Chapter 1 of 6

「親分の前だが――」

ガラツ八の八五郎は、何やらニヤニヤとしてをります。

「前だか後ろだか知らないが、人の顏を見て、思ひ出し笑ひをするのは罪が深いぜ。何を一體思ひ詰めたんだ」

錢形の平次は相變らずこんな調子でした。年を取つても貧乏しても氣の若さと洒落氣には何んの變りもありません。

「ね、親分の前だが、褒美を貰つたら何に費はうか、あつしはそれを考へて居るんで」

「褒美?」

「忘れちやいけませんよ。近頃御府内にチヨイチヨイ贋金が現はれるんで、その犯人を擧げた者には、大層な御褒美を下さるといふ御觸れぢやありませんか」

「なんだその事か、――そいつは取らぬ狸の皮算用だ。當てにしない方が無事だらうぜ」

「でも、萬一といふことがあるでせう。あつしがその僞金造りを捕へたら、どうなるでせう、親分」

「大層な氣組だが、――まア諦める方が無事だらうよ。半年越し江戸中の岡つ引が、鵜の目鷹の目で探しても、尻尾をつかませない相手だ」

「でも――」

「萬一なんてことがあるものか、谷中の富籤ぢやあるまいし」

「谷中の富籤ほども分がありませんかね、親分」

「まア、そんな事だらうよ」

錢形の平次が締めてゐるほど、その贋金造ひは巧妙を極めました。

その頃横行した贋金といふのは、所謂銅脈といつた種類で、銅の臺に巧みな金鍍金をほどこした細工物で、素人目には眞物の小判と鑑別がつかなかつたばかりでなく、贋造貨幣犯人の一番むづかしい使用法が巧妙で、江戸中の恐怖になりながらも、容易にその根源を探らせなかつたのです。

「あの――」

そんな夢のやうな事を話してゐるガラツ八の後ろへ、平次の女房のお靜はそつと顏を出しました。相變らず若くて内氣で可愛らしい女房ぶりです。

「何んだ」

「お客樣ですが――」

「お客樣? どなただ」

「それがわかりません。眞つ蒼になつて顫へて居るやうですが」

「お勝手か」

「え」

平次は默つて立ち上がると、女房を掻きのけるやうに、お勝手へ顏を出しました。其處には誰も居ません。

二月の町は宵乍ら冴え返つて、戸をあけたまゝのお勝手の土間に、冷たい月の光が一パイに射してゐる中には、お靜の言ふ眞つ蒼になつて顫へてゐるお客は愚か、顏馴染の野良犬も來てはゐなかつたのです。

「八」

「へエ」

たつたそれだけの號令で、八五郎は疾風のやうに馳け出しました。贋金造りを縛つた褒美で、三浦屋の高尾の身請でもするやうな氣でゐる空想家のガラツ八ですが、一面にはまた錢形平次の助手として、辛辣極まる實際的な鬪士でもあつたのです。

間もなく路地一パイの騷ぎを展開し乍ら、八五郎は一人の若い男を引摺るやうにして戻つて來ました。

「此野郎、逃げようたつて逃がすものか。さア、眞つ直ぐに歩け」

「行きますよ、親分、――逃げも隱れもしません。どうせ錢形の親分にお願ひするつもりで來たんですもの」

「何を言やがる、――そんなら逃げるわけはないぢやないか」

八五郎に小突かれながら來るのは、二十三四のめくら縞の半纒を着た、小柄で、色の黒い、小商人風の男でした。

「八、何といふ騷ぎだ。御近所の衆がびつくりするぢやないか」

平次は見兼ねて戸口から聲を掛けます。一國者の八五郎は、お勝手を覗いて逃げ出したといふ男を、縛り上げ兼ねない見幕だつたのです。

Chapter 1 of 6