一
「八、厄介なことになったぜ」
銭形の平次は八丁堀の組屋敷から帰って来ると、鼻の下を長くして待っている八五郎に、いきなりこんなことを言うのです。
「何かお小言ですかえ、親分」
「それならいいが、笹野の旦那が折入っての頼みというのは、――近ごろ御府内を荒らし廻る辻斬を捉えるか、せめて正体を突き止めろというのだ」
「へッ、ヘエ――」
ガラッ八の八五郎さすがに胆を潰したものか、固唾が喉に引っ掛って、二度に感嘆しました。
「笹野の旦那はこうおっしゃるのだよ――この夏あたりから噂は聴いていたが、三日に一人、五日に二人罪のない人間がお膝元の江戸で、人参牛蒡のように斬られるのは捨ておき難い。いずれ腕自慢が高じての悪業であろうが、近頃は斬った死体の懐中物まで抜くというではないか。このうえ知らぬ顔をしては、御政道の瑕瑾と相成る。御家中若年寄方にもことごとく御心痛で、町方へ強っての御言葉があった――ということだ」
「ヘエ――大したことになりましたね、親分」
それは全く大したことでした。
この夏あたりから始まった辻斬騒ぎ、最初は新刀の切れ味を試す心算でやったのでしょうが、二度三度と重なると、次第に悪魔的な興味が高じて、神田一円に九段から両国まで荒らし廻る辻斬の狂暴さは、さすがに幕府の老臣方の目にも余ったのです。
旗本の次男三男、諸藩のお留守居、腕に覚えの浪人者など、辻斬退治に出かける向きもありましたが、相手はそれに輪をかけた凄腕で、いずれも一刀両断にしてやられるか、運よくて、這々の体で逃げ帰るのが関の山でした。
秋に入ると、辻斬の狂暴さは一段と拍車をかけました。最初は武家ばかり狙いましたが、後には百姓町人の見境がなくなり、ついには斬った死骸の懐中を捜って、紙入、胴巻を抜き取るような浅ましい所業をするようになったのです。
「どうだ八、辻斬退治をする気はないか。こいつは十手捕縄の晴れだぜ。腕自慢のお武家が門並持て余した相手だ」
平次も緊張しきっております。
「付合いが悪いようだが、あの辻斬野郎を相手にするくらいなら、あっしは大江山の鬼退治に繰り出しますよ。――素知らぬ顔をして、摺れ違いざまに、えッ、やッと来るでしょう。気がついてみたら首がなくなっていたなんて、どうも虫が好かねエ」
「何をつまらねエ」
「そいつは強い武者修行か何かに頼もうじゃありませんか。岩見重太郎てな豪勢なのがおりますよ」
「止さないか、八」
「ヘエ――」
「怖きゃ止すがいい」
「へッ」
「八五郎が腰を抜かしゃ、俺が一人でやるだけのことだ。笹野の旦那のお言葉がなくたって、町人百姓の差別なく、ザクザク斬って歩く野郎を、放っちゃおけめえ。今まで無事でいたのは、悪運が強かったんだ」
平次はいつになく昂然として胸を張るのです。
「親分」
ガラッ八は膝っ小僧を揃えてニジリ寄りました。
「なんだ?」
「あっしがいつ腰を抜かしました。え? 親分。あっしはいつ怖いなんて言いました。辻斬や蕎麦切が怖かった日にゃ、江戸で御用聞が勤まりますかてんだ」
「たいそう強くなったじゃないか、八。先刻、辻斬退治より鬼退治の方がいい――って言ったのは誰だっけ」
「そりゃ物の譬えだ。辻斬が怖いわけじゃありませんよ。憚りながらこんなガン首に糸目はつけねエ、どこへでも出かけましょう。さ、親分」
「あわてるなよ、八。お前の強いのはよく解っているが、まだ辻斬や夜鷹の出る刻限じゃねえ。ゆっくり物を考えてよ」
「何をやらかしゃいいんで、親分」
ガラッ八は無暗にせき込みました。
「待ちなよ。差当り研屋を当ってみるのが順当だが、夏から十幾人と人間を斬った奴が、血刀を近所の研屋に出すような間抜けなことはしないだろう」
「…………」
「品物は一つも盗っていないから、質屋を当っても無駄だ。九段から駿河台、神田橋外、柳原、両国へかけて出るが御見附の外へ一と足も出ないところを見ると、この中に住んでいるに違いあるまい」
「…………」
「それにしても凄い腕だ。腕自慢の御家人が五人、牛ヶ淵で出っくわしたはいいが、二人は斬られ、二人はお濠に叩き込まれ、一人は這々の体で逃げ帰ったというじゃないか」
「三河町に町道場を開いている酒村草之進というヤットウの先生が、お弟子と二人で辻斬退治に出かけ、柳原で出会頭に肩先を少し斬られ、面目なくて翌る日の晩夜逃げをしたというじゃありませんか」
「それほどの人間を相手にするんだ。止した方が無事だぜ、八」
「冗談でしょう、親分」
「もういい。俺はお前の果し眼の方がよっぽど怖いよ」
「へッ」
「近頃は辻斬の噂に脅えて、神田中の往来は日が暮れるとバッタリ絶える。辻斬だって斬られ手がなかったら張合いがあるめえ。今晩から俺が出かけてみようと思うがどうだ」
「あっしも行きますよ、親分」
八五郎は無暗に乗り出します。