Chapter 1 of 9

「おっと、待った」

「親分、そいつはいけねえ、先刻――待ったなしで行こうぜ――と言ったのは、親分の方じゃありませんか」

「言ったよ、待ったなしと言ったに相違ないが、そこを切られちゃ、この大石がみんな死ぬじゃないか。親分子分の間柄だ、そんな因業なことを言わずに、ちょいとこの石を待ってくれ」

「驚いたなア、どうも。捕物にかけちゃ、江戸開府以来の名人と言われた親分だが、碁を打たしちゃ、からだらしがないぜ」

御用聞の銭形の平次は、子分のガラッ八こと八五郎を相手に、秋の陽ざしの淡い縁側、軒の糸瓜の、怪奇な影法師が揺れる下で、縁台碁を打っておりました。

四世本因坊の名人道策が、日本の囲碁を黄金時代に導き、町方にももっぱら碁が行われた頃、ちょうど今日の麻雀などのように一時は流行を極めた時分です。

もっとも、平次とガラッ八の碁はほんの真似事で、碁盤といっても菓子折の底へ足を付けたほどのもの、それにカキ餅のような心細い石ですから、一石を下すごとに、ポコリポコリと、間の抜けた音がするという代物、気のいい女房のお静も、小半日この音を聞かされて、縫物をしながら、すっかり気を腐らしております。

「だらしがないは口が過ぎるぞ、ガラッ八奴、手前などは、だらしのあるのは碁だけだろう」

平次も少しムッとしました。

「それじゃ、この石を待ってやる代り、何か賭けましょう」

「馬鹿ッ、汚い事を言うな、俺は賭事は大嫌いだ」

「金でなきゃアいいでしょう、竹箆とか、餅菓子とか――」

「よしッ、それほど言うなら、この一番に負けたら、今日一日、お前が親分で俺が子分だ。どんな事を言い付けられても、文句を言わないという事にしたらどうだ」

「そいつは面白いや、あっしが負けたら、打つなり蹴飛ばすなり、どうともしておくんなさい。どうせ親分なんかに負けっこがないんだから」

「言ったね、さア来い」

二人はまた怪しげな碁器の中の石をガチャガチャいわせて、果し合い眼で対しました。

「まア、お前さん、そんな約束をなすって」

お静は見兼ねて声を掛けましたが、

「放っておけ、この野郎、一度うんと取っ締めなきゃア癖になる」

平次は一向聞き入れそうもありません。江戸一番の御用聞が、笊碁で半日潰すのですから、まことに天下は泰平といったものかもわかりません。

「さア、親分どうです、中が死んで、隅が死んで、目のあるのは幾つもありませんぜ。――今さら征の当りなんか打ったって追っつくもんですか」

「フーム」

「降参なら投げた方が立派ですぜ。この上もがくと、頸を縊って身投げをするようなもので」

「勝手にしろ、――褌を嫌いな男碁は強し――てな、川柳点にある通り、碁の強いのは半間な野郎に限ったものさ」

平次はそう言って、一と握りの黒石を、ガチャリと盤の上へ叩き付けました。御用聞には惜しい人柄、碁さえ打たなきゃア、全く大した男前です。

「へッへッ、何とでもおっしゃいだ、――今日一日あっしが親分で」

「馬鹿野郎」

「親分に向って馬鹿野郎はないでしょう」

八五郎はそう言いながらも、長い顎を撫で廻しました。唐桟を狭く着て、水髪の刷毛先を左に曲げた、人並の風俗はしておりますが、長い鼻、団栗眼、間伸びのした台詞、何となく犢鼻褌が嫌いといった人柄に見えるから不思議です。

ちょうどその時でした。

「御免下さいまし、平次親分のお宅はこちらでいらっしゃいますか」

切り口上ですが、鈴を鳴らすような美しい声、女房のお静はそれに応じて取次に出た様子です。

「武家の娘だ、が――すっかり顛倒しているらしいぜ。八親分、こりゃとんだ大きな仕事かも知れないよ」

そんな事を言って面白そうにガラッ八を顧みました銭形の平次も、なかなか人の悪いところがあります。

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