Chapter 1 of 19

父の汚名を雪ぐ――大事な使命

「お嬢様、大急ぎで鎌倉の翠川様の別荘へいらしって下さい」

「どうしたの、爺や」

「どうもしませんが、夏休になったら、泊りにいらっしゃるお約束じゃございませんでしたか」

「でも、爺や一人で不自由な事はない?」

「私はもう六十八ですもの、どんな事があったって驚きやしません」

「まア、なんかあったの爺や」

立花博士の遺児、今年十四になる綾子は、呆気に取られて正平爺やの顔を見詰めました。

「お嬢様、それじゃ申し上げますが、――お嬢様が此処にいらっしゃると、命が危いんです」

「そんな事が爺や」

「今朝、お嬢様のお部屋のバルコニーの欄干の襖が抜けて、お嬢様がいつものように凭れれば、すぐ外れるようになっていたのを御存じでございますか」

「まア」

「あのバルコニーから落ちると、下はコンクリートですから助かりっこはありません」

「それから――」

正平爺は綾子の耳に口を寄せました。渋紙色の皮膚や白髪になりきった頭が近々と来ると、小さい時分、この爺やに抱かれて、植物園や動物園を遊び歩いた事などを思い出して、ツイ綾子の眼は追憶の涙に濡れるのでした。

「お嬢様、そればかりじゃございません。二、三日前には――」

正平爺やは、何やら綾子に囁きました。

「爺や、私、怖い」

「ですから、今すぐ鎌倉へいらっしゃいまし。お荷物は後からお届けしますから」

「爺やは?」

「私は此処で見張っていなきゃアなりません。私がいなくなったら、悪者共は、どんな事をやり出すか判りません」

「でも」

「お嬢様は、大事な大事な仕事を持っていらっしゃるじゃございませんか。万一の事があったら、広い世界に、誰がお父様――立花博士の恐ろしい汚名を雪ぐでしょう」

「爺や、行くワ、叱らないでね」

「誰が、お嬢様を叱るものでしょう。とんでもない」

爺やも、綾子も泣いておりました。暫くは白髪頭と断髪と、テラスの葡萄の葉蔭に、頷き合うように揺れていたのです。

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