一
「オヤお揃いだネ」
カフェー人魚の闥を押して、寒い風と一緒に飛込んで来たのは、関東新報記者の早坂勇――綽名を足の勇――という、筆より足の達者な男でした。
「早坂君かい、どうだい景気は」
声を掛けたのは、高城鉄也という、東京新報の花形記者で、足の勇とは商売敵に当るのですが、敵愾心よりは友情の方をどっさり持って居ようという、優秀な感じのする若い男でした。
「ボーナスかい、いやもう、とても費い切れないほど貰ったよ、少し融通しようか」
「あら、早坂さん大変な景気ね」
「イヨウ、女史も御一緒か、珍らしい事があるものだネ」
二三人の新聞記者に囲まれて、華やかな笑顔を向けたのは、園花枝という同じ大東京新報の婦人記者、筆の立つのと素性のわからないのと、それよりもズバ抜けて美しいので有名な女でした。
わざと職業婦人らしく、ほのかに葡萄がかった灰色薄ラシャの地味な洋装に、美しくウェーヴさした毛を、白い頸筋の上へ無造作に束ね、黒毛の大外套を椅子の凭れへはね退けた、名ある踊子にも無いような、美しい両足を卓子の外へ重ねて、外らせた様子は、少しお転婆ではあるが、またなくスマートに可愛らしい感じのものでした。
「景気と言ったって、ボーナスの事じゃないよ。その口はどうせ御同様だが、今晩はもう少し面白い話が始まってるんだ」
高城鉄也は、ウイスキーを一丁、足の勇の為に通させ乍ら、園花枝と顔を見合せて、悪戯っ子らしく莞爾しました。その青年記者のロイド眼鏡の底に光る鋭い眼と、山羊髭を付けた可愛らしい口元は、顔の表情に一種不思議な矛盾を感じさせます。
「何んだエ、どうせ金儲けの話じゃあるまい。真っ直ぐに打ちまけてしまいな」
「つまり、その賭なんだよ」
「角力の春場所かい、今頃野球でもあるまい――」
「そんな古風なんじゃない。新聞記者冥利に、特種競争をしようと言うんだ」
「フーン」
足の勇も少し呆気に取られました。特種競争などという言葉は、今まで聞いたことも無かったんです。
「賭は今日から始まるんだ。一番先に特種を取って、天下をアッと言わした者に、みんなで言いなり放題奢ろうというんだよ」
「面白いな。そんな話なら、俺も一口入れて貰おうじゃないか。気の毒だが東京中の一流の料理屋を、虱潰しに二三十軒飲み歩いて見せるよ」
足の勇は、ズボンの上から脛を叩いてニヤニヤとして居ります。新聞の特種競争を、マラソン競走と間違えそうなところが此男の身上です。
「なるべく多勢、各社を網羅した方がいいが、一度入ったらあれは冗談だなんて言っちゃいけないよ」
「そんな事を言うもんか」
「特種の条件は、一社独りよがりの種では駄目だ。その特種が新聞へ出たら最後、東京中の新聞が、否応なしに引ずられて付いて行くような種でなくちゃいけない」
「勿――」
「動物園のお猿が児を産んだ――位の種じゃ駄目だぜ」
「くどいな高城、俺にはちゃんと成算があるんだよ」
「本当か」
「本当にも嘘にも、――今日は土曜日だろう。エート、関東新報の遅くも火曜の朝刊で、お前達が皆んな目を廻すような、驚天動地の特種に出っ会わすぜ。大丈夫か」
「何を言うんだ、気は確か」
「何を言うんだとは何んだ、見くびってもらい度くないネ」
「ところがネ早坂君、俺の方にも取って置きの種があるんだよ」
「ヘエ――、敵にも亦伏があるってわけだね、有難いな、相手に用意があると聞くと、張合があっていい」
「言う事が大きいネ」
「ボーイさん、カクテールを一杯宛、人数だけだ、前祝に献じよう。――どっこい、園女史はアルコホールでもあるまい。お人柄だけに甘いものでも差上げてくれ」
足の勇はいい心持そうに大束を極めて居ります。
「勇。大層な勢だな」
折から、闥を押して入った一人、足の勇は肩に手を置いて、眼は高城、園、某、某、と一座に会釈して居ります。
「エッ、吃驚させる、誰だ――何んだ兄貴か」
足の勇には大先輩、関東新報社の社会部長、千種十次郎という名記者です。
「馬鹿に驚くじゃないか、まるで兇状持見たいに――」
「厭な事を言いっこなし、兇状なんか持っちゃ居ないが、真っ正面に美しい方が居るから、一寸した事にも虫が起る」
「あらッ、早坂さん」
園花枝は、少し顔を染めて、足の勇をたしなめました。嬌嗔を発した顔は、咲き立ての芙蓉を見るような、香わしい美しさに輝きます。