Chapter 1 of 6

「親分、あつしはもう癪にさはつて――」

ガラツ八の八五郎は、拳骨で獅子ツ鼻の頭を撫で乍ら、明神下の平次の家へ飛び込んで來ました。

江戸の町が青葉で綴られて、薫風と五月の陽光が長屋の隅々まで行き渡るある朝のこと、

「八の野郎がまた朝つぱらから癪の種なんか持込んで來やがつたぜ。落着いて飯も食へやしねえ」

平次は大きな箸箱へ、ガチヤガチヤと自分の箸をしまひ込んで、お靜の方へ膳を押しやると、心得たお靜は、それを持つてスーツとお勝手へ立ちました。まご/\すると、八五郎に蹴飛ばされさうだつたのです。

「親分、聽いて下さいよ。あつしはもう、癪にさはつて――」

「わかつたよ、又角の酒屋の親爺に先月の拂のことでも當て擦られたんだらう」

「酒屋に借りなんか拵へるものですか、米屋の拂ひなら半歳も溜めるが」

「あんな罰の當つた野郎だ」

「癪にさはつたのはりやんこですよ」

八五郎は大きな指を二本、腰のあたりに當てて見せました。

「惡い癖だ、武家と野良犬はからかはない方が良いと言つてるのに」

「それがその、放つちや置けなかつたんで――これを見て下さいよ、親分」

八五郎は懷ろ深く探つて、皺くちやな紙片を取り出すと平次の膝の前へ、煙管を風鎭に押し伸ばすのでした。

「恐しく下手な字ぢやないか。まさかお前が書いたんぢやあるまいな」

「これでも、あつしの字よりは少し筋が良い」

「字のことになると、自慢がないから、八も可愛らしいよ、――それにしても、こいつは鹿尾菜をバラ撒いたやうぢやないか、お前讀んで見な」

半紙一枚へ、馬糞墨で書いた、下手な字が一パイ。

「こいつは讀むのにコツがありますよ。お弓町の多良井藏人樣のお腰元お玉が死んだ。自害といふことになつてゐるが、人に殺されたに違ひない。親分のお力で下手人を擧げて、お玉の怨を晴らして下さい、頼む――とね」

八五郎が辨慶讀みにした手紙の文句から、事件の重大さと、この手紙を書いた者の、燒きつやうな熱意を感じないわけに行きません。

「それでお前は行つたのか」

「今朝此手紙を投り込まれた時、あつしはまだ寢て居たが、宜いあんべえに雨戸は隙間だらけだ。枕元へ紙片が舞ひ込んだから、夢心地で拾ひ上げると――あの娘の附け文と思ひきや――」

「思ひきや――と來たね」

「學があるとツイ斯んな言葉が出て來ますよ、――惡い癖でね」

「無駄が多いな、先を急げよ」

「殺されるのは良い女にきまつて居るから、兎も角お弓町へ飛びましたよ。相手は八百五十石取の旗本屋敷だ、誤摩化して死骸を取片付けられちや後の祭りだ」

「で?」

「裏から入つて、御用人を呼出して、お女中の死骸を見せて貰ひ度いと言ふと、味噌摺用人の山岸作内、大眼玉を剥いて人斬庖丁をひねくり廻した、――其方は何者だ此處を何んと心得る――とね」

「――」

「町方の御用を承るもの。明神下の平次親分ところの八五郎と名乘ると、――馬鹿野郎、旗本屋敷へ不淨な十手などを持込む奴は、叩き斬つても仔細はないが、命だけは助けてやる。友吉、此兵祿玉を摘み出せと來た。すると何處からともなく、二十五六の威勢の良い若黨が飛び出して來て、あつしの首筋を掴んで裏門からお弓町の往來へ投り出してしまひましたよ。その野郎はまた、恐しく腕つ節の強い男で――」

「それでお前は尻尾を卷いて歸つて來たのか」

「癪にさはるが仕樣がありませんよ。相手は八百五十石の武家屋敷だ、切り込んだところで勝目はないし」

「間拔けだなア」

「あつしはどうせ間拔けですがね、親分」

「まア、腹を立てるなよ八。お前は手順を間違へたんだ」

「ぢや、どんな手順があるんです」

八五郎はまだ紛々として居ります。

「お前は、そのお玉といふ腰元の親元を聽かなかつたか。請人でも宜いが」

「いゝえ」

「それが手順だよ。その腰元の親があるなら親、遠國のものなら請人が、死骸を引取りに行くだらう」

「成程ね」

「いや、お前には少し荷が重過ぎるだらう。俺が行つて見るとしようか」

「有難てえ、親分が乘り出して下されば」

八五郎はすつかり有頂天になりました。錢形平次が一緒に行きさへすれば、まさかあの味噌摺用人に怒鳴られたり、若黨風情に手籠にされるやうな間拔けなことはあり得ません。

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