一
「親分、松が除れたばかりのところへ、こんな話を持込んぢや氣の毒だが、玉屋に取つては、此上もない大難、――聽いてやつちや下さるまいか」
町人乍ら諸大名の御用達を勤め、苗字帶刀まで許されてゐる玉屋金兵衞は、五十がらみの分別顏を心持翳らせて斯う切出しました。
「御用聞には盆も正月もありやしません。その大難といふは一體何で?」
錢形の平次は膝を進めます。往來にはまだ追羽子の音も、凧の唸りも聞える正月十三日、よく晴れた日の朝のうちのことです。
「外ぢやない、さる大々名から、新年の大香合せに使ふ爲に拜借した蝉丸の香爐、至つて小さいものだが、これが稀代の名器で、翡翠のやうな美しい青磁だ。それが、昨夜私の家の奧座敷から紛失した。――たつた香爐一つと言つてしまへばそれまでだが、一國一城にも代へ難いと言はれた天下の名器で、公儀へ御書き上げの品でもあり、紛失とわかれば、内々で御貸下げ下すつた、御隱居樣の御迷惑は一と通りでない。私は先づ腹でも切らなければ濟まぬところだ」
「――」
平次は默つて聽いて居りますが、玉屋金兵衞の困惑は容易のものでないのはよく解ります。
「親分は、お上の御用を勤める身體だ。香爐の紛失は言はゞ私事、こんな事を頼んではすまないが、これは金づくでも力づくでも叶はない。愈々香爐が出て來ないとなると、私の命一つは兎も角として、さる大々名のお家の瑕瑾ともなるかも解らない。折入つての願ひだが、何とか一と骨折つては下さるまいか」
玉屋金兵衞は、疊に手を突かぬばかりに頼み入ります。大町人らしい風格のうちに、茶や香道で訓練された、一種の奧床しさがあつて、斯うまで言はれると、平次もむげには斷り切れません。
「宜しうございます。それ程の品が無くなるのは、容易ならぬわけのあることでせう。出るか出ないかは兎も角として、一つ當つて見るとしませう」
「有難い、親分」
「ところで、無くなつたのは何時のことでございます」
「昨夜の宵のうち、――詳しく言へば、戌刻頃までは確かにあつたが、今朝見ると無くなつて居る」
「怪しいと思つた者はありませんか」
「外からは容易に入れる筈は無いから、家の中の者だらうと思ふが、困つたことに、その部屋は一方口で、手前の部屋に居たのは、私の娘お幾の踊友達、親類のやうに附き合つてゐる、お糸といふ十九になつたばかりの娘だけなんだが――」
玉屋金兵衞の調子は、その娘に疑をかけ度くない樣子でした。
「兎に角、お店へ行つて、皆に引き合せて貰ひませう。その上間取りの具合でも見たら、また何か氣が付くかも知れません」
「それぢや親分、何分宜しく頼みますよ」
少し言ひ足らぬ顏ですが、さすがに大店の主人らしく、言葉少なに引揚げて行きます。
その後ろ姿を見送つて、
「親分、大變なことになつたネ」
ガラツ八の八五郎は乘出します。
「何が大變なんだ、――大名高家では、青磁の香爐一つと、人間の命と釣替に考へて居るやうだが、こちとらの眼から見れば、猫の子のお椀と大した違ひがあるものか。そんな事で玉屋の主人が首でも縊るやうな事があつちや惡いと思ふから乘出す氣になつたのさ。俺は寶物の詮議など、本來なら眞平だよ」
「そんな話ぢやねえ、親分、大變と言つたのは、あの娘ですよ」
「玉屋のか」
「いえ、玉屋の娘のお幾は世間並の雁首で、何んの變哲もありませんが、その踊友達のお糸といふのが大變なんで」
「何が大變なんだ」
「親は本郷一丁目の古道具屋與次郎といふ、大跛者の愛嬌者だが、娘は本郷一番のきりやうですよ。あんなピカピカするのは、江戸一番と言つても文句を言ふ奴はありやしません。玉屋の息子の金五郎が、命がけの參りやうで、貧乏人の娘を承知の上、貰ふとか貰はれるとか、町内の若い衆をワクワクさせてゐますぜ」
「そいつは初耳だ。何か筋が深さうぢやないか、行つて見るとしよう」
平次は立ち上がりました。が、煙草入を懷に入れて、お靜に羽織を出させて居ると、
「今日は、――親分さんはゐらつしやいませうか」
おづ/\した聲が入口に立つて居ります。