一
「ガラツ八、俺を何處へ伴れて行く積りなんだい」
「まア、默つて蹤いてお出でなせえ。決して親分が後悔するやうなものは、お目に掛けないから――」
「思し召は有難いが、お前の案内ぢや、不氣味で仕樣がねえ。又丹波笹山で生捕りましたる、八尺の大鼬なんかぢやあるまいネ」
捕物の名人錢形の平次と、その子分の八五郎、野暮用で龜戸へ行つた歸り、東兩國の見世物小屋へ入つたのは、初夏の陽も、漸く蔭を作りかけた申刻(四時)近い刻限でした。
ガラツ八が案内したのは、讃州志度の海女の見世物、龍王の明珠を取つた、王朝時代の傳説にかたどり、水中に藝をさせるのが當つて、その頃江戸中の評判になつた興行物の一つでした。
小屋は筵張りの全く間に合はせの代物、泥繪の具で存分に刺激的に描いた、水中に惡龍と鬪ふ美女の繪を看板に掲げ、その下の二つの木戸口には、鹽辛聲の大年増と、二十五六の巖乘な男が、左右に分れて客を呼んで居ります。年増女は如何にも達辯にまくし立てますが、男の方は至つて無口で――尤も、兎口のせゐもあつたでせう、木戸札を鳴らして、無暗に「入らつしやい、入らつしやい、サア、今が丁度宜いところ――」と言ふ言葉を、何の智慧もなく、こはれた機械のやうに繰り返して居ります。
「ガラツ八、俺にこんなものを見せる氣かい」
平次はさすがに立ち止りました。この奇怪な空氣に、少し當てられ氣味でせう、好い男の眉が、心持顰みます。
「親分、だまされたと思つて入つて御覽なさい。そりや面白いから――」
ガラツ八は、平次の手を引くやうにして、一歩、小屋の中へ入りました。
中は五六十坪、筵張りの見世物にしては廣い方ですが、その眞ん中に、十坪あまりの眞四角な水槽を据ゑて、少し不透明な水が滿々と湛へてあります。今の言葉で言ふプール、昔はそんな事を言ひませんが、小屋の粗末なのに似ず、これだけは、まことに嚴重です。
水槽の上が小さい舞臺になつて、その上に、お松、お村といふ二人の美女――これが一座の花形で、床几に腰を掛け、紫の對の小袖に、赤い帶を締め、お松は三味線を鳴らし、お村は篠笛を吹いて居ります。
どちらも十八九、どうかしたら二十位でせう。讃州志度から伴れて來た海女といふにしては、恐ろしい美人です。お松はやゝ細つそりして上品な顏立、お村は脂の乘つた豐艶な身體、どちらも、明眸皓齒、白粉つ氣も何にもないのに五體から健康な魅力を發散するやうな美しさ、江戸中の見世物の人氣をさらつたと言ふのも無理はありません。
舞臺には、二人の美女の外に、麻裃を着た口上言ひが一人、月代と鼻の下に青々と繪の具を塗つて、尻下がりの丸い眉を描いて居りますが、顏立は立派な方で、身のこなし、物言ひ、妙に職業的な輕捷なところがあります。
水槽の前には、青竹を繞らして、後ろへ次第に高くなつた、急造の客席の上には、觀客がかれこれ二三百人。
「ね、親分、この不景氣に、十二文の木戸を拂つてこれだけ入るんだから――」
ガラツ八は自分のことのやうに揉手をして居ります。
「手前のやうな人間が多勢居るんだね、世間は廣いやな」
さう言ひながらも、錢形の平次も、この一種異樣な見せ物に心を牽かれないわけには行きませんでした。
お松、お村の二人の美女が暫らく三味線と笛の合奏を續け乍ら、流行唄――少しも讃州らしい匂のない、江戸の流行唄――を二つ三つやると、やがて、達辯な口上の聲につれて立ち上がりました。
「いよ/\これから龍王の珠取り、藤原の淡海公に契つた海女は一人だがこちらの海女は二人、いづれ劣らぬ美しいのが、水底深く潜つて、龍王の明珠を取つて來る。この水槽は、斯う見えても、底は龍宮まで通じて居る――嘘だと思つたら、遠慮なく飛込んで見られるが宜い――」
そんな事を言つて笑はせて居る間に、お松お村の二人の海女は、赤い帶を解いて、クルクルと裸體になりました。
裸體に――といふのは、文字通りの裸體です。明治大正になつてからも、鳥羽の海女が幾度か東京へ來て、淺草公園や上野の博覽會で海中の作業を見せましたが、これは風俗上の問題から中形の浴衣か何かを着せて、眞當の裸體は客に見せませんでしたが、錢形平次が活躍して居る頃の江戸には、そんな取締規則などはありません。東西兩國にはもつと如何はしい見世物のあつた頃、海女の裸體などを見て、驚くやうな敏感な人間はなかつたのです。
海女と言つても、お松、お村は、室内の水槽で藝をするやうに育つて、陽にも潮にも燒けず、小屋の空氣が匂ふばかりの白い肌を、何の惜氣もなく衆目にさらして、水槽の縁に起ちました。緋縮緬の腰卷が一つ、その裾が風に煽られるのを小股に挾んで、兩手で乳を隱すと、丈なす黒髮が、襟から肩へサツと靡きます。
小屋を埋むる客は、この刺戟的な情景に動搖みを打ちました。
「成程ガラツ八、こいつは手前が夢中になりさうだ」
平次も少し引入れられ氣味に、そんな事を言つて、水槽の左右に立つた美女の、素晴らしい姿態に眺め入りました。