Chapter 1 of 8

「親分の前だが、この頃のように暇じゃやりきれないね、ア、ア、ア、ア」

ガラッ八の八五郎は思わず大きな欠伸をしましたが、親分の平次が睨んでいるのを見ると、あわてて欠伸の尻尾に節をつけたものです。

「馬鹿野郎、欠伸に節をつけたって、三味線には乗らないよ」

「三味線には乗らないが、その代り法螺の貝に乗る」

「呆れた野郎だ、山伏の祈祷をめりやすと間違えてやがる」

平次は大きな舌打をしましたが、小言ほど顔が苦りきってはおりません。

「全く退屈じゃありませんか、ね親分。こんな古渡りの退屈を喰っちゃ、御用聞は腕が鈍るばかりだ。なんかこう胸へドキンと来るような事はないものでしょうか」

「御用聞が暇で困るのは、世の中が無事な証拠さ。それほど退屈なら、跣足で庭へ降りて、水でも汲むがいい、土が冷えていてとんだ佳い心持だぜ」

銭形平次は相変らず、世話甲斐のない、植木の世話に余念もなかったのです。――秋の陽は向うの屋根に落ちかけて、赤蜻蛉がわずかばかり見える空を、スイスイと飛び交わす時分、女房のお静はもう晩飯の仕度に取りかかった様子で、姐さん被りにした白い手拭が、お勝手から井戸端の間を、心せわしく往復している様子です。

「せっかくのお言葉だが、あっしが世話をすると、植木がみんな枯れっちまいますよ」

ガラッ八は良心に愧じる様子もなく、つづけざまにお先煙草をくゆらして、貧乏ゆるぎをする風もありません。

「いい心掛けだ。――その気だからだんだん縁遠くなる」

「へッ、――縁遠くなる――と来たね。驚いたね、どうも」

八五郎はニヤリニヤリと顎を撫でております。

「先刻から、退屈を売物にしているようだが、いったい何か言いたい事でもあるのかい。物に遠慮のある性質でもあるめえ。用事があるなら、さっさと言ってしまったらどうだ」

「えらいッ、さすがは銭形の親分。天地見通しだ」

「馬鹿だなア」

「ね、親分、聞いたでしょう。麹町六丁目の娘殺し」

「聴いたよ。桜屋の評判娘がゆうべ人手に掛って死んだってね。――けさ八丁堀の組屋敷へ行くとその噂で持ちきりだ」

「虐たらしい殺しでしたよ。どんな怨みがあるか知らないが、十九になったばかりの小町娘――上新粉で拵えて色を差したような娘を、鉈や鉞で殺していいものか悪いものか――」

「待ちなよ八。口惜しがるのはお前の勝手だが、煙管の雁首で万年青の鉢を引っ叩かれちゃ、万年青も煙管も台なしだ」

「だって口惜しいじゃありませんか、親分。若くて綺麗な娘は、天からの授かりものだ。それを腐った西瓜のように叩き割られちゃ――」

「解ったよ八、殺した野郎が重々悪いに異存はないが、俺を引っ張り出そうたって、そいつはいけねえよ。あの辺は十三丁目の重三の縄張だ、勝手に飛び込んで掻き廻しちゃ悪い」

平次は大きく手を振りました。そうでなくてさえ、この二三年江戸の捕物は銭形平次一人手柄で、いい加減御用聞仲間の嫉視を買い、面と向ってイヤな事を言う者さえあったのです。

「そんな事を言ったって親分。十三丁目の重三親分じゃ、コネ廻しているだけで、いつまで経っても目鼻がつきませんよ」

「黙らないか八、そういう手前だって、あんまり目鼻のついた例はあるめえ」

「ヘエ――」

「若い娘が殺されると、眼の色を変えて飛び出しやがる。少しはたしなむがいい」

平次はツイ小言になりました。が、幾つも年の違わない八五郎に、意見めかしい事を言うのは、自分ながら可笑しくてたまらなかったのでしょう。

「まア、そういったものさ。ハッハッハッ」

腰を伸してカラカラと笑うのです。

その時、

「お前さん、お手紙が来ましたよ」

お静は姐さん被りの手拭を脱って、濡れた手を拭き拭き一本の手紙を持って来ました。

黙って受取って、ザッと目を通した平次、

「持って来た人は?」

調子がひどく緊張しております。

「お返事は要らないそうです――って帰ってしまいました」

「どんな様子をしていた」

「子供ですよ、十二三の」

「八」

平次が声を掛けるまでもありません。八五郎はもうハネ飛ばされたように路地へ飛び出しておりました。

それからほんの煙草二三服。

「あ、驚いた」

八五郎はがっかりした様子で帰って来たのです。

「首尾よく取逃がしたろう」

と平次。

「逃がしゃしませんが、手紙の作者は小僧じゃありませんぜ」

「当り前だ、手紙を書いたのはお狩場の四郎という、日本一と言われた大泥棒だ」

「えッ、そうと知っていたら、もう少し責めようがあったのに、――そのお狩場の四郎が、親分へどんな事を言って来たんで?」

ガラッ八の八五郎は少しあわてました。二三年前江戸で鳴らしたお狩場の四郎。それは、一度銭形平次に挙げられて、処刑にあがるばかりになったのを、縄抜けをして、それっきり行方知れずになっている、名代の悪者だったのです。

「お前の話を聴いているんじゃないか。それから小僧はどうした」

「路地の外でマゴマゴしているのを捕まえて、二つ三つ小突き廻すと、わけもなく白状しましたよ――どこかの知らない小父さんに、四文銭を三枚貰って、銭形の親分のところへ手紙を届けたが、あとは何にも知らねえ、ワ――」

「何んだいそのワ――てえのは?」

「いきなり泣き出した声色で」

「合の手が多すぎるよ。それからどうした」

「手紙を頼んだ野郎の人相身扮を訊いたが、まるっきり見当が付かねえ――年は二十から六十の間、確かに眼が二つあって、口が一つあって、着物を着ていたに違えねえ――というだけの事だ」

「仕様がねえなア、それっきり小僧を逃がしてやったのか」

「大丈夫、その辺に抜け目のある八五郎じゃねえ。ちゃんと糸目をつけて飛ばしてありますよ。小僧は町内の鋳掛屋の倅巳之松、とって十三だが、智恵の方は六つか七つだ」

「そう解ったら、なんだってつれて来なかったんだ」

平次はしかしそれ以上追及する様子もなく、小僧が持って来た手紙にもういちど見入っております。

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