムちやんが茅葺屋根の潜戸を開けると、遥に唱歌隊がこちらに近づいて来るのが見られました。向ふでもトムちやんを見つけました。

「やア、女王、女王」

少年隊は駈け出しました。

少年少女が近くと、トムちやんは手を上げてこれを制しておいて、自分の方からダラダラ坂を下の方へ駈けて行きました。

皆は皆熱心にトムちやんの顔を凝視て立ち停りました。後の方にゐた丈の小さい子供は、トムちやんの顔がよく見えないので、他人の袖の下から顔を出したりなどしてゐました。

「トムちやん、これ貴女の花輪よ」

とまづしげのさんが口を開きました。

「しげのさん、有りがたう。みなさん有りがたう……」

トムちやんはさう謂つて眼をしばたたきました。

「先生悪い?」

年嵩な少年が声を低めてさう問へました。

「ええ。……」

「トムちやん、「女王」になれない?」

皆は心配げに尋ねました。

「……え、今年の「女王」はしげのさんにして頂戴、私はお母さんとこ離せないの……」

「そんなに悪い? 困るなア」

「……」

折から「夕べの祈りをせよ」と訓ふるようなお寺の鐘が、静かに静かに聞えてまゐりました。

「ゴオーン……」

と、重く沈んだその韻は、霧のやうに拡つて、森から村へ、村から野原へ、鐘はゆるやかに流れて行くのでした。

皆が顔を上げると、夕陽の輝きが野を辷つて、この一団の少年少女の群を赤く照らしました。

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