一
「お早う」
ガラッ八の八五郎は、尋常な挨拶をして、慎み深く入って来ると、お静のくんで出した温かい茶を、お薬湯のように押し戴いて、二た口三口啜りながら、上眼づかいに四辺を見廻すのでした。
「どうした八、たいそう御行儀が良いようだが、何か変ったことでもあったのかい」
銭形平次は縁側に寝そべったまま、冬の日向を楽しんでおりましたが、ガラッ八の尤もらしい顔を見ると、悪戯っ気がコミ上げてくる様子で、頬杖を突いた顔をこちらへねじ向けました。
「何でもありませんよ。ほんのちょいとしたことで」
「そうじゃあるまい、何かお前思い込んでいるだろう。借金取りに追っかけられるとか、義理が悪い昔馴染に取っちめられたとか」
「そんな事じゃありません」
「だって、急に起居振舞が小笠原流になったり、膝っ小僧がハミ出してるくせに、日本一の鹿爪らしい顔をしたり、お前よほどあわてているんだろう」
「なアに、ほんのちょいとした事があっただけですよ」
「何だそのちょいとした事てえのは? 気になるぜ、八」
「実はね、親分」
「恐ろしく突き詰めた顔をするじゃないか。何だい」
「笹屋のお松が三輪の親分に縛られたんですよ」
それは当時、両国の水茶屋の茶汲女の中でも、番付に載る人気者で、ガラッ八の八五郎も、一時は夢中になって、毎日通った相手だったのです。
「何か悪い客の巻添えにでもなったのか」
「そんな事なら心配しませんがね、人殺しの疑いが掛ったんだそうで」
「人殺し?」
「親分はまだ聞きませんか、ゆうべ平右衛門町の河岸っ端で、浪人者の殺された話を」
「聴いたよ、福井町の城弾三郎という評判のよくない浪人者が、脇差で胸を突かれて死んでいたんだってね。――恐ろしく腕の出来る浪人者だというじゃないか、茶汲女や守りっ娘には殺せねえよ」
「ところが、三輪の万七親分は、お松を縛ったんで、――もっともお松は悪い物を持っていました」
「何を持っていたんだ」
「ギヤマンの懐ろ鏡、――こいつは男のくせにお洒落だった城弾三郎の自慢の品だったんで」
「フーム」
「けさ友達に見せているところを、運わるく城弾三郎殺しの下手人捜しに来ている、お神楽の清吉に見られてしまったんです」
「怪しい品なら、岡っ引の見る前で出すはずはないじゃないか」
平次はさすがに気が付きます。
「だからお神楽の清吉が、そのギヤマンの懐ろ鏡をどこから出した、貰ったら貰ったでいいが相手を言えと責めたが、お松はどうしても言わねエ」
「その懐ろ鏡をくれた相手に心中立てをしているんだろう。お松を張るのは無駄だよ、八。いい加減にして止すがいい」
「そんなつもりじゃありませんよ。――あっしは、お松を助けようとも何とも思っちゃおりません。ただ、親分が訊くから、ちょいと話しただけで」
ガラッ八は急に堅くなりました。
「そうか。そんな遠慮があるから、小笠原流で番茶なんか飲んで、恐ろしく突き詰めた顔をしているんだな。いつもの八五郎なら、大変ッ大変ッと大変のつき物がしたように飛込むところだ」
「親分」
「いいよ、行ってみるよ。今日俺の方から出かけて行って、お松の縄を解いてやろう。もっとも、縄を解いても、お松はお前のところへは転げ込まないよ」
「親分――あっしはお松のことなんか何とも思っちゃいませんよ。ただこの一年ばかり、毎日のように顔を見て、お茶をくんでくれた相手だから――」
「毎日行ったのかえ、本当に」
「ヘエ、面目次第もありません」
「馬鹿だなア」
平次はそう言いながらも、立ち上がって仕度しました。