Chapter 1 of 8

「親分」

ガラツ八の八五郎は息せき切つて居りました。續く――大變――といふ言葉も、容易には唇に上りません。

「何だ、八」

飛鳥山の花見歸り、谷中へ拔けようとする道で、錢形平次は後から呼止められたのです。飛鳥山の花見の行樂に、埃と酒にすつかり醉つて、これから夕陽を浴びて家路を急がうといふ時、跡片付けで少し後れたガラツ八が、毛氈を肩に引つ擔いだまゝ、泳ぐやうに飛んで來たのでした。

「親分、――引つ返して下さい。山で敵討がありましたよ」

「何?」

「巡禮姿の若い男が、虚無僧に斬られて、山はえくり返るやうな騷ぎで」

「よし、行つて見よう」

平次は少しばかりの荷物を町内の人達に預けると、獲物を見付けた獵犬のやうに、飛鳥山へ取つて返します。

柔かな夕風につれて、何處からともなく飛んで來る櫻の花片、北の空は紫にたそがれて、妙に感傷をそゝる夕です。

二人が山へ引つ返した時は、全く文字通りの大混亂でした。異常な沈默の裡に、掛り合ひを恐れて逃げ散るもの、好奇心に引ずられて現場を覗くもの、右往左往する人波が、不氣味な動きを、際限もなく續けて居るのです。

「退いた/\」

ガラツ八の聲につれて、人波はサツと割れました。その中には早くも驅け付けた見廻り同心が、配下の手先に指圖をして、斬られた巡禮の死骸を調べて居ります。

「お、平次ぢやないか。丁度宜い、手傳つてくれ」

「樫谷樣、――敵討ださうぢやございませんか」

平次は同心樫谷三七郎の側に差寄つて、踏み荒した櫻の根方に、紅に染んで崩折れた巡禮姿を見やりました。

「それが不思議なんだ、――敵討と言つたところで、花見茶番の敵討だ。竹光を拔き合せたところへ、筋書通り留め女が入つて、用意の酒肴を開かうと言ふ手順だつたといふが、敵の虚無僧になつた男が、巡禮の方を眞刀で斬り殺してしまつたのだよ」

「へエ――」

平次は同心の説明を聽き乍らも、巡禮の死體を丁寧に調べて見ました。笠ははね飛ばされて、月代の青い地頭が出て居りますが、白粉を塗つて、引眉毛、眼張りまで入れ、手甲、脚絆から、笈摺まで、芝居の巡禮をそのまゝ、此上もない念入りの扮裝です。

右手に持つたのは、銀紙貼りの竹光、それは斜つかひに切られて、肩先に薄傷を負はされた上、左の胸のあたりを、したゝかに刺され、蘇芳を浴びたやうになつて、こと切れて居るのでした。

「身元は? 旦那」

平次は樫谷三七郎を見上げました。

「直ぐ解つたよ、馬道の絲屋、出雲屋の若主人宗次郎だ」

「へエ――」

「茶番の仲間が、宗次郎が斬られると直ぐ驅け付けた。これがさうだ」

樫谷三七郎が顎で指すと、少し離れて、虚無僧が一人、留め女が一人、薄寒さうに立つて居るのでした。

そのうちの虚無僧は、巡禮姿の宗次郎を斬つた疑ひを被つたのでせう。特に一人の手先が引き添つて、スワと言はゞ、繩も打ち兼ねまじき氣色を見せて居ります。

次第に銀鼠色に暮れ行く空、散りかけた櫻は妙に白茶けて、興も春色も褪めると見たのも暫し、間もなく山中に灯が入つて、大きな月が靄の中に芝居の拵へ物のやうに昇りました。

陰慘な、そのくせ妙に陽氣な、言ひやうもない不思議な花の山です。

「旦那、少し訊いて見たいと思ひますが――」

平次は樫谷三七郎を顧みました。

「何なりと訊くが宜い」

「では」

平次は茶番の仲間を一とわたり眺めやります。

Chapter 1 of 8