奉行に代って
「お駒さん、相変らず綺麗だぜ」
「あら、権次さん、お前さんは相変らず口が悪いよ」
「口の悪いのは通り者だが、お駒さんの綺麗なのと違って罪は作らねえ」
「何を言うのさ、いきなり悪口を言ったり、好い児になったり」
二人は顔を合せさえすれば、斯んな調子で物を言う間柄だったのです。
神田明神前にささやかな水茶屋を営んで居る仁兵衛の娘お駒、国貞の一枚絵に描かれたほどの美しさで、享保明和の昔の、お仙お藤にも優るだろうと言われた評判娘が、何んな廻り合せで懇意になったものか、金座の後藤三右衛門に仕われて、草履を直したり、庭の草までって居る、潮吹の権次という三下野郎と、不思議に馬が合うのでした。
尤も、恋でも情でもあるわけはありません。お駒はピカピカするほど美しいのに、権次は綽名の通り潮吹で、それに年だっても、四十の方へ近かったかも知れず、家も金も、貫祿も見識も無い身軽な折助風情ですから、引手数多のお駒を何うしようと言う野心があるわけは無かったのです。
見てくれの美しさに似ず、気象者で鉄火で、たった十九と言うのに、狼連を手玉に取って、甘塩でしゃぶるようなお駒と、気軽で、剽軽者で、捉えどころの無い権次が、互に友情らしいものを持って居たにしても不思議はありません。
「ところで、お駒さん、内々の話があるんだが」
ひとわたり軽口を叩くと権次は案外真剣を顔になって、見事に尖った唇をペロリと嘗めます。
「厭だねえ、内々の話なんか、其処で白状して了いなよ」
「口説くんじゃ無いぜ、お駒さん」
「当り前さ、お前さんに口説かれたって驚きやしないが、又お小遣を借せってんじゃないの」
「人聞きの悪いことを言いっこなし、ありゃお前たった一度だぜ、割前勘定が不足して、飛んだ恥を掻きそうになったからお駒さんに頼んで埋め合せをして貰ったが、翌る日は、お土産附で返した筈だぜ」
「お土産まで吹聴されちゃ世話あ無い――」
「まア宜いやな、今日のは天下の大事だ、お茶らかさずに附き合ってくんな」
「天下の大事と来たね、――それじゃ聴いてやらなきゃア駿河台の殿様に済まないだろう、此方へお入りよ、ホホホ」
「大久保彦左衛門の講釈と間違えてやがる、ハイ御免」
変な顔で見送って居る客をかき分けて、権次はお駒の後に続きました。店から帳場だけを隔てて、形ばかりの六畳ですが時々は此処へ泊るものと見えて、一と通りの世帯道具は揃って居ります。
「閉め切って居ると暑いね、少し開けようか」
「ちょいと待った、其処を開けるのは、一と通り話が済んでからにして貰おうか」
「だってもう四月だよ」
「四月だって五月だって、女を口説くのに開けっ放しと言う法は無い」
「本当に口説く積りかえ、権次さん」
「権次さんと来たね、俺はもう十ばかり若いと、口説き度くなるだろうよ」
「若くなくたって、顔の造作は変えられない」
「言ったね、お駒奴」
又脱線して了いました。
「冗談は宜い加減にして、早く用事を言ってお了い、店は金ちゃん一人で、困って居るじゃないか」
お駒はそれでも、話の本筋へ引戻しました。少し斜に坐ると、膝の間から紅いものがこぼれて、皮下脂肪の多い、滑らかな手足、――その真珠色の皮膚や、桜貝のような爪を見ただけでも、この女の恵まれた美しさが、全身に行亙って居るのに驚かされるばかりです。
「思い切って話そう、お駒さん、お前は言い交した、相沢宗三郎様と別れなきゃアならないんだぜ」
「えッ」
「そして、今の俺にはお主に当る、金座の後藤三右衛門の総領、三之丞様のところへ行って貰わなきゃアならないんだ」
「そんな馬鹿な事を、誰が一体私に言い付けるのだえ、生意気じゃないか、潮吹権次の癖に――」
お駒はカッとすると、外して持って居た赤い襷で権次の顔をピシリと叩きました。
練絹のような美しい膚が、急に茜さして、恐ろしい忿怒に黒い瞳がキラリと光るのさえ、お駒の場合にはたまらない魅惑です。
「お駒さん、腹を立てるのも尤もだが、これには深いわけがある、落付いて聴いてくれ」
「誰が落付いてなど居るものか、犬にでも食われて死んで了うが宜い」
お駒がサッと立上るのを、権次は裾を掴んで引戻しました。
「小唄の文句の通りだ、俺もこんな非道な事を言うより、犬にでも食われた方が増しだよ」
「何をするのさ、離しておくれ、人の裾なんか掴んで、気障でないのだけがお前の身上だと思ったら――大きな声を出すよ」
「あ、存分に張り上げておくれ、お駒、俺は袋叩きにされて放り出されても怨みはしない、お前が相沢様と切れて、後藤の小倅のところへ切り込んでくれさえすれば、自慢じゃ無いが、痛い腹位は切っても宜いよ」
振り上げた権次の顔は、妙に突き詰めた真剣さに硬張って稀代の醜怪な潮吹も、もう笑える人相ではありません。
「何んだとえ?」
「誰も聴いちゃ居ないか、お駒さん、皆なブチまけて話そう、これは勘定奉行矢部駿河守様の指金だ」
「えッ」
「お駒さん、俺は駿河守様に代って、お前を口説きに来たんだ、聴いてくれ」
権次の声もすっかりうるんで、お駒は引据えられたようにその前にうな垂れて居りました。